名は体を表す、名前とは不思議でだんだん名前に似てくるのか、持って生まれてきたのか、私の思い込みなのか、漢字で表すと漢字の特徴がその容姿に出ているような気がします、例えば草冠がついた漢字が上に付いていると髪型がボサッとしていたり、介の字も少し長い目のセンター分けみたいなイメージがあります、左右非対称なら顔も少し非対称に感じ、辰とか龍の字が付いていると逆三角形気味の輪郭に鼻柱がしっかりした感じの人が多いです。女の人も二文字ならどちらか一字の特徴が出たりなんとなく二文字合成したような特徴が出ます、これは仮に外人さんであってもあるような気がします、Rから始まる名前の人はRの名前を付けられた人たち共通の特徴があるのです、花子さんにエリザベスの特徴はでません。
容姿に出てくるなら他のところにも出るか知れません、そういう目で見ていくとやはり出てくるのです、私は人間観察が趣味でもないですが、関心があり、結果が面白いので人をいろんな角度で見てしまう癖みたいなところがあります(女の人のスカートを下からじゃないですよ)人間の行動パターンって組み合わせると殆んど無限ですが一つの事象に対する反応はそんなに沢山無かったりします、同じ名前なら何度か人生で同じような経験を持つのです。試しに言ってみるとビンゴ!になってびっくりされます。
生年月日が同じだと不思議な一致を見ることがあります、名前も容姿も生い立ちも全然違うが、子供が5人でその男女の順番や名前の付け方が少しの違い(用いた漢字はいくつか違うがひらがなでは一緒)で一致しているのを発見したことがあります、不気味です。双子の人生が似てしまうことは結構知られています。私の従兄の双子も片方が怪我をすると後日もう片方も似たようなところを怪我してきます、片方が虫垂炎を患うと片方は脱腸、完全に一致じゃないですが奇妙にリンクしています。
漫画の主人公は漫画家自身が主人公になって自分が描いた自分ワールドの中でエピソードを繰り広げます、主人公の特徴は漫画家に由来するので、作品が変わってもその主人公の特徴は共通性があり似たところがあります、それが作風なのですが、これは音楽家や画家とかの創造的な仕事を生業とする人にあります。音楽も絵画も作家の発信したい情報の媒体です、伝えたいのは情報であってそれを受け取った人を感動させたりします、リズムや旋律や色の配合や配置に乗せて・・ある程度上手には構成されますがそのテクニックだけでもありません伝えたい想いを如何に相手に届けるかが重要で一見して訳のわからない抽象的な部分があっても関係ありません
人の眼が現実世界を見るとき網膜に映された情報は総て脳で正確に分類されているのではなく脳はメイン以外の背景や細かいところはいいかげんに簡素化したり情報量を減らしたりするそうです、カメラのレンズのように焦点の当たる部分は詳細でそれ以外の部分は焦点との距離が離れるほどボケ、そのボケ効果がよりメインの被写体を際立たせるようになっているのかも知れません。最近、世の創造主はやはりこの世を似た感じの方法で創ったんではないかと考える人もいるようです。創造主という擬人化された大自然(大宇宙)のバランスは広大な宇宙空間に自らを想いをダイナミックかつダイタイに描き、ニュートン力学が一定範囲までしか通用しないことに似てビッグバンの根拠とされている赤方偏移も実は近場の空間だけにしか適用できない限定的な現象なのかも知れません、そうなれば遠く離れれば離れるほど加速して広がっているように見えている原因は別のところにあり、大自然(大宇宙)のバランスがいいかげんに処理した結果かも知れず、ビックバン理論そのものも必要なくなります