お爺さんは山に柴刈りに・・煮炊きモノをするには燃料の収拾は欠かせません、暖房にも使われたでしょう、燃やせば灰になってしまうので相当な量のストックが必要だったはずです、しかし昔昔の田舎の村で年寄りの夫婦が二人きりで住んでいて自給自足していたなら、農作業もしたでしょうし、狩猟採集にも出かけたことでしょう、山に登って重い柴を背負って降りてくる仕事は男の仕事で、お婆さんは川に洗濯に・・の作業と対になる形で柴刈りという作業の選択が無難だったのかも知れません、川で洗濯をするのも確実に手洗いの重労働なので、その労働に対してお爺さんが山にきのこ採りでも木の実の採集でもバランスが取れません、といって猪狩りや鹿狩りでは子供向けの童話には少し刺激がキツイくお爺さんは年寄りで無理があるので採用が見送られたのかも知れません、お爺さんは山から降りてきて、お婆さんは川から上がってきてその後一緒に農作業というのが一般的な昔の暮らしでしょう。

 

 そんな日常の中で変化が起こります、突然子供を授かったのです、子供が無かったので
歓喜して育てたでしょうが高齢の夫婦には余り時間も残っていません、この時点で夫婦はいくつ位だったのでしょうか?昔の平均寿命は今ほど長くは有りません、長くて60歳前後、早ければ50歳前後だったでしょう、桃太郎が鬼退治に出かける年が、いくら異常な発育を見せたとしても10歳では無理があります、きび団子の力にモノを言わせ子分をつくり、徒労を組んで殴り込みをかけたとしても、せめて15歳程度には成っていて初めて悪党の鬼共と戦えるでしょう、なら夫婦が桃太郎を授かった年は遅くて45歳早ければ35歳ですが少しイメージしにくいので間の40歳前後が無難でしょう、現在の感覚では少し若いように感じますが40歳は20歳で産んだ子供が20歳で子供を産めば充分本当のお祖父ちゃんやお祖母ちゃんに成れる年齢ではあります、そして桃太郎が出征したのが夫婦が55歳前後頃なら既に平均寿命の域です、桃太郎が孝行して恩返しする時間に猶予はありません、一気に財を築く必要があったのでしょう、そこで鬼退治が発案されます、退治されるからには鬼は悪逆非道の行いをするモノとの脚色が必要になります、歴史は勝者が自分の都合の良いように編纂される宿命を持ちます、桃太郎の伝説が桃の産地の岡山がその発祥地であるなら、鬼ヶ島は瀬戸内海に数多く浮かぶ島の一つでしょう、彼らは本当はどんな連中だったのでしょうか?

 

 実際に魔物の類であるならそれ以上の推測は無意味なので、あくまで現実に生きた人間として仮定すると彼らは海賊だったのでしょうか?鬼伝説そのものは日本各地に伝わっています、逆に島に拠点を持つ方が珍しいパターンです、いずれにせよ島に拠点があり時折村に渡ってきては略奪強奪の悪事をした訳ですから、海賊ともいえるでしょう、実際に瀬戸内海で海賊が暴れた時代もありました、ただ確実に言えることは彼らは船を利用した人達であった
ということです、それと出で立ち、鬼の棲家は一般的には山奥であることが多いです、彼らは山奥で何をしていたのでしょう、ジブリの映画にもののけ姫という映画がありました、山奥に製鉄所を造り彼らはタタラ場と呼んでいましたが主人公の姫は自然を破壊するその勢力と、もののけ達の力を借りて一人戦っていました、昔の製鉄は想像以上の木材を燃料として消費しました、タタラの語源も日本とつながりの深い半島の南の伽耶諸国の一つである多良(多羅)地域との関連を連想させます、木を燃やし尽くすとタタラ場自体も移動します、大量の木材で鉄鉱石をや蹉跌を含む岩石を溶かし鉄の塊と交換したのです、そしてその鉄の塊を打ちつけ様々な鉄製品に加工しました、一番需要があったのは映画のように武器だったかも知れません、鬼達はそんな製鉄や鉄製品をつくる人たちだったのかも知れません、山から山へ移り住み時折製品の売買に山から降りてきては顧客である資産家である領主と接触していた可能性もあるでしょう、ただ一般の住民からは余り存在を知られる必要も無く、武器を持っているという事実は悪事にも利用されとも考えられます、製鉄文化は半島から渡ってきています、彼らは海を渡る船の技術と製鉄から加工までの技術を携えてやって来ました、過酷で危険な焼かれた鉄の扱いを知り、材木を切り重い原料や製品を運ぶ作業の為、強靭な体躯になります、そして火の粉対策で動物の毛皮を纏ったのでしょう、中でも虎の毛皮は国内では手に入りません、とても丈夫で火傷から身を守れます、それでも溶けた鉄の火の粉は顔や身体に浴び炉前作業の為赤銅色に焼けていたことも推測されます、手に金槌や山の暮らしで熊対策用で半島で虎退治に使った金棒を持って来たことも考えられます、これらを組み合わせると赤鬼の誕生です、そして鬼に欠かせないのが角ですが、これは半島からやってきたツヌガアラシト(角がある人)の名が示すように戦闘用の甲(ヘルメット)を被っていたともいえます、昔の武士の甲冑の甲にも鍬形のように甲冑で隠されてしまう人物の表示として意匠を競ったのかも知れません、逆に影武者にも利用できます。

 

 罪の無い一般人に乱暴狼藉は許されることの無い行為であり処罰の対象となっても文句は言えませんが、異国に赴けば、現在でも力の暴走を管理統制する事は容易なことではありません、目に余る状況になれば権力が動き退治されることに成ります、今やそんな史実が合ったとしてもそれなりに歪曲され日本の伝説や風習の中に溶け込み、少し怖いが憎みきれないキャラクターとなっています・・本当は鬼達がもたらした文化の功績もあった筈です、鉄の文化は刀や鉄砲の武器だけではなく鋤や鍬を始めとする農耕器具をも生み出し農業の生産性に寄与もしましたので彼らは功罪ともにもたらしたのですが、鬼達の血脈は日本の歴史に溶け込み消すに消せない存在を子供に対する勧善懲悪のお手本として悪役の部分を演じさせることによって伝え続けられています・・・