最初は仲良くと言うより、目の前の繋ぎ合わせるタイプの玩具が面白く夢中で遊びます,この玩具は何種類かのパーツのパターンがあり、設計図通り繋ぎ合わせると、4種類の恐竜が出来上がり、その恐竜達を合体させて大きなロボットを造れたりする優れものです、勿論設計図を無視して自由に繋ぎ合わせ子供の想像を形創ることも可能です、むしろ設計図通りに繋ぎ合わせることは幼児には難しく大人が何度も手を貸すことになります、お手本を見せてやることも大事なので、玩具を買った責任者として子供に付き合うようになり子供と一緒の時間を過ごせます、只惜しむらくは、繋げた時に有る程度自重に耐えることが出来ないと恐竜やロボットが足で立てなくなることへの対策の為か、連結部が硬く設計され分解する時に力が必要で、稀に子供が無理やり引き離してパーツを割ってしまうことがあり、その破片は結構危険で難点といえば難点なのですが、価格がリーズナブルであることや、子供が自分の手を使って遊べて想像力も使えるようにした設計者の考えたアイデアは素晴らしいので贅沢は言えません、パーツそのモノの大きさも子供の手に丁度良いサイズです、良い買い物をしたと思っていますが、ママは何故か気に入らないようですママは男の子がどんな玩具で遊びたいか解りづらいようなのです、これは自分が幼かった頃の価値観が反映されるところもあるので仕方が無いのかも知れません。

 

 家にはママが買い与えた同じく繋ぎ合わせて遊ぶタイプのブロックがあるのですが、私は気に入りません、大量にある米粒ほどのパーツをガシャガシャガシャ~と箱ごとひっくり返される度にあ~あまたやられた!とため息です、子供はどの玩具も愛して遊んでくれるのは良いのですが、パーツが小さすぎるのです、自分でお片づけすることが困難だし、裸足でうっかり踏んでしまうと非常に痛いし、以前、上の子が別の玩具の小さいパーツを自分の鼻の穴に入れてしまい救急病院に走った悪夢がよみがえるからです、家では自信のなさそうな両親が信じられないのか見せても触らせません、さすがは小児科の先生、経験があるのか、ほぉー入っとるな!と言って笑っています、幼かった上の子も自分の不始末で両親を慌てさせてしまった責任を感じているのか、いずれにせよこの異常事態を解決してくれる人の最有力候補として、
目の前の余裕のある先生に全てを委ねる事が得策だと観念したのかじっとしています、先生は先端がフックになった器具を見せて説明してくれます、鼻の奥のほうはとても滑り易くピンセットを使うと押し込んでしまう危険があり、これ以上奥に入ってしまうと厄介なことになってしまうので、少し血が出るか知れませんがこれで確実に引っ掛けて出します・・お任せしますのでよろしくお願いしますと言うしかありません・・先生の言った通りほんの少し出血がありましたが無事取り出すことに成功しました、本人は先生がピッって取ってくれたよ!と喜んでいます、こんな経験は一度で充分です・・

 

 話は初めに戻ります、下の子と同い年のいとこは、性格も良く似ていますというより、幼児の頃はみんな似たり寄ったりでしょうが、二人で最初は自分達が生み出した怪獣を戦わせたりして遊んでいたのですが、徐々に部品を繋いで大きい怪獣にバージョンアップさせていきます、僕の怪獣の方が強いと大きさを競い始めます、下の子が自分の作品に必要と思われるパーツを確保しだすと、いとこはパーツの入れ物ごと所有権を主張します、下の子はそれは反則だと抗議しますが、いとこは聞く耳を持ちません、言って分からない奴には力づくでということでパーツの取り合いが始まり、造られた玩具の怪獣同士の戦いが、創造主同士の戦いにシフトします、何時もつかみ合い叩きあいになるので、やれやれと止めに入ります、下の子はずるい事をする、いとこが悪いとパパを味方に付けようと訴えますがいとこは痛いことをする下の子が悪いと自分の叔父さんを味方に付けようとします、こんな時はどちらの味方でもありますし味方でもありません、それぞれの悪いところを説明して自重を促しますが、子供たちに自重なんか出来ません、大人が介入してきても味方に出来ず勝てないと判断するとお前なんかと遊ばない~!と捨て台詞を残してそれぞれの方向に行ってしまいます、そして暫くするとまた一緒に遊んでいますというより、違う場所、違うアイテムで競い合っているというほうが正しい表現かも知れません、これはライオンの子供がじゃれ合いながら戦いのやり方を少しずつ学んでいくように、社会に出て生き残る為の本能的な通過儀式なのでしょうか? 兄弟同士であれいとこ同士であれこの時期に喧嘩していた間柄は、社会に出れば良い相棒になれる時もあります、町で悪党に絡まれても力を合わせて共通の排除すべき敵だと無意識で認識し、力を合わせて立ち向かえるかも知れません、但し悪党の方もそういう間柄である可能性はありますが・・

 

 女の子と男の子の仲間意識は多少違うと思いますが、自分一人の非力を補うモノとしての役回りは恐らく同じでしょう、人は本能的に群れる動物です、全くたった一人で採集生活をしている人がいないとも言えませんが、群れの始まりは兄弟家族であり、親族の順番なのです、そして仲間意識は子供の喧嘩から育成されます、親族同士のお金の争いは視たくないところがありますが、共通する敵や危機に対しては団結します、親族の集団が村の始まりであり、村の集まりが都市の形成であり、都市の連合体が国なのです、そして全ての群れに共通するのが、喧嘩と団結です・・今地球上で勃発している紛争や戦争の危機を無くす為には、共通の対外的な敵が必要なのかも知れません、創世記では人類の手による最初の殺人は兄弟間で犯されたとされています、その生き残りである全ての人類には殺人者の血が流れています、東洋神話では多少違っても、大体そんなところでしょう、兄弟は近いから一番争いの原因が多いのは当然だし当然殺人に繫がる可能性も大きいはずです、現在の国同士の戦争では大量破壊兵器が使われる可能性があるので怪我の功名ならず喧嘩の功名は期待できません、貴方も私もみんな終わっちゃいます、みんなが一つになれる共通の敵の登場が待たれるところですが、時間もあまり無さそうなので地球の危機を救うためには少々偽造しても良いのでは
ないかとも思います、人類最初の月面着陸が偽造されたモノだったように、あれが結局長い冷戦を終わらす遠因になったともいえますから・・お釈迦様の説法の中にこう言う話があります、子供達が遊びに夢中になって、家が火事になっているのに気づきません、子供だけが通れる出口の外から大声で呼ぶのですが子供は知らん振りです、仕方が無いので一計を案じ

ここにもっと面白い玩具があるぞと誘惑します、子供は初めて関心を持ち無事脱出出来たと言うのです、嘘も方便とはこのことです、この世の中には吐いても良い、吐かなくてはならない

嘘も存在するのです・・・