歴史が長い宗教は宗派が沢山枝分かれしていく宿命が有るようです、教祖が存命中はそのカリスマで結構一つに纏まるのですが、代替わりや、対外的な変化に見舞われる時、後継者の問題や組織の運営方針の食い違いなどで袂を分けていくようです、それがごく少数のマイノリティーならば異端として切り捨てられたりもあるようですが、人望があり支持者を多くもつ人が推挙されたり、方針が打ち立てられたりすると分かれていくようです、これは宗教だけに限らずあらゆる組織、団体においても共通する部分がありますが、宗教には設立当初から分断を容認する要素が含まれ、阻止することは能わないと言うような無常観があるように思えます。教祖が組織の分断を阻止しようと考えていたならそういう教義を入れれば済む話で、教祖からすれば教義の実践が目的で組織が分断されようが新しい教祖が立とうが教義さえしっかり残れば容認するしないではなく、ある程度変化していくのも仕方ないことで後は自分たちで考えて決めなさいというスタンスかも知れません、元来宗教とは教義を実践して迷いを消し、精神的に自立することが目的なのです。

 

 宗教には必ず個人が精神的に苦しみから解放された次は広めていくという段階がきます、この広めると言う行為はある意味ボランティアです、自分が手に入れた安らぎの方法を分ち合おう一緒に持とうと勧めます、教祖は存命中直接布教活動に尽力しますし、言葉を駆使し不思議な力を示すこともあります、ところが既に他の方法で精神が平安な人には余計なお世話になることもあります、そんな時問答となり、ある時は自分の教義を理解せしめ、ある時は妥協し、ある時は争い、ある時は容認し、またある時は無視したかもしれません、しかし無理やりはありません、ボランティア活動は強制できないのです。

 

 やがて組織が大きくなってくるとその維持運営にお金が絡んできます、お布施であったり、寄付であったり・・・ボランティア活動をする人の心は純粋です、ボランティア団体は強固です、宗教が絡まなくても、相手がどんな大きな企業であったって世の為人の為の大義名分のもと臆することもありません、そんな団体の純粋さに心打たれて人は活動に参加したり寄付をしたりします、集まった寄付金や義援金が災害に見舞われた人の苦しみを少しでも和らげる為、活用されているのは素晴らしいことです、しかし残念ながら全額と言うことにはならないようです、お金の集まるところには、プロが介入してきます、ボランティアにプロがいてはいけません、ボランティアに参加する人はアマチュアです、アマチュアであるからこそプロに就けこまれ搾取されます、逆にプロに利用されてしまいますと、その手先と成り下がります・・

 

 実際ボランティアの成果を目的の救済されるべき人たちに間違いなく届けるということは非常に難しいことだと思います、例えば救済を待つ人が水を必要としている場合、ボランティアの人はコップ一杯ずつでも水を集めに廻ります、水は大きな水瓶にいれて運ばれます、運ばれている途中で少し蒸発して目減りします、勿論目減りを少なくする為蓋をすることも大事でしょう、しかし運ぶ途中で第三者がやってきて色々理由立てて柄杓で水を汲んで持っていってしまうのは違うでしょう、善意で集まった水はボランティアの人のモノでもありません、そして最後に届けられて分配される時も、判断が困難な問題が付いて回ります、何処に置き、誰が、誰に、何時、どの位ずつ・・・ずっと放って置かれている物資をみたり、時折こそっと処分される

物資があると聞かされると人の善意が踏みにじれれているような感じを受けます。

 

 ボランティア活動には公園のゴミ拾いや、河川や海岸のゴミ拾いなど様々な清掃活動もあります、1人暮らしの老人を見舞ったり、子供たちの安全を監視するボランティアもあるでしょう、

一部そうなっているところもあるでしょうがボランティアで物資やお金を集め運び届け分配するのは全てボランティア団体が連携して直接管理すべきです。そのために現地のボランティア団体と中継地の団体、各地の集める団体がしっかり連絡を取り合い、何をどれくらい何時までに必要でどういう分配をするかまで決める必要があります、会合に必要な会場経費、移動費は公的予算で捻出させ、若しくはネットを使った会合を持ったり、お昼の弁当代などは何処にいても掛かるものなので各自負担し、受け渡すべき物資やお金の管理は、ボランティア参加者全員の端末で暗号通貨のような管理方法で合同管理して横流しや、搾取を防ぎ無駄をなくす努力が必要です、団体同士がスクラムを組めば政治家も無視できないでしょう。

 

 勿体無くも人の善意を無駄にはできません、送金振込料すら無料にすべきです、そうなれば24時間マラソンテレビとかは成り立たなくなるかも知れませんが、それはそれで仕方ないのですテレビ局は媒体に徹すればいいのであってボランティアにはプロは要りません、そうすればそうするほど参加者も増えてゆき国境も越える力を持てるようになるでしょう・・・この力は未来には大事です・・