商売は綺麗ごとでは上手くいかないとか、相手を裏切ったり出し抜いたりとか、生き馬の目を抜くとかの表現をされることがあり、同時に信用を重んじ、商売道徳を守り、義理を欠いてはいけないとか相反する心得も混在します、こと商売に関しては全て合っていて、時と場合、扱うアイテムよっては複数同時でも正しいと言えるでしょう、商売をする上で大事なことは利ざやを抜けるかどうかであって、綺麗か汚いかは二の次です、これは国同士の貿易取引も同じでしょう国益の無い取引は出来ません、ただ後々の見返りを計算して無償援助をすると言うのは有り得ます、インターネットの普及が進みつつある時大手プロバイダーがモデムを無償で配布したりして結局、すぐに先行投資を取り戻し契約を増やすことによりぼろ儲けしています、1円携帯を売ってみたり、最近でもWiFiルーターをバラ撒き、2匹目のドジョウを狙ったようですが、そういった一見、慈善事業を装ったからくり商法もあります、でもこれは悪い流れではありません、それまで王様商売を独占して有無を言わさず搾取を続けていた元公社のシェアを市場拡大と同時に自由競争が許可され顧客の取り合いによるサービス合戦の部分もあり、結果として顧客のメリットが出るなら非難されることも無いでしょう、但し元公社側から見れば苦々しくしか見えないでしょうが・・
国同士の貿易不均衡は相手国の対抗要件次第では、営業努力を重ねた結果であっても
儲け過ぎている企業に対し半強制的に投資を強要されたりもします、所変われば法律も変わるので、言い掛りや因縁めいた裁判に掛けられ一方的な判決で莫大な賠償金を取り上げられることもあります、先日まで東南アジアを歴訪していた金髪の大統領の商売は自国の国力のこれ見よがしのアピールと、まるで年貢の取立てのような売り付けでした、元々商売人のこの人にとっては国際舞台で商売冥利に尽きるモノであったでしょう・・
一般の商売でもこんな売り付けは横行しています、上会社が下請けや系列企業に負担を押し付けたりします、最悪は親亀こけたら小亀、孫亀皆こけるじゃないですが、連鎖倒産にも繫がります、これが嫌なら親会社一軒にしがみつくスタイルを改め、自社独自のブランド力を高めるしかありませんし、最近はそんな流れになってきています、雲行きが極めて怪しくなった日本の中小企業が率先して進めるべき道の模索が急を要するでしょう、一時期の海外進出でコストダウンの必要があった大手企業は、その財力にモノを言わせ進出国の一等地に支社ビルを準備しましたが、下請け孫請けに同行することを強要しそのビルに入れました、家賃や供託金はしっかり徴収し、大手企業はビルの一番上の階にほぼ負担なしに陣取り、利潤のみを吸い上げます、そしてカントリーリスクが上がってきた頃合を観ていち早く、下の階の企業を残し撤退します、真ん中の階の下請け企業はどうにか被害が少ないうちに孫請け企業に負担を押し付けしんがりを務めさせます、下手をすると孫請けは上会社を逃がす為に大損害を被り、最悪破綻もします。
日本の大手企業はそうして大きくなってきた部分もあるのです、しかしその技術力や開発力を支えてきたのは下請け以下の会社達です、実はこの会社達こそ日本の底力で屋台骨で在ったのですが、こんな階層の会社を疎かにしたことで文字どうり、屋台骨が揺らいでいます、この切捨て御免の精神は武士の次代からありましたが、今銀行が企業を切り捨て、監督省庁がその位置に胡坐をかき、その上の行政が強国の言いなりにカツ揚げされているようでは、日本の屋台骨も揺らぐことになります、相手が誰であったって、もっと智慧を絞って底力を護れる交渉が望まれるところです、つい最近も大きく揺れたじゃないですか、コストカッターと異名をとる人が社長の会社の工場が、四番目の男とあだ名された小物が行政の長を担当した時に、大きな天変地異が罪無き国民の言葉に出来ない犠牲と共に今もなお手の付けようの無い後遺症を残して・・せめて学ぶことは出来るはずです、そんな商法がどんな結果を生んだか・・
相手を裏切ったり出し抜いたりすると、確かに当面の間はその恩恵を授かることが出来ます、ただそれは信用を換金したのと同じなのでその分を使い果たすと、また同じ事を繰り返すしかなくなり、誰からも相手にされなくなるまで、新しい被害者を新規開拓の旅に出ることが
余儀なくされます、元には戻れません、商売に欠かせないものは売る人と買う人があるということです、信用は人間関係です人間関係は結構換金出来てしまいます、悪徳高利貸しも貸す本人よりも保証してくれる人の財力を見て貸し付けたりします、人間関係を失うことはこの売る人買う人を最終的に失うことに繫がるのです、だからこの商法は常に続けることは出来ないモノなのです、生き馬の目を抜くとはまだ売り物ではないがいずれ売り物になると予測できれば、早く売り物にさせるべく唾を付けるだけではなく、造作出来るものはしてしまうということです、ある意味犯罪の匂いも漂います、チャップリンのKIDというサイレント映画で、窓ガラスの交換を生業とする男が元捨子の息子と組んで子供が前もって投石して窓ガラスを割って回り、タイミングよく現場にいた男が修理の依頼を受けるといった商法や、タイヤのパンク修理屋が、自ら夜中徘徊してタイヤをパンクさせて廻り、修理依頼を待つと言ったモノに通じたところがあります、実際に一代で大きく成長した企業を創った創業者のこんな話を聞いたことがあります、ある下請け会社に商品を大量発注する、その発注量に応じて最大限の値引きをし、信用取引で発注する、此処が味噌です、あくまで信用での発注なので正式契約書は交わしません、これは下請けが孫請けに発注する時よくあるスタイルです、お得意様にはそういうかしこまったことも出来ません、そして時間が無いとか競合との兼ね合いがあるとか言い先行で生産に入らせます、そして在庫が準備できた頃を見計らって、計画変更を告げ見捨てます、下請け会社は非常に困ります、大量に造ってしまった商品の全ての経費の請求が来ますが、払うめどは消え去っています、為す術も無く上会社に泣きつくしかありません、そこで、値引きした価格をもう半分以下に叩いて救済してやっても良いという案を出します、泣く泣く商品を格安で取られ、それで会社がおかしくなると今度は格安でその会社を自分のモノにします、被害会社は訴訟しても勝てる見込みはありません、一方的な信用が仇となり、欲に自ら目を閉じた結果ですが、失ったものは余りにも大きく酷すぎる仕打ちです、でも上会社は同じようなことを繰り返し、急成長し、代表は、法的にお咎めを受ける事が無いならそれは選択すべき商売の一つのスタイルだと嘯いています。
いくら商材が魅力的でも扱う人が信用できなければ誰も近づきません、結果商売できなくなるので商売人は商売道徳を守り、信用を重んじることをことさらアピールするのです、およそ屋号に信用の文字が付く業種は、本来の信用とはかけ離れた仕事をしているモノです、でも道徳があろうが、義理を通そうが、世間には様々な商売スタイルが同時に混在しています、そしてプロの詐欺師に詐欺の試合では勝てることはありませんし、損失の一切ないノーリスクの商売も無いのです、そんな海千山千の腹を空かした狼やハイエナがうろうろしている中でしのぎを削り合うのが商売の世界とも言えます、咬まれたら咬み返す、取られたら取り返すそんな心意気も必要です、そしてもう一つ商売に大事なものが在ります、それは感です、目に見えるモノや提示されるモノで全てを判断せず、もし以前に上手くいった先例があっても、一つずつのビジネスにあたり、予想出来る利益に囚われず別個に感じてみることが大事なのです、あくまで自分のビジネスとして自分を中心に据えて判断し、危ないと感じたら、いくら美味しそうな饅頭でも手を伸ばしてはいけません、勇気を持って断らなくては大事にしてきたモノを失ってしまうことも有り得るのです。
商売はモノと金の交換です、モノの値打ちより高く売れることはありませんし高く買う必要も無いのです、モノとモノ、モノと金、金と金は本来等価のはずです、買ってやるのと同時に売ってやるなのです、立場を替えて危ないと感じたら買っても売ってもいけません、そこにはこいつを丸裸にして喰らってやろうと想っている人も実際いるのです、そんな人に義理立ても無用です、そんな割り切りに自信がない人は商売人には向いていません、他のお仕事を目指しましょう・・毒入り饅頭要注意です・・・