次から次に問題が出てくるときはやり方を変える必要があります、やればやるほど状況が厳しくなるならそのやり方は正しくありません天は自分に間違いを気付かせる為にブレーキをかけていると考え、通用しなくなった考えを未練を残さず捨て去り、踵を返して戻らない覚悟で次の道を進みます、人生には報われるコトの無い苦しみがごろごろ転がっています、苦しさの先に手に出来るモノがあれば、まだいいですが、苦しみが苦しさをもっと呼び込んでしまい、最終的には弁慶の立ち往生なんて結果もあり得ます、これは我慢強い性格の人によくあるコトですが、我慢を強要したのは他人の欲の都合で、他人の人生の手足となっただけなのです、その結果強要した人は利を得たでしょうがあくまでその人の人生であり自分の人生の結果とはなりません、その我慢を自分の人生に当てはめてはいけません、自分が自分の為に我慢すると鏡を合わせたように自分の中を無意味に往復するだけで答えも結果も出てきません、水あめを掻き混ぜれば掻き混ぜるほど粘りが強くなり混ぜににくくなるように身動きが取れなくなってしまいます、自分は他人の為に我慢したのなら次は他人に自分の為に我慢して貰わなくてはなりません、これは一見易しそうですが、実は自分が我慢するよりもっと難しいことなのです。
他人に自分の為になる様動いてもらって初めて自分の道が通じるのです、我慢とは第三者に向けてあるもので、自分の人生を正しく歩む為には必要なコトなのです、 何時までも我慢人生を歩んでいると見知らぬ人まで自分に我慢のゴミ袋を置いて行くように我慢を呼び込んでしまいます、他人に我慢させて自分が幸せになれば、我慢した人にも同じ道の可能性を開けてやるコトになるので、悪いことでも何でもありません、他人の為に自分が我慢することは素晴らしいコトです、しかしその素晴らしい連鎖を繋げるコトに意味があるし、幸せの輪を広げるコトにもなるのです、そして他人の為に我慢した自分には当然幸せを享受する権利があります・・
何事も自分でやらないと気がすまない人もいます、他人に任せれば自分と同じ結果にはなりませんし、失敗も経験するでしょう、でも多少のリスクがあるのは止むを得ないとして、任せていかないと自分がいなければ何も出来ない人間関係となり、何時までも自分は我慢するコトになります、自分も幸せになりたかったら我慢も任せていかなくてはならないのです、そしてその中で自分が本当にしなければならないコトを見極めまっすぐ行動あるのみです、そうすると自分がすべき仕事の道が初めて目の前に通じるのです、その道を歩み始めれば、とんとん拍子に見通しが開け、我慢するまでもありませんし、我慢すら楽しく思えます、その延長線で手に出来るモノは、勇気を出して捨て去った拘りと比較にならない程の充実感をもたらすことでしょう・・この我慢をモノゴトを待つに置き換えても通用します、他人を待たせても自分は極力待たない生き方を選択するようにしましょう・・・