将棋指しは元々は将棋を指す芸人のことだそうです、最近では中学生棋士の藤井四段の快進撃が世間を驚かせています、本人は進学の道を選びましたが素晴らしい選択だと思います、彼のお蔭でさぞかし将棋関連業態はいろんな意味で潤った事でしょう、同じく中学生の時に四段の棋士になって今尚,伝説を創りつつある羽生善治九段は余り段数で呼ばれることは少なく保持しているタイトル数や史上唯一七タイトルを同時取得して七冠と称された時期もありました、プロの棋士達の頭脳は指し手の可能性の幅と一手ずつ何手も何手も先を読むことができる能力を頭の中のシュミレーションで鍛え上げられています、自分がこう指す、相手はこう指し返す、すると自分はこう返す、もしこう指された時はこの手かあの手、こう指してくれたら、この手で自分が有利になる、この手を指されると不利になるので、こう指しておこう見たいな感じで防御と牽制そして攻めまで同時にできる指し手の妙手を懸命に頭の中で追求しています、ソロバンの有段者が頭の中のソロバンで瞬時に暗算するように、プロ棋士の頭の中には将棋盤のイメージが焼きつけられていて、その盤上を自分の駒と相手の駒が縦横無尽に飛び交っているのでしょう、勝負は常に自分の頭の中で戦っており、相手の指し筋を正確にシュミレーションできたら勝利し、予想仕切れなかったり、ミスをしたりすると状勢が行き詰ることになり、王将の逃げ道が無くなるのを確認すると自ら投了し敗退します、相手が実際に王将を取り上げることはありません、対戦相手と対戦しながらも最初から最後まで自分との戦いで、勝つも負けるも自分の頭の中での事象なのです、最近はAIに様々な過去のデータを与え、自らの対戦相手にして勝負を繰り返し、自らの指し手の幅を広げる手段にもしているようです・・

 

 自分も将棋は嫌いではないのですが、ヘボ将棋の域を出たことが無く、将棋盤セットはあっても、子供の遊び道具の一つとなっています、セットが一つあると、はさみ将棋や、ペコ周り、将棋崩しや跳び馬将棋など子供と結構遊べます、それが悲しいことに子供が安物の折り畳みの将棋盤を壊してしまい、蝶板の釘が露出して危険だと言うことで駒ごと捨てられてしまいました、将棋は頭の体操になるのに・・またその内もう少し上等なモノを買って来てやろうと心に誓っております、将棋セットはリーズナブルなモノから数十万円もする高価な銘入りのモノまで沢山ランク分けされ準備されています、高価な駒は造りが素晴らしく、ある意味芸術品です、盤も一枚モノの材料をそりが出なくなるまで乾燥させてから丹念に仕上げられて重厚な雰囲気があります、こんな盤に将棋指しは駒を一枚一枚正確に並べていきますが並べ方にも作法があるそうです、指す時には、パチンと言うかビシというか駒を盤に打ち付けて音を立てます、高価なセットは将棋が大好きな人が決意を持って購入し大事にされ、それに向き合う時間や触れる時間が長くなる効果があるでしょう、すると必然的に腕が上達するのかも知れません、しかし、そこまでの芸術品はヘボ将棋指しには選択肢になる事はないので、せめて一枚モノの数センチ厚の盤があれば駒は簡素化されて刻まれたモノで充分です。

 

 私はこの差別化された駒が大好きで、簡素化されながらも字のバランスや駒が持つイメージが全然損なわれることも無くデザインが吟味されていると言うのでしょうか格好がいいのです、平安時代に漢字が草書化され平仮名が編み出されたような実用美と言うか機能美みたいな洗練されたイメージを感じるのです、その中でも銀将のデザインが何故か気に入っています、駒造り職人が手間をかければ掛けるほど高価になっていき、将棋の駒自体にも役付きがあるように、字体そのものにも種類があります一番リーズナブルな駒は少し質と仕上げの悪い駒材に駒の役付けがスタンプされたモノですが、こと将棋を指すと言う意味では充分指せます、その次は少しましな駒材に彫刻刀で識別できるギリギリの簡素化された字体の役付けが刻まれます、歩兵などは〒の下にハですし、ハも省略されているモノもあります、裏返して、と金になると 、 だけです 、 ひとつで 金を表します、元々 と そのものも金の略字ですがそれが 、 にまで簡素化され職人の手間を省きリーズナブルな価格設定に貢献しているのです、価格設定ごとの字体の簡素化にも段階があり、最終的には名のある先生の書いた書体がそのまま移植され最高級の駒材を究極の職人技で艶が出るまで狂い無く仕上げられて表面に刻まれます、刻まれたら今度は漆で埋められ逆に盛り上げられます、素人目に見ても高そうだな!いいな!と思えます、これはカジノで使用されるチップが高級になればなるほど材質がレベルアップし最終的には真鍮製の素材に重厚な彫刻で仕上げられたモノになるように、プロ棋士同士の対戦を視覚的に差別化し、雲の上の対戦を演出する効果があるのでしょう、実際プロ棋士の一戦には大きなお金が動きますし、そんな盤を前にして如何に冷静に自分の頭の中の盤上で駒を自在に動かせるかが勝敗を決めます、プロ棋士の頭の中のイメージの駒は極限までに簡素化されたモノだと推測されますがそれでも将棋は指せるのです・・

 

 プロの棋士は頭の中で自分自身と戦い、その戦法が対戦相手に読みきれない、自分が考え抜いたモノであれば、中学生だって熟練のプロに勝ててしまう面白さがあります、自分の戦法があり筋が通るなら安物の将棋セットで生まれた戦法でも超高級セットで対戦するひのき舞台で通用するのです、これは日本の野球界からメジャーリーグに進出をして自身のトルネード投法でアメリカ大リーグに大旋風を巻き起こした野茂選手のように、自分だけのオリジナルスタイルが世界にも通用した良い先例と言えるでしょう、それに続いた日本を代表するスラッガーの松井選手は世界の舞台でも大スラッガーに成れましたし、イチロー選手に至ってはそのスタイルにより大リーガー達の歴史を塗り替える程の成績をのこし、野球に対するイメージをも変えてしまいました、そして今尚、現役であり続けています、ある意味世界一の選手になっています、才能のある選手が努力と頭を駆使して編み出した自分だけの戦法はどんな舞台にでも通用するだけじゃなく、その舞台の主役となれる可能性を秘めているのです、なら、どんな人でも自分の環境の中、自分なりの自信のあるスタイルを持つことが出来るなら、どしどし上のステージに登って行くべきなのです、駄目だったらまたやり直せば良いし、努力して自分の力を発現できるなら一生の夢も叶うと言うものです。

 

 私は決して王将の器ではありません、派手な動きの飛車でも角行でもないでしょう、王様に侍る金将も何かしっくり来ません、桂馬のような変則跳びも苦手ですし、香車のような猪突猛進だけでも歩兵の一歩一歩の捨て駒もなんだか違うし、捨て駒と言えば王将以外全ての駒は勝利する為の捨て駒ではありますが・・キャラ的には銀将が納得出来、何故だか気に入っているのです、下位の駒でも敵陣地に侵入すれば金将に成れ、あわよくば王将の行く手も阻めます、でも私はあえて裏返って金将に必ずならなくても簡素化された字体の銀将のまま、見落とされ易い斜め後方から世の中にいぶし銀の王手をかけたいのです、その為には自分なりのスタイルで世の中のひのき舞台に登って行かなくてはなりませんが・・今の人生は一度きりです、どうせ花を咲かせるなら大きな舞台で咲かせましょう、自分だけの華を・・・