苦は草冠に古いと書きます、樹木が古い、即ち年代を重ねることで表わせるモノ、植物は大地に根を降ろし、水分を確保します、水さえあれば植物は空気中の二酸化炭素と太陽の光から炭水化物を合成出来ます、所謂、光合成ですが、植物は根を張るが為に、容易に移動が出来ません、土中深く根を降ろせても、それ以上の行動はできません、動けるのが動物で動けないのが植物です、植物は陽の光と水と土がある限り生きて行けます、万一雨が降ら無ければ、雨が降るまで只ひたすら耐えて待つしかありません、手持ちの水分を大切に消費しながら・・次の雨まで持ち堪えることが出来なければ枯れてしまう事になります。
しかし大自然は何時の日か再び雨を降らせ、枯れる寸前の植物は息を吹き返します、そんな試練を繰り返し樹木は齢を重ねます、何百年も年を過ぎて古い樹木となる事を苦といいます、苦とは報われるまで耐えることです、人は動物です、同じ場所に縛られる必要もありませんし、積極的に行動も可能です、その行動している期間を労といいます、耐えて行動する期間を苦労と表現するので、苦労は時が過ぎれば報われることになります、行動することが条件になりますが・・何時までも報われることが無いなら、行動の仕方が拙いのでしょう、若しくは行動の結果を誰かに横取りされています、しかし行動した実績は横取りされることはありません、植物は自身は行動できませんが子孫は動物の力を借りて移動させようとします、種子を自分の足元に落とせば、運よく芽吹いても自分と競合することになるので、少しでも離れた地に着地させようと、羽を付けたり、竹とんぼのように回転しながら落下し距離を稼ぐ種もあったり、ころころ転がって離れる種子もあります、美味しい果実で誘惑し鳥や小動物に運んでもらったりするのですが、リスなどは食料保管の目的で土に穴を掘り埋めてまでくれます、そしてその埋めた場所を忘れてそこから芽吹くこともあるようですし、たとえ食べられても、消化されることなく排出されることもあるそうです。
遺伝子は花の蜜を提供することで虫達をおびき寄せ花粉が足に付いて花から花へ飛び回る虫たちに便乗し効率よく移動します、大量に風に乗せて撒き散らせる花粉は大移動が可能だし花粉症の人達の目や鼻の粘膜に着地し困らせてもくれます、自然に撒き散らされた花粉はダニが食べたり、雨に流されれば川や海の微生物が食べることに成るのでしょう、その微生物はプランクトンや稚魚の餌になり食物連鎖の基盤となっていきます、人は木材の確保の為に杉や桧を大量に植林して自然のバランスを崩してしまいました、人の生活圏に舞い降りる花粉はダニが食べそのダニは蜘蛛が食べたりそれなりにバランスがあったのですが、そのバランスが処理しきれない大量の花粉は人の都合で増やされたのです、近代建築はそんなダニの住処も奪い人はダニを食べる蜘蛛さえも嫌います。
花粉症はアレルギー反応なので人の免疫系のシステムが人体に害をなす異物とする認定が刷り込まれることにより症状が発現されます、そして一度なされた認定は覆りません、家の中では空気清浄機で花粉もダニの死骸などのハウスダストをある程度除去できますが、外出時に空気清浄機を背負う事も無理があります、効果の望めるマスクをしたりゴーグルを掛けたり近年問題になっているPM2.5や、より毒性の強い煤塵あり、なかなか防ぐという考えでは限界があるようです、最悪放射能なんかも舞っています、しかし考えてみれば、すべて人間が自ら撒いた種です、人には自然を汚した責任があります、人を殺す武器を造る前にそのお金を自分達と自然の命を護る超大型煤塵除去タワーでも設造すべきなのです、そのタワーに発電機能でも持たせれば一挙両得です。
そして人間は免疫反応を含めて綺麗好き過ぎるのです、綺麗にする事は良いことですが、度を過ぎれば副作用に見舞われるのです、人間が増やし過ぎた花粉を含めた煤塵を除去する努力をしながら人間の方も少々のアレルギー源が在ってもいちいち過敏に反応しなくてもいい肉体改造が必要なのです、マラソンの選手が空気の薄い高地で一定期間練習し、その血液量自体を増やし持久力を増強させるように、少しずつ花粉そのものに慣れる練習をし、免疫細胞に攻撃対象では無いと教え込む方策を考えていけば良いかも知れません、抗ヒスタミン剤やその他の新薬で思わぬ副作用のリスクを患者に背負わせながら、お金儲けばかりを計算して、本当に人間に必要な研究をなおざりにせず突き詰めていくべきなのです、少々のゴミが鼻の粘膜に溜まったって鼻を咬めば良いのです、いちいち過剰に反応することはないしそんな弱い身体にするお薬も要らないのです、蜂は花粉にまぶされても花粉症なんか発症しません、もっと積極的に虫に学ぶべきなのです、答えはその辺りにあるかもしれません・・・