中国の梁の武帝と天竺(インド)から中国に来て禅宗を広めたとされる菩提達磨
(ボーディダルマ)との問答です。(帝:武帝 師:達磨)
帝問曰 朕即位已來 造寺寫經度僧不可勝紀 有何功德
(帝問曰く 朕は即位してから 寺を造り、經を写し、僧を厚遇して来たが
どういった功徳が有るでしょうか? )
師曰 並無功德
(師曰く どれも功德は無いです)
帝曰 何以無功德
(帝曰く 何を以って功德が無いのです)
師曰 此但人天小果有漏之因 如影隨形雖有非實
(師曰く これらはただ、人の世の煩悩に因した小さな結果でしか有りません
形に随った影が如く、有ると雖も 実では有りません)
帝曰 如何是真功德
(帝曰く ではどのようなモノが 真の功德なのです)
答曰 淨智妙圓體自空寂 如是功德不以世求
(答えて曰く 純粋な智慧は変化自在で掴み切れなく、姿容たち自体にも実体は無いのです
だから功德の如しをこの世に求めることは出来ません)
帝又問 如何是聖諦第一義
(帝又問う では何をもって聖なる真理の理とするのです?)
師曰 廓然無聖
(師曰く わだかまり無き境地には聖なるモノも意味が無いのです)
帝曰 對朕者誰
(帝曰く 朕に対する者は誰れですか)・・(あなたは誰ですか)
師曰 不識
(師曰く 識りません)・・(対しているのは世の理そのものであり名前など有りません)
帝不領悟
(帝はその意味を悟れなかった)
師知機不契
(師は契りをもてない機会だったと知った)
インドで発祥した仏教の波は中国に伝わり発展し周囲の国々に広がりました、八百万の神々を奉る日本にも輸入され独自の発展を見せましたが後に伝わった密教の守護神は本家本元のインドではバラモン教やヒンドゥー教の神々であったのが中国で仏教と習合し日本にも再輸入されることになります、日本に直接密教を中国から持って来たのは空海と最澄です平安時代に遣唐使船に乗って正式な密教習得の学徒として派遣されたのは最澄でしたが、密教の本流は空海に流れます、恵果和尚に師事し、その才能と本質を見抜かれ数多くの先輩弟子達がいたにも係わらず密教の奥義を伝授されます、恵果は自身の全てを空海に伝授するとその目的を果たしたかのように入寂、その時点で空海は正式な継承者となりました、その後の中国での宗教の廃退と日本での密教の発展を見ると恵果の選択は正しかったと言えます、 空海は当初20年間の予定の滞在期間を目的は果たしたとたった2年で切り上げて帰国の途に着きます、切り上げて余剰したお金で法具や曼荼羅など密教に布教に欠かせない備品を急ピッチで揃え、世話になった人たちにも感謝のお礼をし、帰国の途に着きます帰国船に乗る前にも数ヶ月間精力的に土木技術や薬学などを学んだり、経典などを収集したり、その名の通りの大きな器を知識と智慧とで一杯にしてその後の布教に役立てました。
達磨大師が中国に伝えた禅宗とは宗派は異なりますが最終的に目指したところは同じです、大いなる智慧は伝承者を選択しその真実の力に人は集まります、達磨の死因は一説によると毒殺されたとも伝わっていますが、達磨の弟子の慧可は言われ無き罪で処刑されています、空海は自ら入定しました、真実を伝承する高僧たちはあまりまともな旅立ち方はしないようです、時の権力者勢力の迫害を受け、その環境の中で人生の最後の最後まで求道し学ぼうとする共通点があるのかも知れません、この人達にすれば、傍目から観て異常な死に様も学びの手段でしかなく恐れの対象でもない次のステップに移る通過点で、必要があれば自由自在に生まれ変われるのかも知れません、次の人生はどんな波乱万丈に満ちたモノにしようかと企画を練り、どんな過酷な環境でも周囲の指導者となるべく、自らの限界にチャレンジすることに使命感を持ち、持てる力を総動員し迷える人達に変化自在の妙圓を見せてくれるのでしょう・・・