世の中を自分の意思で歩いてみたくなる年代があります、背伸びをして大人の振りをしてみたり、授業を抜け出して近所の喫茶店で仲間とだべるコトから始まるのかも知れません、子供から大人へと成長する過程では多少の時の前後はあれ、世の中の矛盾が見え出し、自分の価値観や正義感が大人達のモノとは違うコトを知ります、親や先生達から半強制的に受けてきた教育そのモノにも疑問が沸き、受け入れることに素直になれず時として衝突します、子供は実利的です、嫌なことでも自分にとって利益と引き替えなら、その利益をみて辛抱しますが、本音は変わりませんのでストレスは溜まります、エネルギーがみなぎる若い世代には、時として自分を制御できなくなり家や学校を飛び出し、目的も定まらずただ街を徘徊したりします、そこには同じような想いの仲間や先輩がいたりして、様々な誘惑に取り巻かれることになります・・

 

 親の駄目駄目に反抗する為、恐る恐る手を出したしてはいけないコトも経験するし、経験してみれば何てこと無い事実も知り、先生の型にはまった教育も窮屈になり、型から飛び出して見ると先生にも矛盾が沢山あるコトが見てしまいます、親も先生も人間ですから間違いも起こしますし弱い部分もあります、子供を育てたり教育したりすることで、自身も成長して学んでいます、そして何よりも完全に大人に成りきれている人なんていませんそして大人になるというコトの定義すら定かではないのです、世の中のシステムに組み込まれ、あたかもロボットのように機械的に他人が造ったプログラムに沿って黙々と行動できるコトがそうなら、子供達は言う事を聞けるはずがありませんし、夢も希望も持てません、しかし現実の世の中は人間の人間味を失わせるような要求をしてきますし、強い個性や前例のない新しいシステム造りの芽を摘んでします所が確かにあります。

 

 そして世の中の人全てを乗せた大高速道路は何時も渋滞しています、本当はその道を進み続ければ少しずつでも前進しなくてはいけないのですが、現実にはそうはなっていません、業を煮やして車から降り、前方が見渡せる道路脇に出てみると、そんな道路脇の路側帯にも車が走っています、なんと違反を取り締まる車両も時たま走ってきます、そして遥か前方を眺めると不思議なことに路側帯を走っていた車だけでなく突然どこからともなく車がもっと先に割り込んでいます、まさかと思って道路脇から周囲を眺めると道路の裏側を走っている車もいるコトに気が付きます、がらがらの道路を高速で飛ばし頃合を計って遥か前方に割り込みます、世の中の大高速道路の横にはお金の川が流れています、このお金の川は普通の川とは反対に上流に行けば行くほど流量が大きくなっています、そして上流の人が殆んど引き込んでしまって下流まで流れてこないのです、だから人は上流を目指しますが、実際は行けども行けども進まないという体たらくです・・

 

 そして人は悟ります真面目に親や先生の言う通り頑張ってきた回答を、この世の中は何でもアリの自由なモノであるコトを、そしてその回答は自分が理不尽に対し疑いを持って車を一度降り、自分の眼で確かめなければ誰も教えてくれないコトだということを知ります、現実を見たところで自分も同じように出来るとは限りませんし、知ると出来るは違います、自分は自分なりの方策を練り実行しなければなりません、そして何より重要なことは世の中で教わってきた常識や限界の枠から飛び出さなければならないということです・・自分なりの物差しを拵え、全てを計測し直して見るコトが大事です・・・