家の親父は神社仏閣を毎月何軒もお参りするコトを欠かさない人でした。
祖父母のお墓参りなんか毎週通っていたくらいです。三男なのに長男の
役割を担っている責任感かどこぞの先生に勧められたのかはたまた単に
好きだったのか今となっては確かめる術はありませんが、その度に付き
合わされる母親としては三男だから罷り間違っても家の責任は軽いだろう
との思惑を外され時折ボヤいていたコトを思い出します。

 自分も車の運転が出来る年齢になった頃にはお墓掃除の手伝いに駆り
出され雑草の草抜きをしていると何時もそんな抜き方じゃ駄目だ根っこまで
完全に抜け!と叱られます。いやいやお父さん!そもそも完璧は有り得ないし
この季節抜いても抜いても又生えて来ますよ!横着な自分の性格を正当化
する言い訳に、もういいお前は車に戻っておれ!となります。お墓掃除は後で
とても気分が良くなるので嫌いでは無いのですが何時も根負けします。

 車に戻って待っていても親父は中々戻って来ません。結構な時間が過ぎて
納得したのか体力の限界を感じたのか厳しい表情で戻って来るとその後必ず
2~3日寝込みます。そんな親父をみて雑草にそんな執念を燃やして寝込む
なら本末顛倒だよ!と言葉に出せば手が飛んでくるのであくまで心の中で
呟きます。親父も解っていてもどうしようも無かったのでしょう苦労人の性と
云うかお墓掃除を全うしたいある種の欲がそうさせるのかも知れません。

 親父が間違っていたと断ずる気は在りません。親父は親父で正しいと思える
生き方しか出来ないのですから、自分を貫いて、もし通用しないなら気付いて
考え方を自ら変えるまで経験するしか道はありません、まして横着モノの息子
に生き方をどうこう言われる筋合いは本より有りません。でも確かに親父の
意地と言うか生き様とう云うか一部が自分にも伝承されており、他人には理解

して貰い辛い自分自身を律する観念が在るように想えます。

 精神分析学の創始者のフロイトはそう云う観念のコトを超自我(スーパー
エゴ)と名付け自分の無意識領域の一部である本能の赴くまま行動したい
イド(エス)名付けられた観念を抑制し、その結果、自我(エゴ)が選択した

行動を自らの行動と自認し自分の経験として積み重ねて行くとしました。

超自我の観念は当然母親から伝承したモノもあり、学校の先生や親戚の人や近所

の人や尊敬する偉人、大好きなアイドルからの介入も承けます。

 超自我の経験則は自ら体験した実績も足されて行きますが殆どは伝承された
法則です。自らの経験則も究極的には世代の流れに於いて行かれ通用しなく
なります。唯一変らない法則が在るとしたらこの世に変らないモノなど何一つ
無いという法則のみです。だから超自我も自我も本当の自分とは云えません。
イド(エス)は無意識領域の一部としてエゴが認識できる希少な想念ですが
これを持って本当の自分とするのは無理があり非常にリスキーです。

 フロイトも完璧では有りません。フロイトに学んで袂を分けたユングにしても
然りです。二人の偉人は最終的には精神を病んでしまいます。それだけ人の
心は深淵で自我の立場で把握できる代物では無いのかも知れません。逆に
精神を病むコトにより本当の自分を垣間見たのかも知れません。只その事実は
他人に伝えるコトは叶いませんが・・フロイトが提唱したイド(エス)と超自我(
スーパーエゴ)と自我(エゴ)の3つを手放した残りに本当の自分がいます。

 家の祖母もそんな一人でしたが霊感と云うか常識では説明の付かない能力
を持つ人が巷には存在します。そんな母親を持った親父とすれば常識と非常識
を同時に容認せざるを得ない複雑な立場だったでしょう。実母としては子を護り
先生としては子を手放す・・そんな関係で私の小さい頃の環境には何時も俗に
言う霊能者がいて母親はその先生の意見を伺いながらモノゴトを判断の参考に
していたようです。母親自身は自分に声が降りてきても無視したそうですが・・

 親父は神社仏閣には熱心に巡りましたが先生の言うコトに素直では無かった
様に思います。あの時前もって教えてくれたあの先生の言うコトを聞いていれば
あの一生後悔するような大事故も防げたのに・・大損しなくて済んだのに・・でも
今はそうは思っていません。その時の先生のアドバイスはあくまで注意勧告で
あり親父の選択を左右できるモノでは無かったのです。結果として大事故を
経験したり大損はしましたが親父にとっては乗り越えるべき試練だったのです。

 私は一時期、母親の横でそんな先生のそんな便利な予言めいた言葉を参考に
できれば上手に世渡り出来るかもとの邪な我欲から未来を知ろうとしたコトがあり
ましたが結局アドバイス以上のモノは有りませんでしたし、聞けば聞くほど本来の
自分が進むべき道から遠ざかり、他人に自らの選択権を委ねる危険を身をもって
知るコトになりました。確かに良く当たるのですが先生も間違いますよねとの質問
に全員間違うコトもあるという返答でした。

 親父にとっては千載一遇のアドバイスでも私にとっては耳を塞ぐべき悪魔の
誘惑の可能性もあります。特に親子兄弟の陰陽関係の場合は同じ選択肢を採れ
ない場合が多くあります。陽の炎が燃え盛る人に水を差す調整が出来たとしても
陰の蝋燭の火に同じ水を差すと消してしまう。人によって共通の便利な万能薬は
存在しないのです。効果は大きいが副作用も大きい西洋薬と穏やかな効き目だが
ひと其々に調薬し副作用の少ない東洋薬の違いがあるのです。

 超自我とエスと自我を手放して本当の自分である魂の選択で生きましょう!
魂の扉を開くコトで必要なモノは自ずから自ら人生に飛び込んで来る筈・・・
後はそれを身体全部でしっかり受け止めるだけです・・・・・

 人生抜け道はあっても近道は無いのです・・・