人はずっと子供のままででいたくても、気が付けば時は過ぎ大人になっています、遣り残したことが有ろうが無かろうかお構いなしです、人生の終焉を迎える人に、自分の人生を語らせると口を揃えて、あの時もっと遣っておくべきだったと言うそうです、行動できるのは生きている間だけですその時々にやるべき行動があり、時間を遡って埋め合わせはできません、人は今にしか生きられないのです、今やるべきことは選択出来ます、どんな選択をしても自分の人生は死ぬまで続きます、こつこつと坂道を登ろうが、ゴロゴロと転がり落ちようが、自分の勝手です、ただ勝っての代償は受けます、食べ物を拒めば痩せ衰えてやる気力を無くし、摂り過ぎれば肥満し動き辛くなり、やりたくても身動きとれなくなるかも知れません、毎日の食事から摂れる栄養は身体を生かす為に必要ですが、食べて行動するエネルギーにも変換されるのです、モノを考えるときも、筋肉を動かす時もそんなエネルギーを消費します、人はそのことを無意識に分かっています、忙しく動き回らなくてはならない時は何時もより沢山食べ、力を蓄えて準備します、しっかり食べてもスポーツ選手のように運動量が多ければ肥満することはありませんが、一般の人は摂取した量に見合う行動を心掛けなければ、体が重くなり逆に行動を阻害されることになります、忙しいビジネスマンは精力的に活動する為に沢山取り入れ、摂り過ぎて成人病を抱え込むこともあります、人は体の大きさで燃費も変わってくるのでしょうが、俗に言う腹八分目に抑えるくらいが丁度良いのでしょう、本当に足りない時は足せば良いし、余ってしまった時は取り出すわけにはいきません。

 

 世の中はどんどん便利に成っていきます、これは止めることは出来ません便利さを手に入れれば人の手間が省かれます、ポストに投函していた郵便はE-MAILに添付すれば事が済むようになり、はがきで挨拶状を受け取っても、必要な内容は電子ファイリングされます、今は過渡期にあるのでしょう、次の世代には内容証明郵便ですら電子化される事になるでしょう、人間の仕事は辛く危険なモノからロボット化されているし、最新機械は多機能化され設置場所も節約します、3Dプリンターの活用は多くの可能性をもたらしますし、人の手造りでは想像出来ないような造形も可能になってきました、機械には人の出来ること以上のことが出来ます、力も、計算も、耐衝撃性も放射能や毒ガスも何のその、月面でだって仕事が出来ます、何時だったかアマゾンがドローンを使って宅配の荷物を届けるテストをしていましたが一部では実用化もされているようです、どこの病院だったか廊下の天井の隅にレールが張り巡らせ、患者のカルテをコンテナに入れ目的場所まで届ける作業を視て感心しましたが、新しい建物は設計時に目的に沿った合理化が計られ機能ビルとなっていきます、都心に建てられるインテリジェンスビルはその建物中に生活に関係する全ての利便性が集まり、そこに住み、そこで働き、そこで運動し、そこで学べます、具合が悪ければそこで診て貰い、お腹が減ればそこで食べれます、オマケにセキュリティーも最強で、一歩もビルから出ること無しに篭城生活も可能です、但しそこに住むことが出来るのは誰よりも高額なサービス料を負担できる高所得者のみです、ある意味成功の目に見える象徴ともなっています。

 

 人は成功すると何故か高いところに住みたがります、タワービルが高層化すればする程社会的には逆の立場の階層が増えます、面白いことにほんの一握りのペントハウスの住人と路上で寝起きしている人達には共通点があります、必要以上に動こうとはしません、前者は全てサービスにやってもらい動く必要が無く、後者は必要最小限度の体力の消費を心掛ける為かもしれません、前者は何でも食べたいモノを食べれますが後者は食べれるモノは何でも食べます、前者は健康の為に多少の運動をし、後者は多少の運動をして生きる糧を得ます、両者とも世間で目立つ存在です、前者と後者は何が違うのでしょう?どこで道が分かれたのでしょう?実はこの両極の存在は世の中の矛盾の裏表の関係なのです、光が当たり過ぎたから影が濃く出るように、見る方向が反対なだけで実は良く似た存在なのです、命の尊厳も変わることはありませんし、良いことも悪いこともそれなりにやってきたのも同じです、どちらも人生の生き方を自分で選択したのも同じです、両者ともその行く末を確認したことは有りませんが、ペントハウスの住人は常に入れ替っているようにも思います、渡り鳥がΛの字になって飛ぶ時、先頭が時折入れ替り交代するように、いずれは順番が替わって行くものなのでしょう・・

 

 人間はあまり利便さに囚われてしまうと、本来のリズムや在り方から遠ざかってしまいます、昔の暮らしに戻れと言う訳では有りませんが、利便さの対価であるお金の有り難みを疎かにすると、墜落することにもなります、高みに昇れば昇るほどリスクが大きくなります、高みに君臨して暮す人にも路上で暮らす人にもそれなりの役割があります、ビルにセキュリティが確保されていても、守ってくれるのはいる間だけです、住人が入れ替って出てしまえば、それまで当たり前のように守って貰っていた脆弱な個人の防御機能は世間の風に晒され、守られる前以上の冷たさで生身に突き刺さって来ることに成ります、そんな人生の極端な上がり下がりはそれを観る人に注意喚起を呼ぶ一例となる役割を果たすと共に、驕れるモノ久しからずと言う教訓を身をもって知らしめるお手本となるのです、オリンピックの金メダリストは毎回変わります、稀に連覇する優秀な選手も現れますが特例です、そして一度ランクが下がりだしたら、返り咲くことは至難のワザと成ります、一瞬誰よりも輝いて消えていく人生も悪くはありません、でも眩しくは輝かずとも長く光っていられるならそんな人生も悪くは有りません、高みに昇れる力を温存して時間に変えれば長生き出来るし、人生のリスクも減ると言うモノです、人生の終焉を迎えてもっと遣っておけばよかったと回想する人は安全に長生き出来た人でもあります、やりたいことをみんなやった人の最後は悔いも無いでしょうがそんな回想する余裕も無かったでしょう、だから世間では死ぬ間際にやるべきことはやり終えたというセリフは伝わって来ないのです、周囲はそう評価するかも知れませんが、今をどんなに懸命に生きても足りてしまうことは無いくらいやることは無尽蔵にあるのです、人も最高速度で走り続けることは出来ませんし、限界もあります、遣っておけば答えが変わったかも知れませんが、必ず良い方向に変わったとする保証も無いのです、時間を遡ってやり直すことも叶いません、だから今やることを精一杯やればそれがBESTなのです・・ただ便利なモノにはお金が掛かり頼ってしまうことにもなるので時々はいろんな作業を手作業でやって見たら、お金の有り難味も再確認することになるかも知れません・・・