人が本当に知りたいことは誰も教えてくれません、親から聞いたり、先生から聞いたり、アドバイスは聞けても本当に知りたいこととは教えたくても教えることが出来ないのです、なぜならそれを知ることが人生の目的であったりするからです、それを知ってしまうと何の為に生きているのか意味が解らなくなるかも知れません、勿論知りたいことは沢山あります、それを一つずつ一歩一歩足を前に出して知りたいことに手を伸ばし自分の掌で、若しくは両腕でがっしりとその答えを掴み取らなくてはなりません、お金の造り方、彼女彼氏の出会い方、幸せになる方法、喧嘩の勝ち方、子供の授かり方、新しい技術の開発の仕方、新しい理論・・・全て自らの意思で行動しその答えを手にしなければなりません。

 

 他人のやり方やシステムを真似てお金を手にする人もいるでしょう、というより初めは誰かを真似ないと手に入れることは難しいです、どんな手の入れ方で手にしてもお金はお金です、ではお金って何ですか?私はお金は自由だと考えています、お金が無いとまっすぐ不自由な生き方を強いられます、マイナスのお金があればもっとです、ここに100万円有ったとします、何に使いますか?100万円あればそれなりの新車を買えるかも知れません、海外旅行にも行けるでしょう、超高級料理も食べれます、全部貯金することも全部寄付してしまうことも出来るでしょう、その使い道も全部真似ますか?金は天下の回りもの・・何故自分の目の前にお金が有るのでしょう?その答えはやはり自分で探すことになります。

 

 神社の本殿の一番奥には神様が鎮座する空間が在ります、何柱か同時に奉ることもあるようですが余り詳しくは存じません、神棚なんかに在るようにヒノキの板に白い紙で飾り付け黒い墨で神様の名前が書かれているものを大掛かりにして安置しているものと思われます、神様は何処に鎮座されるのでしょう?ヒノキの板?白い紙?名前に書かれた墨?組み合わせた全体?恐れ多くも神様の名を記したモノを粗末に扱うことは無いでしょうが、それはやはり便宜上の祭祀する人間側の為のモノで、その前でお供えや祝詞を奉ずる時のイメージの補助的存在で神様側からすれば在っても無くても関係ないような気がします、逆に元来仏教の仏像などと同じで偶像にしてはいけないモノなのかも知れません、では神様は何処に?神様は空間に鎮座されるのです。家の表札に誰も住めないように、住人は家の中の空間に住み、表札は外に向いて部外者の識別の為にあるのです。

 

 神様が鎮座されるとはどういうこと?同列に例えてお怒りを受けるかもしれませんが人気歴史大河ドラマなんかで重要な役どころの登場人物が、戦で死亡したりして物語から離脱するとそのドラマを視ていてもぽっかり穴の空いたような喪失感があり最近では~(役銘)ロスと表現されたりもしますが、そんな感じとか、いつも一緒に暮らしている大事な家族を突然事故でなくしたり、老衰で死別しても存在感の大きい人なら、家族の暮らしの中でその存在を簡単に消すことが出来ない、何時までもそこに一緒にいるような感じが続くといった感覚に似て、長い歴史の間その神様を信仰する数多の信者の想念が神様を存在たらしめ、まるで現実に活きている王様をお世話するように立派な社殿を設営してその一番奥を神様の鎮座する空間として捧げ一段も二段も低い位置から祭祀したり給仕したり舞を捧げたり・・・こうなれば神様は鎮座されているのと同一なのです、万一罰当たりなことをすると周囲が放っておきません、同じく想念信仰で存在している神様の眷属もたくさんいらっしゃるのです、障らぬ神に祟りなしです。

 

 私は昔から両親の生活スタイルから神社とかお寺によくお参りしたほうかも知れません、両親が亡くなってからも自分なりに続けています、若いくせにそんなことに関心を持つなとお得意様の社長さん(この人もしっかりしておられた)に、いい意味で怒られたこともあります、人に説明するときは、神様は存在するかしないかの二つに一つだ、もしいらっしゃるなら多少の心がけでご利益を頂けるだろう、もしいらっしゃらなかったとしても多少の負担しか掛けていないので風光明媚なところで美味しい空気を吸って心身がリフレッシュできたと説明できます、もしいらっしゃるのに何もせず無視して死ぬ間際にいらっしゃることがわかってしまった場合、凄く損した気持ちになり後悔するかも知れない、だから得策の方を選択しているとしてきましたが、なんだかやはりいらっしゃるような気になっています、私自身長い時間をかけて想念で存在させたのかも知れませんが・・・

 

 この世には目に見えるものと目に見えないものがあります、人の目に映らないとと言って存在しないことにはなりません、人間が識別できる可視光線の範囲は以外に狭いのです、人間の目には一色の花の色も蝶の目からは何色にも視えることがあります、聞こえる音も嗅ぐ臭いも同じです象や犬やサメやコウモリや毒蛇や敵わないモノだらけです、目に見えないものの中でトップクラスで大事なものは運です、彼女はお金で買えても(表現が悪くてごめんなさい)、運はお金で買えません、いくら高級自動車に乗っていても事故る時は事故ります、お金持ちだから癌に罹らないということも無いでしょう、治療には最新高額治療をお金で買って多少の延命は出来るでしょうが・・

 

 目に見えない運をどうしたら自分のものにに出来るでしょう、目に見えない努力をすればいいのでしょうか? そもそも運って何でしょう? 幸運、運行、運転・・・何かを運ぶことです、重さを運ぶことで仕事量が計算できます、なら運とは仕事のことです、どんな仕事が運に繋がるのでしょうか?仕事は通常誰でもしています、なら通常の仕事で無い仕事、悪い仕事をしても運がよくなるような気がしません、みんなの為のボランティア、神様の仕事のお手伝い・・何か近づいてきました、神様は存在です、その空間は数多の信者の願いで一杯です、勿論全ての願いを無条件で叶えてもあげれません、その中で自ら努力し頑張っている者に、最後の一押しを運で祐けてくれるかも知れません、しかし神様には手も足も在りませんだから何時でも仕事を手伝ってくれる作業者を募集しています・・・・