お酒は飲める人と飲めない人がいます、機能的に駄目な人に無理やり飲ますと非常に危険です、飲める人には何でも無くても、受付けない人からすると命取りにもなり兼ねません、でも飲めなくても雰囲気を楽しめる人がいます、お酒は人を陽気にし、一番外側のバリアを外す効果があります、お酒がまわると急にふさぎ込んだり、逆に饒舌になったり、抑えていた本音を晒け出したり、暴力的になったり、泣き出す人もいます、適度なお酒は精神衛生上とても良い薬になったりもしますが、飲みすぎると中毒症状を誘発し、人間性そのものも失うこともあります、受付けなくても全然問題はありませんが、少し飲めたら、会話も弾むと言うものです、ほんの少しの肴が有れば充分で、本当の酒飲みは、塩粒を嘗めても飲めるそうです、世界中でお酒の無い国は在りません、お酒そのものには香りと口当たりと、風味と喉越ししか有りません、お酒を飲んで酔えることがお酒を美味くしているのです、そしてほろ酔い気分はとても良い気分になれます、気分をよく出来るから接待にも使われます、勘定を気にする必要の無いお酒もまた格別です、ゲストを満足させる必要がある時は酔えませんし飲めません、でも話しはしっかり聞いて時折相槌を打つことも必須です、近年は女性も社会に進出し、お酒の席での主役になることも全然普通になっています、しかし男女同席の酒席は勢い次第で失敗も成功もどちらのドラマにも発展します、バリアと同時に抑制のタガが外れてしまうこともあるので下手を打つと一生の不覚の事態にもなり得ます、でも私はそんなお酒が大好きです・・
昔中国の地方に出張した時、どこに行っても、遠いところ良く来た歓迎と昼間から酒を振舞われました、円座を七~八人で囲み一言挨拶しては乾杯が続きます、しかもお酒はパイチュウです弱いモノで40度、所によれば60度なんてモノも出てきます、しかも一気飲みが礼儀です、一緒に同席した仕事仲間は、余り強いほうでは無かったので、三人目の乾杯でダウンしてます、私までダウンすれば確実に舐められてしまうので、覚悟を決めて付き合います、味も香りもアルコールそのもので火を付ければ恐らく炎がたちます、喉越しは強烈で、食道を焼きながら胃に流れていきます、このままでは胃に穴があきそうなので、何か肴を押し込みたいのですが、皿に盛られた料理は、豚肉の脂身で赤身が見えません、その隣の皿には、カラスの足首の様な真っ黒な鳥の足首が山盛り、私は大概のお料理は好き嫌い無く戴くことが出来るのですが、これらは流石にちょっと、食指を伸ばすことが躊躇われました、私が手を伸ばせるモノは落花生を茹でたモノしか見当たりません、でもメイン料理に手をつけずにいると、抗議が入ります、我々が食べたくて食べたくて仕方が無いのを君たちの為に遠慮して手を付けずにいるのに何故一口も食べないのだ、と、いえいえどうぞ遠慮なんか為さらずにお好きなだけ召し上がって下さいと言うと、円座の周囲から取り合うように手が伸びてきて平らげてくれました、どうにか私一人は最後まで付き合いなんとか面目を保つことが出来ましたが、さすがにきつい思い出となりました、あんなお酒で毎日慣らされていたら、日本の清酒なんて水みたいで酒じゃないと言われそうです、でも肴の方は、きっと美味しいと言ってくれると思います・・
酒は百薬の長と云われました、適度に嗜めば、飲む人の気持ちがすこし高揚し場が楽しくなります、飲みすぎると逆に落ち込む事も、泣き出すこともあるくらい感情が刺激され不安定になります、お酒はカロリーも高いので、健康管理している人には注意が必要です、ビジネスマンが接待で乾杯してから夕食を摂り、酒席に移動し話しこんで量を増やし、悪酔いの防止で肴を押し込み最後は汁物で仕上げなんてリズムで日常を送っていると、見る見るうちにメタポ体形に変身し、成人病の最有力候補の仲間入りとなります、飲むと勢いが付くので、制御が難しくなります、飲んだ勢いは怖いモノがあります、駄目と分かりつつと言うよりも駄目だという自制心がお酒で薄くなりついつい一線を越えてしまします、飲酒運転然り、公衆道徳や、人倫を乱すことなど、お酒に纏わる事故事件が連日のように報道されています、銃規制問題とも共通点があります、責任は持つ人飲む人に委ねられますが、所持したり飲んだりした後と前では、選択の可能性の進路が変わります、護身の為であったって所持すれば撃ちたくなり、いざと言う時の備えで練習もされるでしょう、飲んでしまって酔い自制のタガが緩めば、飲む前の強い意識もどこ吹く風状態で、準犯罪への扉を開いてしまうこともあります、両方とも最悪の結果は同じです、自分も含めて悲惨な人的被害が出ることがあります、銃が酒が人生の進路を歪めることも出来るのです、しかしその存在を無くすことは出来ませんし、お酒好きの私も困ります、でも規制は必要です。
法でがんじがらめにされたらお酒も不味くなるでしょう、規制は各々の個人に必要なのです、お酒は成人になれば誰でも飲めますがお酒をコントロール出来るかどうかのテストし、合格者だけが飲めるようにするとかにすると、飲めない人は飲まされての被害もなくなるし、飲んで自制できない可能性のある人も飲む資格がなくなり、事故や事件が減ることになるでしょう・・問題はテスト方法です、現在のシステムに組み込まれると、取り締まり側に悪用の可能性を増やしてしまうので、専門の機関を新設し、個人個人が細胞のサンプルを提供登録して判定そのものはAIに担当させ、各々自分専用のマイクロチップを身体に埋め込んでもらいます、この人は日本酒150ccまで、この人は焼酎50ccまで、とか細かく設定され、飲めない人や飲んではいけない人にはそれなりのチップが埋め込まれ、チップが物理的にアルコールに近づけば警告信号が発信され目安となったりすればどうでしょう、銃も似たようなシステムで管理できないでしょうか、火薬に反応を起こす検知器を開発して・・近い将来何らかの対策が執られているでしょうが・・無差別に銃を撃ちまくる人に銃を持たせてはいけないのです、飲んで自制心がぶっ飛んでしまう人も同じです、しらふの時はそんな人も規制に反対はしないでしょう、世の中には何事もちょうどいい量や距離や速さや大きさ等があるのです、でもそれは人それぞれで少しずつ違っているのです・・・