モノには名前や数え方があります、一つのモノの名前は国によって様々変わりますが、それなりにそれらしい名前が付けられていますし、自国語よりそのモノを表すのに適していると思われる場合もありますし、外来語そのモノが自国語に採りいれられたりもします、但し医学用語やモノそのモノを分類学的に分別をつける必要のある時は、万国共通の名前に統一しようと努力されています、学名で表現するとホモ・サピエンス( Homo sapiens)となり意味はラテン語で賢いとか知恵のある人間となるそうです、分類学的に正式に表現すると全ての生物の分けるためには日本語表記で 動物界 脊索動物門 脊椎動物亜門 哺乳綱 サル目 真猿亜目 狭鼻下目 ヒト上科 ヒト科 ヒト属 となり、種の下位亜種の分類をホモ・サピエンス・サピエンスとすることで現世人類を表すとされますが、これは動物以下の分類でまだ植物と分けたりどちらにも属さない生物と分けたりする上位の分類があり、その途中からの表現となります。
動物としての人の起源が何になるかという問題に対しては襟鞭毛虫とよばれるムチのような駆動部をもつ、ちょうど精子のような単細胞生物がそうらしいと考えられていますが、はっきり確定はしていません、有名な単細胞生物である細胞そのモノが腕を伸ばして移動したり食物を取り込むマクロファージに似たアメーバや全身の繊毛を波打って移動するゾウリムシなどの繊毛虫などは人類の源流とは少し遠い存在だといわれています、脊椎の有る無しや、移動の仕方などの物差しで系統を遡っていくという方法は時として意外な結論が見られたりもするので有意義な学問だと思いますが、新生児の誕生を遡るだけで答えが含まれているようにも思えます、精子は単体では子孫は残せないので、生物の要素ではありますが遺伝子的にも半端な生物です、そして父系の先祖すなわちお祖父さんなのかも知れません、そうなると卵子は母系の先祖であるお祖母さんということになり、始まりのお祖父さんと始まりのお祖母さんの遺伝子が混ざり合うコトにより、人類の起源が始まったともいえるのでしょう。
このお祖母さんを遡る為には別の系統もあります、人間の細胞にはミトコンドリアという細胞小器官があり、細胞の生命維持活動に必要な様々な働きをしています、大きさや形状も機能も様々に分化してしますが、細胞はこの小器官を獲得したコトにより活動に必要なエネルギーの供給の得ていますし、様々な必須ホルモンの合成による、統制機能を我がモノとしています、このミトコンドリアは現在ではαプロテオバクテリアと呼ばれる好気性細菌が起源だといわれており、それが真核細胞と共生することにより、細胞の単位を構成しています、細胞分裂を起すときも独自に遺伝子を伝達できますし、人間の身体の体重の10%はこのミトコンドリアなのです、代謝の活発な肝臓、腎臓、筋肉や脳のなどの重要な器官の細胞では実に重さの40%を閉めていますので言い方を変えれば人間の1/3はこのルームメイトだとも言えます、しかしこのミトコンドリアの遺伝子は母親からしか伝えられることはありません、だからこの遺伝子を調査していけば、人類共通のお祖母さんに辿り着くことになります、そしてこのミトコンドリアの遺伝子のDNA塩基配列を調査比較するとどうやら一人のお祖母さんはアフリカから出ているとか4人のお祖母さんに行き着くとか諸説発表されていますが、確定した訳ではありません、父から受け継がれることしかないY染色体の遺伝子をたどれば父系を数万年も源流を辿れるそうですが、これも遺伝情報が必ず染色体に入っていることが前提ですので、染色されない遺伝子が無いとも言い切れません、いずれにせよ人他多種多様な生物は、DNAの構造のように様々な条件が何重にも絡み合い干渉しあって創り上げられている複合体であることはハッキリしていますので、人間の頭で簡単に解析できるシンプルな回答は得ることは難しいかも知れません、でも複雑なモノも究極的に源流に遡れば、一つに回帰するはずでもあります、中間のプロセスで複雑なモノを不足した情報を元に無理やり解析しようとすれば、より複雑にしてしまう、コトの原因にもなりますので、解析や理解は単純に人の受胎から誕生までの胎児の成長過程にその回答が転写されていると考えたほうが合理的なような気もします。
因果関係で考えれば現在の形が歴史を映し出しているとも言えるでしょう、原因が在って今があるなら今の形を正しく見れば原因である過去が判別できるはずです、胎児の成長過程においても、精子と卵子が出会い細胞分裂が繰り返され機能別に分化し器官を構成してゆき、心臓のようなモノが鼓動を始め脊椎のようなモノが繋がり始め、魚に似た形から手足の元が生えてきてトカゲに似た時代をすごし、ネズミに似た時を超えリスザルのような容貌が生まれてくる頃になってやっと皺くしゃのサルのようになり生まれて数日が経過して初めて人間の赤ちゃんの容貌に落ち着きます、答えは全てそこにあるように思います、二足歩行にしたってその後の成長過程を観察すれば歴史を辿れるし、頭脳の発達過程も同じ理屈が通ります、実はその後の人生そのモノも人間の近しい過去の反映だと出来る部分があり、受胎時を一番古い過去として人類の進化の歴史だとすれば今現在進行中の人生を最先端として近ければ近いほど、一番近い過去生の体験を繰り返して経験しています、いわゆる経験のやり直しが繰り返されるのです、そしてその時々の選択により枝分かれした道にシフトした人生を歩むコトになってゆきます・・
人類が全ての生物の最終形態だとするのは人類のエゴかも知れませんが、沢山ある進化の触手の一つの先端ではあるでしょう、名前にしたって数え方にしたって増やせば増やすほど複雑にはなりますが元は一人であり一つです、そしてその複数の名前はそれを名付けられたモノの歴史であり、また複数の数え方によってそのモノを分類し実際のイメージに誘導する効果があります、歴史の大元は極めてシンプルなので、複雑な問題は出来るだけ大きなブロックに分けて考えたほうが思わぬところに解決の糸口に利用できる共通鍵を見つけることも出来るのです、厳密に理屈立ててしまえば開くはずの無い錠前も共通鍵で開いてしまうこともあるのです、開く鍵はたった一つだと考えているのは常識を複雑にした人間の頭の中だけなのです、大事なのは鍵が開くかどうかであり、形状も材質も見た目も関係ありません、そしてそんな問題解決の共通鍵は常識に囚われずに探せば結構見つかったりしますし、そんな鍵が開けるコトが出来る錠前は現実の錠前に限らず、解決の困難な問題という錠前に置き換えても有効なのです、だから自分の人生の障壁に対する解決法も常識やこだわりを捨てて探せば必ず見つかるモノなのです、それは普段気づかないまま使っていた方法が共通鍵であったりもするのです・・・