阿吽という言葉があります、私はお寺の山門の左右に立ち仏法を護る仁王像で知りましたが、阿形と吽形で一対をなし密教では始まりと終わりの意味もあるようです、仁王自体は金剛力士と呼ばれるくらい筋骨隆々の体躯に阿形は口を開き聞こえない言葉を発し、吽形は口を硬く閉じ仏の教えを飲み込んで話さない意思を表現するのか、どちらも憤怒の表情の巨人で、道で出会えば、プロレスラーでも絶対敵いそうの無い、大人でも泣き出してしまいそうな怖い貌をしています、言葉を発することで始まり、言葉を飲み込むことで完成となす、日本語も五十音も あ から始まりますし、そして ん(うん)が最後の音に配置され終わりになります、密教では観音菩薩の呪文もうんで締められるようですし、梵語そのモノ最終の字音でもあるようです。

 

 うんと言えば、運が思い浮かび、うんと頷くYESの返事でもあり、子供達が大人に嗜められても可笑しくて口にしてしまう、うんこやうんちのことでもあります、子供達にすれば、オムツを卒業する為に親から、う~ん、う~んときばりなさいと教わったのに、自分達が言葉にすると叱られるのには理不尽さを感じ、駄目と言われれば逆にもっと言いたくなるモノなのか、子供達共通のお笑いギャクになっています、昔、当時3歳前後の甥っ子と何処かの温泉で浴場に行った時、同じような年頃の女の子が父親のような保護者に連れられて入っていました、お互いに恥ずかしさも感じないのでしょうが、男湯に女の子がいると意識はしたようです、次の瞬間、甥っ子は両手をブンブン肩から回し為しながら、女の子の目の前を うんこプリプリ~と言いながら走って行きました、おいコラ何をしだすんだ!と少し焦りましたが女の子は可笑しくて思わず吹き出しています、甥っ子に目を移すと、よしツカミはOKみたいな納得した表情をしています、その後どこからきたの?とか、コミニュケーションを始めていたのを感心して眺めていたことも思い出します、 うんこは運に通じ返事のうんにも繫がった出来事でした。

 

 言葉の意味はかけ離れていても音が同じならば何処かに共通点があるモノなのかもしれません、うんは余り上品な返事ではありませんが日本語のハイのような上下関係を感じさせない、自発的な納得や同意を表現しているようにも感じます、子供はうんと言えば納得してくれていて、ハイとは子供にとって言わされている返事なのかもしれません、 韓国語ではうんこのことをトンと言います、そして同時にトンはお金のことでもあります、語源は知る術もありませんが、浄化槽や下水が整備される前は、大小便を溜めておく層があり、時折バキュームカーで吸い取って持っていってもらう必要がありました、集められた大小便がすべて同じ処理
方法で処分されるかどうかは存じませんが、処理場で微生物を使い無害化して最終的には海に流されるのでしょうが、ある地域では、うんこ船という小型タンカーに積み込み沿岸に影響の無い沖合いに出て放棄し海の自然処理能力に任せていると言う話を聞いたこともあります、大小便なら海に流しても多少大腸菌に汚染されるかも知れませんが浄化されるようにも思いますが、放射性廃棄物はそうは行きません、食物連鎖の中に入り込み海洋生物が汚染され、それを食べる人間に戻ってくることになります、昔、ロシアがソビエト連邦時代に現在は知りませんが国の核廃棄物を日本海に投棄していたことがありました、いくら自国の排他的経済水域(EEZ)とは言え海流は巡ります、しかしこの無謀な行為を止めるは容易くありません、そんな自国のエゴから発する問題は山ほどあります、二国間だけでも解決しない問題もあります、うんをローマ字でUNと書けばそれは国際連合を意味します、国際連合では国際的な合意を見ることが重要な課題になるし、国際的な紛争に対し、解決の指針を決め強制力はありませんが多数決の判断基準にはなっています、問題の解決には必ずお金が掛かります。

 

 大小便をバキュームカーで運んでもらう前は、時折お百姓さんが肥え桶で運んでくれました、肥溜めに溜めておき醗酵を促し、畑の作物の肥料としたのです現在では衛生上の問題や寄生虫のリスクの為や、より効力の見込める科学肥料が多用されるようになり、殆んど見かけなくもなりましたが、元来有機肥料としての価値があり、お百姓さんはお礼として大根とか作物置いていってくれもしたそうです、うんこがお金になったのです、近年は出来るだけ自然の条件の有機能法で育てられた作物が見直されたりもしています、ある意味、うんこは動植物を食べることによりお腹の中で消化され、必要な栄養やエネルギーに変換され食べたモノを活かし、最後は自然に取り込まれ動植物を育てる終わりと始まりの役目を担っているとも言えます、 あ の口でモノを食べ うん ときばって 排泄します、それが生きるということであり、大自然との繫がりそのモノともいえる部分があります。

 

 人間は大自然の中で生まれ、育まれ、繫がって現在に至っています、大自然から食物を貰い、大自然に戻します、戻したモノはまた巡るので、毒は流せば自分が苦しむことになるのです、大自然が分解出来ないようなものを排泄してはいけないし、精神的にも身体的にも健康に気をつけることが必要なのです、そのバランスが崩れ、新しい病気の原因となるウィルスを蔓延させることにも繫がるのです、病気は全ての人にはかかりません、健康のバランスを失った人にかかり、増殖され、流行に至ります、だから健康維持は重要なのです、暴飲暴食はもとより、本当に身体に良いモノを食べ、世間の風潮に流されて訳の判らない薬に頼らず、ストレスも溜め込まず、自然と一体になる生き方を意識すると大自然の妙なる運とお金の恩恵も受けられると言うものです・・・