仲の良い夫婦っていいですね、人前だけの仲の良さかも知れませんが、仲が悪ければ長く一緒には居れません、子がカスガイになったりも多いでしょうが、夫婦双方の努力の賜物だと思います、夫婦共稼ぎで食べ物屋さんなんか営んでおられる夫婦は、職場も同じ、家庭も同じ、ほぼ一日中顔を突き合わすことになります、営業中は仕事の同志、家庭に戻れば主人と主婦、若しくはよき父、よき母、上手に役割を分担されていることでしょう、夫婦別々の職場で働く場合も多いです、男でも女でも持てる才能を生かし仕事を出来るならどしどし働きに出るべきです、多少家事に支障が出ても、それぞれ空いた時間にカバーすれば良いし、子育てなんかも余りに幼い時は致し方がありませんが、幼稚園や保育所に通えるようになれば付きっ切りの必要はなくなるので時間を捻出できます。

 

 夫婦共に働かず親の資産を食い潰すだけの人もいるでしょう、しかしいずれ破綻します。
奥様が働きに出て稼ぎ、家にいて働きもせずゴロゴロしてるような旦那のことをヒモ若しくはプー太郎と呼びます身体の具合に問題がある場合もあるでしょう、でもその形でもやむを得ないと関係が続くのであればそれはそれで夫婦関係です、夫が会社に働きに行き、婦人が家の家事や、雑用をこなすごく一般的な夫婦でも仲の良い夫婦は当然存在します、夫をせっせと働きに行かせ自分は浮気相手とホテルにしけこむといったスーパー奥さんもいるようです、でもその内バレて関係は破綻するでしょう、でも最初はそれなりにお互いを気に入って一緒になるのですから、夫婦のことは夫婦の責任です、夫婦喧嘩は犬も喰いません中には親の政略結婚で一緒になる方もいるかもしれませんが、仲が良い、悪いは別次元のモノです。

 

 昔々は親が子供の配偶者を決めた時もありました、許婚という形もあったようです、実家同士が認めた婚姻なので実家同士がソリが合わずとかにはなりにくいでしょう、現代はあくまで個人の意思が尊重され実家が反対しても当人二人が役所で籍を入れてしまえば別に結婚式をしなくても夫婦関係が始まります、結婚式の時、二人の誓いの言葉を神父さんが確認します(アナタハ、オイルトキモ、ヤメルトキモ、コノヒトヲ、アイシツヅケルコト、チカイマスカ?)(ハイ)(ハイ)、日本では仏教徒も、神道もこのスタイルが多いです、中にはキリスト教の人もいるでしょうが、信じてもいない宗教の神様との約束は初めから無効です、どんなに始めは熱烈な恋愛をしても別かれるときには別れます、親の取り決めでしぶしぶ一緒になっても生涯添い遂げる夫婦もいます、新興宗教の中にはで教祖様が配偶者を決めてくれる場合もあります、何か向こうのお金持ちの子には向こうの子と、向こうのお金は無いが熱心な信者にはこっちのお金持ちの子を、こっちのお金の無い信者には適当にって話も聞いた事がありますが私は信者じゃないので判りません、でも一緒になってしまえば、別れる添い遂げるは当人達の努力の問題で、結構幸せに暮らしている夫婦も多いと聞きました。

 

 お釈迦様には奥さんがいました、出家後子供も生まれ、自身の求道を障たげる意味の(ラーフラ)と名付られたそうです、元々王族の王子なので、何不自由ない暮らしも出来たし、お遊び事にも空しさを感じていたのかも知れませんが、後々になって婦人も子供も教団に帰依し心の平安を得たと美談化されていますが、実のところお釈迦様は女房子供を捨てています、だからといってお釈迦様を非難する気持ちはさらさら無いのですが、そんな行為自体は真理とは関係の無い次元のことなのです、始めは恨んでいたかも知れない奥様や子供も教団が立派になっていく過程で夫を父を心の葛藤の中、認めざるを得なかった部分もあったかも知れません、でも私はお釈迦様の人間臭い部分が大好きです、逆に女房子供との葛藤も知らない人が真理を人に説けますか?この家族との別れの苦しみは人として持つ苦しみの中でも大きなものだと思います、だからイエス様に人間のお父さんがいてもマグダラのマリアが奥さんでもそこに子種を残していたとしても(映画の話ですが)全然歓迎なのですが・・そうは行かないと事実を捻じ曲げ装飾することが権威だと誤解されている方も多くいそうです・・・

 

 私は綺麗な女の人が好きです、女の人が化粧した顔も好きです、でも化粧気のない素顔のすっぴんの顔が一番好きです、素顔が綺麗になる為には心が美しくなくてはなりません、心は化粧べたべたで飾っても女の人特有の世間一般の理論で武装しても方向が違います、自分達は自分達で他の誰とも同じではありません、あるがままの自分を素直に出してくれるだけでいいのです、それが一番女の人を美しくします、おそらく私以外の男達も同じように考えています、夫婦の仲は、世界でたった一つの形でしか幸せになれません、マニュアルはありません・・・