最近のコンピューターゲームはCPUの処理速度の高速化やメモリーの高容量化に伴い、少し前まではデータ量が重くてスムーズに扱えなかったバーチャルリアリティの世界を家庭のPCでも表現できるようになって来ています、そのソフトウェアはCPUの負担を軽減する為、様々なアイデアがプログラムに組み込まれゲーマーがキャラクターになり、仮想世界を意のまま行動できるよう設計され、ネットで繋がった他人ともマルチプレイをも可能にしています。現実世界に良く似せながらも実は現実には有り得ないハプニングでゲーマーの五感を刺激し、時折訪れる中ボス的な障壁に何度も挑戦させてから乗り越える達成感とゲームをクリアするまでに趣向を凝らしたイベントを何度も体験させながら、ゲーム依存に誘導し一種の中毒状態に陥ったタイミングを計り、巧みにアイテムに課金し、制作会社本来の目的である集金システムの構築も同時に実現させています、参加はあくまで自由に無料で門戸を広げ、餌をツツいて来た獲物をくもの糸を絡めるように徐々に身動きの自由を封じ、ゲームを上手に進行できないジレンマや飢餓状態に乗じて狡猾に現実世界のお金を使わせていくとういうシステムはスマホ業界を初め最近いろんな業界が採用しているように思えます、賢いゲーマーは獲得したゲーム内のクレジットをネット販売して現実の現金化を図ったりしています。
最近この世の中は実はバーチャルリアリティの世界そのものではないかという理論が出て来ています、映画マトリックスの世界の様に全ては計算で創りあげられた作り物で、現実の人間は機械に栽培される存在でしかなく現実と思っている世界は実は全部嘘っ八だというのです、機械に栽培されているというのはともかくとしても最近の理論そのものは量子論に基ずくものでいい加減なものではありません、量子論では観測者(正確には検出器やセンサー)が観測している時としていない時には結果が変わってしまうという現象を不確定原理として
肯定しています、実際のモノの位置さえ正確には知りえないというのです。
私は小学生の頃どうしても天体望遠鏡が欲しくて誕生日のプレゼントに買ってくれと半年位前から(母さん望遠鏡)と言っては母親に付いて回り、最後に根負けした母親に買ってもらった事があります、安物でしたがそれでも土星の環や木星のガリレオ衛星はしっかり観測できました、都会の夜空なのでアンドロメダ星雲やオリオン大星雲のようなボヤっとしたモノは困難でしたが白鳥座の二重星やプレアデス星団の宝石箱のような星の集まりには感動しました、雲も無く月も無い冬の夜空は格別で星座盤をもって夜空を眺めていると、すーっと吸い込まれそうになる感覚を覚えています。
星座は現在は星座盤の通りですが過去、未来はその配置が大きく変動しています、有名なオリオン座もあくまで見かけの配置で実際の星の位置は観測者から観て近いものから遠いものまでそれぞれ違うのでその星から地球に届く光の時間が異なります、だから星座を眺めるということは空間に時間を加味して時空間として観ている事になり有名な変光星ベテルギウスも実際は5~600ねん前の姿なのです、星の一生の末期症状を示すこの脈動する赤い星は現実には300年前に超新星爆発を起こしていているかも知れません、でもその結果が地球で観測できるのは2~300年後なのです、頭上に当たり前の様に存在しているマクロな夜空ですら、見かけと現実が違うのです、ミクロの素粒子の世界もミクロで在るがゆえに本当の姿は知ることを観ることは叶いません、そして実際に想定外の現象が起こるのです。
これらはアインシュタインの有名な相対性理論の中のE=mc2で表されるところの、モノの質量に光速の2乗を掛けるとそのモノが持つエネルギーと等しくなるという結論、すなわちモノはエネルギーであるという処に端を発するモノの本質に由来します、そのエネルギーをほんの少し開放するだけで核兵器のような膨大な破壊力を生み出せます、実際お天道様もそのエネルギーを開放しながら燃え続けています、ただこの世が仮想現実であっても実際その中で生きている人間としては余り大きな変化は無いでしょう、道を歩いていて石に躓いてこけると痛いです、道は道である因縁が終わるまで道であり続け石ころも因縁が続く限り石なのです、歩く人も寿命がくるまでその人でしょうし、痛みも生きている人間に備わるものです、しかし真実を知るということは、何処かで違いが出るのかも知れません、未来を想い描きその通りになるとか、見えないものが見えるようになるとか、聞こえないものが聞こえるようになるかもしれません、理屈は誰も知らないし、理屈なんて要らないのです、人に必要なのは結果なのです、
その結果を手にする為の努力は大自然が味方になってくれる筈です、それをこの世に追求する欲はお釈迦様も奨励してくれるでしょう、だってこの世はそういう風に成り立っているのですから・・・