例えばプロの設計士でなくても、自分で自分の住む家をああでもないこうでもないと頭の中やスケッチブックやパソコンの無料間取りソフトなどを使ってイメージを想い描きながら間取りの配置をしたりする時、人は楽しいので時間も忘れて没頭できます、あれこれなかなか想い通りの形にするのに考えて悩みますが何とか納得出来る間取りに漕ぎ着けます、別にプロの設計士が考えた間取りを選択しても全く変わることは無く、イメージに合う物件に出会うまで下見を何度も繰り返すことになり基本的には同じです、こんな作業も少々疲れはしますが楽しいモノです、そして作業を続けた先にはやはり納得出来る間取りに出会います、人は楽しく努力すると結果を手にし易くなります、次は調度品の配置したり揃えていったり作業はまだまだ沢山あるので続きますが、この部屋にはこんな照明、この場所にはこんなイメージのソファと実際に展示場で見たモノやネットで探したモノを間取りに配置し、何度も試行錯誤が繰り返された後、選択されます、しかし予算の問題も大事です、でも確固たるイメージが決ってしまえば、探す努力をするうちに不思議なコトに価格もそれなりに満足出来るモノが見つかります、楽しいイメージが現物を手の届く処まで連れて来るのです、そんな繰り返しで膨大な作業が片付いて往くのです。

 

 住まいの設計の場合は自分が育ってきた親の家のイメージが潜在的にあり、新築したり移り住む家はそのイメージに促されて漠然とどこか似た配置を選択してしまうし、またそんな配置に心が落ち着けます、摺り込まれたイメージ先行でモノごとが決っていくのです、家作りをする時は、それまで勉強すること無かった情報を一度に学ばなくてはなりませんので、ある意味頭が混乱しパニック状態になりますが、作業そのものは必要性があり、しくじれば後悔するのは自分だし、普段ものぐさな性格の人でも真剣になれます、これは完成した家に自分が幸せに住んでいるイメージをしっかり持てているからであり、そんな楽しいイメージが困難を乗り越えさせるのです、ソフトバンクの孫会長はよく脳みそ千切れるぐらい考えたという言葉を口にしていましたが、これも何度も何度もイメージを脳みそに摺り込んだということでしょう、彼のビジネスは一見不可能を可能にする躍進の連続です、イメージを脳みそに摺り込めば現実になることを誰よりも知り、マインドコントロールが自分自身で出来ているからに他ならないでしょう。

 

 家造りだけに留まらず、初めてパソコンに触れた時にもやはり自由に使いこなす自分のイメージを目指して知識を習得しタイピングを憶えます、自動車の運転にしたって必要に迫られてだけではなく、自由に運転できる自分を想い描いて関門を潜り向けます、もしそんなイメージが無ければ何時までたっても上手にならないし、途中で諦めてしまうかも知れません、難しいことや辛いことに負けるのではなく、イメージを持ち続けられない結果、自分に負けてしまうのです、逆に自在な自分を楽しく描ければ困難にも耐えれるし、不可能にしていたコトも可能だったというコトになってくるのです、これは自分個人が主体の事象なので、仮に周囲の人が皆反対しても関係有りません、周囲の一人一人の意見は自分を思ってくれてのコトだとして感謝し、自分が勝手に思い込んでいるイメージとして、もしかしたら周囲の人は自分を憎み自分を押しつぶそうとしているのでは無いかという邪心は自らを周囲に嫌われる状態に連れて行く愚かなモノの見方だと知らなくてはなりません、最後まで自分の人生の主人公は自分なので周囲の人が周りから自分に石つぶてを投げたとしても、自分が招いて望んだコトなのです、自分がそんなイメージを消し去り、周囲と仲良くするイメージに置き換えて摺り込めるなら、自分は変わり、周りは変わるまでもなく援け合うことも可能になるのです。

 

 そんなイメージを見ることを正しいモノごとの見方即ち正見だと仏様も悟ったのかも知れません、ジョンレノンは名曲イマジンで人はイメージすることで世界も変えれると訴えていました、自分の人生は自分が主人公なので自分が住む町も国も世界も自分の思い描く通りのモノになるのです、平和で争いのない世界を確固たる映像としてイメージを固定し行動できるなら破滅に向かうと思わせる悪条件がいくら沢山目に入ってきても自分は自分の理想的なパラレルワールドに住めるコトになるのです、どうせ同じ一生なら住み易い家にお気に入りの調度品に囲まれて大好きな仲間とパーティー出来たら楽しいじゃないですか・・・