早朝は街の騒音も少なく空気が澄んでいる為か鳥のさえずりがよく聞こえます、耳障りでもないので何となく聴いているといろんな調子を付けて何だか会話しているように聞こえます、暫くすると別の種類の鳥のさえずりに代わっています、確かに仲間同士で何らかのコミニュケーションをしているようでもあります、彼らは朝早く活動を始めると取りあえずは餌探しでしょうから餌のありかを仲間に教えようとするのか、単に仲間を呼んでいるのか、はたまた危険を知らせているのか、トランシーバーで会話する時のように順番を守り、余程のことが無い限り一斉にさえずることは無いようです、自分の声を出来るだけ遠くまでアピールする為に野外の舞台の使用には暗黙のルールがあるのかも知れません。

 

 何気ない小鳥のさえずりも中国の古典では聞く人が聴くと様々なメッセージを伝えていて意味があり、時としてそのメッセージは自分に向けられたモノもあると小鳥の声に合わせた発音の漢字を当てはめ、上手にその意味を解析してみせてくれます、その意味が正しいかどうかは別にして面白い発想だと思います、小鳥のさえずりを漢字の羅列に置き換え、ちゃんと意味のある文章を作り上げるなんて、凄い暗号の解読です、ただ実際の鳥のさえずりは短いモノが多く、またパターンも限られているので少々無理があるかも知れませんが、古典の暗号
解読者に言わせれば、自分はたった一羽のさえずりだけとは言っていない!スズメ、ツグミ、ハト、カラス他そこで鳴き声を競っている全ての鳥たちのさえずりの順番にこそ無数のメッセージが含まれているのだ!と言われてもしまいそうですが、その証明には小鳥のさえずり翻訳機の開発を待つしか無さそうです、実際に出来上がって聞いてみると・・私よ!私!・・僕だよ!僕!・・俺だよ!俺!・・わしだ!わし!と聞こえてきそうな可能性が高そうですが・・

 

 小鳥のさえずりレベルの音や秋の夜長の虫の音は季節を感じさせたり、一日の始まりを知らせてくれることが出来るので生活に溶け込んでいるようにも思いますが、人によれば雑音でしかないと感じる人もいるようです、俗にいう虫の知らせいうモノは現実に鳴いている虫が何かのお知らせをしてくれるのではなく人の体内にいる虫の声だそうです、通常余り良い方の知らせでは無く、悪いお知らせを伝えたり、日本ではその虫が暴れると疳の虫が出ているとか表現され乳児の一種の病気とされ対策もあります、腹の虫がおさまらないとか、虫が好かんとか、感情表現にも利用されす、中国の道教では生まれた時から体の中に棲みついて、夜毎宿主の悪い行いを天の神様に告げ口に行く虫がいるとされ名前までついています。

 

 ただ大昔から人間は意識外で奇妙なこそこそレベルで感覚を刺激して悪さする犯人を虫のせいになぞらえて来たのかも知れません、その不思議な感覚は第六感のことかも知れませんが、一方的に悪い事柄のみ伝達されることを表現しているので、虫に対しては人類はあまり良い感情がないのでしょう、現在の虫はペットにされたりもしますが、生活に密着しているのは、不潔な虫であったり、かゆみをもたらす存在であったり、見た目が気味悪いモノであったり、毒虫であったりします、虫や節足動物が天下を取っていた古生代からカンブリア紀に我々脊椎動物の共通の先祖は何の攻撃力も持たない小魚のような身体で捕食者である水生昆虫や節足動物達からただ逃げ回るだけだった時代の遠い記憶が呼び起こされるのか、蜘蛛やゲジゲジやムカデ等の肉食の虫を見ると、恐怖感や嫌悪感を感じたり大昔の仕返しか憎悪し積極的に駆除します、中国で虫と表現されたのは、カイチュウやサナダムシなどの寄生虫を証拠としてそんな虫がいても不思議はないとされたのかも知れませんが、虫という役者まで造り、犯人にまで仕立てたのですから、奇妙な感覚や不思議な予感は昔の人も感じていたのでしょう、実際、人の身体には無数の寄生生物や共生生物が沢山棲んでいますので、未だ知られていない不思議な作用が絶対無いとも言い切れません・・

 

 現代でも虫の知らせの言葉や不思議な現象は現役で存在します、私も前もってフッと頭を過ぎった人が久しぶりに尋ねてきて実際に会うことになったり、何か胸騒ぎがするので自宅に戻ってみると、何かの器具の消し忘れがあったりした経験があります、中には夢に出てきた知らない人に実際出会うこともあります、こちらは何故か綺麗な女性限定ですが何度もあります、実際は男性も出て来てるのかも知れませんが私が関心が無く記憶のスペースから追い出している可能性も無きにしも在らずですが、これらの原因は一体何なのでしょうか?矢張り虫の仕業でしょうか?人は自分の人生を自分の足で歩いて自分の手で幸せを掴まえることで初めて生きている目的を達成することが出来るので、未来を前もって知らされることはありません、仮に悪いことを知らせてくれる人がいても、その意味を知ることは簡単ではありませんし、私は何度か教えてもらった経験がありますが、結局お知らせを貰った時は何のことか判らず過ぎてみてああ!このことだったのかと言うことになりました、実際には、貴方は目を開けたまま泥棒に入られるよ!とか商売の景気が悪くなるというより職種そのものがおかしくなるよとか知らされたことがありますが、前者は疑いもしていなかった親友に商品を横流しされ被害が出たこととであったり、後者は商売が景気良く回転していた時に知らされたので、素直に聞けなかったのと、実際努力の枠を超えていたお話であったし、私も世の中の動向は感じていたのでアイテムの変換と方向転換は計画してはいたのですが、後手後手に回り、大きな損失を出してしまいました、正確に詳しく説明されていても簡単に避けられる変化でもありませんでした。

 

 知らせてくれる人は全てを解った上で知らせてくれたのか、ただ単に言葉だけを伝えてくれたのか、私には判りませんが知らせてくれる人よりも知らせて貰う側の受け入れ態勢の問題なのです、知らせてくれる人は恐らく感じたことを口にしただけで小鳥がさえずるのと大差なく、それをどう聴き、如何に解釈するかなのです、但しこんな解釈が出来る人は人から言って
貰わなくても自分で分かっている人でしょうし、被害も未然に防げるでしょう、だから聞いてもあまり現実に活かされることは無いのです、極端な話し、貴方は3日後にこの世を去りますとか言われてしまっても、もし避けることが出来ないなら、聞いても聞かなくても同じなのです、知っていても知らなくても、生きている間は一日一日を有意義に生きることしか出来ないのです、私ならそんなお知らせはご免被りたいですし、知らして欲しくもありません・・

 

 ただ小鳥のさえずりレベルなら、虫の知らせ程度ならお知らせの効用を感受できます、嫌な予感がする時は歩みを少し止めたり、逆に気持ちに逆らわず急いでみたり、予定の道を変えてみるのも良いかもしれません、結果何も変わるものが無かったとしても、素直に対応していなかったら事故や事件に巻き込まれていたかも知れないのです、あまり過敏に対応することも無いでしょうが、虫の知らせは良くない知らせが多いのでアンテナを伸ばして虫の知らせを上手に耳を澄まして聴くことが出来たら、ほんの少しですが人生を要領よく歩むことが出来るかも知れません、ネットでも大流行のtwitterでは文字通り様々な人が勝って気儘につぶやいています、短いつぶやきは小鳥のさえずりに譬えられてもいます、ここから役に立つお知らせをピックしてくる手もあるでしょう・・あくまで使用者責任での活用になりますが・・

 

ただし人づてに聴いたお知らせは聴いた人のモノであなたには活用できませんし活用してもいけません、虫の知らせは何時でも聴いた人オンリーの完全オーダーメイドなのです・・・