『惚れたが負け』の、7話です。

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うちの学校は冬休みが短い。

年が明けて1週間もしたらもう学校だ。もちろんその間も部活なので、休みなんてあってないようなものだった。


休みがあけ、いつも通り登校する。

試しに朝練を早く抜けてみたが、彼女が来ることは無かった。やはり相当怒らせてしまったのか。 そう思ったが、どうやら違うらしい。


ホームルームの時間になっても教室に彼女の姿はなく、新年早々で風邪でも引いたのかと呑気に考えていると、徐に教室の後ろのドアが開く。予鈴と同時に入ってきた先生と、先生に連れられるように入ってきた彼女の姿を見て言葉を失った。


ぱっと目を引くのは顔の右側、額と頬に貼られた大きなガーゼと、薄い黄色の布で吊られた左腕。下に目線を落とせば脚の至る所に絆創膏が貼ってあった。

一瞬でざわつき出すクラスを担任の声が制し、そのままホームルームが始まる。


「えー、ホームルームはこれで終わるが、最後にひとつ。見ての通り、小林は今思うように動けないから、回復するまでサポートしてやってくれ。」

先生が教室を出るやいなや、彼女の友達が、彼女を取り囲んで矢継ぎ早に質問を浴びせる。本を読みながらその様子を遠目で伺う。

「どうしたの?!その傷!」

「その、交通事故に巻き込まれちゃって、」

「轢かれたってこと?!」

「うん。」

「いつ?」

「年明けに一日だけ雨降ったじゃん?その日に」

「あー、あの日結構降ってたもんね」

「大丈夫…なわけないよね…?学校来て平気なの?」

「痛み止め飲んでるし、命に関わるものでもないから大丈夫。大きい怪我は左腕くらいだしね。」

見た目の変わり様に反して、いつものテンションで返す彼女にどこか違和感を持った。

「いつ治るの?」

そう聞かれた瞬間、今まで普通だった笑顔が若干引き攣ったようにみえたが、周りは気づいているのだろうか。

「1ヶ月くらいかな」

「じゃあ再来週のライブは無理かぁ。」

「うん。さすがにね」

「残念だけど、しょうがないね」

ふと彼女の視線がこちらへと向けられる。

一瞬だけ目が合ったものの、すぐに逸らされてしまった。


そんな状態で1ヶ月。

「調子どう?少しはマシになった?」

「早く由依ちゃんがステージに立ってるとこ見たいよぉ。」

最近の会話は専らバンドのことばかりである。こういう時、彼女は大抵そうだねと苦笑いを返す。見慣れてしまった光景に、

「あー、その……」

いつもと違う反応に足が止まった。

「もうバンドは辞めるんだ。」

あっけらかんとした物言い。

なんでもないような顔で彼女は微笑む。

「なんで?!」

周りが騒然とするなか、私の耳は彼女の声だけを捉えていた。「いやぁその、左手がね、多分もう、ちゃんと動くことはないだろうって、言われちゃって」

彼女は俯いて、左肘を触った。

「ごめんね、楽しみにしてくれてたのに」

凍りついた空気が、彼女の謝罪によって弛緩する。

「……い、いやいやいや!ゆいぽんが謝ることじゃないって!」

「別に、バンドやってるから仲良くしてた訳じゃないしね!」

「そうそう、これからも関係性が変わるわけじゃないから。」

「ありがとう。」

果たして、その言葉は現実のものにはならなかった。

そのあとも、彼女は怖いくらいに普通だった。なんなら、前よりも少し明るくなったのかもしれない。何となく周りが避けていた音楽の話題をふるなんて以前の彼女では考えられなかったことだ。


そんな彼女をのことを私は壁一枚隔てた隣から、ただ見ていた。目が合ったのは怪我をしてきたあの日が最後だ。

本当は心配でたまらなかった。

私の知る彼女は、そんなに強くないから。

彼女は人の機微に敏感で、人の手を煩わせることを嫌い、その上かなりの小心者。

元々彼女が人の輪に入れなかったのは、貧乏故に人付き合いや趣味を持つことができなかったからというのもあるが、そもそもバイトをするための手続きをするのが億劫だったから、らしい。そもそもバイトをする程やりたいことがある訳でもない。勇気もない。楽しそうなものは見ないようにすればいい。そうやって過ごしてきたと、出会った頃に溢していた。


そんなことを思い出すと、後ろめたさで胸の奥を握りつぶされたように気分になる。

私と出会わなければ、彼女は音楽という趣味を持つことも、友達ができることも無かっただろう。

私と出会わなければ、かけがえのないものをたった1日で失うなんてこともせずにすんだはずだ。

傷つけた元凶が、一体何を言えるというのだろう。

私の言葉では、きっと彼女を救えない。

そもそも、変な意地で隣に寄り添う権利を捨てたのは他でもない私なのだ。あの日、突き放したりしなければ、せめて傍にいることくらいはできたかもしれないのに。

そう後悔しても、もう遅い。


何も出来ないまま、季節は春へと向かい。

彼女はぱったりと学校に来なくなった。


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数日経った日の放課後、帰ろうかと荷物を片付けたタイミングで、美波が私の教室に入ってきた。

帰んで、そう一言いって、有無を言わさずに私の腕を掴む。

校舎を出て、2人とも使わないはずの路線に乗り換えたとき、美波が何を考えているのかが分かった。

そもそもその路線の利用者が少ないのか、乗客は疎らで、2人きりになった時、今黙っていた美波が口を開いた。


「あんな、昨日由依ちゃんのお母さんが来てな。色々お話してくれたんよ。由依ちゃんのお家のこと。」

予感していた内容と、予想外の言葉を処理しきれずに黙り込む。こんな反応になることは想定内だったのか、美波は特に気にすることも無く続ける。

「由依を助けて欲しいって」

それは何となくわかる。

「なんで私なの。」

「分かるやろ?」

そんなこと言われても、私はあの日から彼女と話せていない。

「最近話してないし、今更私が何か言ったところで遅いと思うけど。」

「喧嘩したのは知ってる。経緯も聞いた。正直、理佐が酷いと思う。」

なら尚更、と続けようとした言葉を、でもね、と押しつぶされた。本当にそれでいいの?言外にそう訴えてくる瞳に、吐こうとした言葉は喉奥に留まる。

「由依ちゃんを救えるとすれば、それは間違いなく理佐だよ。」

「……何を根拠にそんなこと」

かろうじて口にした言葉の答えは、もう自分の中に持っているはずのものだ。


電車を乗り継ぎ着いたのは、知らない街の駅。

距離的にはそんなに離れていないはずだが、すごく遠くに来たような感覚だ。

黙って歩く美波の後を追いかける。

「あんな、由依ちゃんのお母さんが言っとった。」

不意に美波がぽつりぽつりと語り始める。

「昔の由依ちゃんはな……」

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物心ついた時から、私には運がなかった。

アイスを買えば半分くらいは落としていたし、くじ引きなんてだいたい参加賞だったし、怪我をするタイミングは大抵偶然が重なって避けようがないものばかり。

両親はそんな私を憐れむのではなく、笑って、励ましてくれていた。

だから、こんな体質でもそれなりに楽しく生きていられた。ただ、小学校の頃は少し遠巻きにされていたと思う。いじめられこそしなかったものの、友だちはできなかった。私から関わるのが怖かったというのもあるけど。

6年生の時に、何か変わるかなって、そんな期待を込めて中学受験したいと両親に言ってみた。普段あまり我儘を言わない私が、初めて自分の意志を伝えたことが余程嬉しかったらしい。

2人には申し訳ないくらいサポートをしてもらって、合格最低点ギリギリで滑り込むことができた。

とても浮かれていた私は、今までの小さな不幸はこのためにあったんだと、そんなことを割と本気で思っていた。


そんな矢先、お父さんが仕事先で倒れた。

脳梗塞だった。

一命は取り留めたものの、左半身が麻痺で動かせなくなった。元通りの生活をするのにかなりの時間が必要になるであろうことは、誰に言われなくたってわかる。

先のことを考えたら、とてもではないが私立に行くなんてできない。子供ながらにそう思った。そんな思いを知ってか知らずか、両親は何も気にしなくていいと言い続けてくれた。

けれど、そんな両親だからこそ無理はさせたくなかったし、こんな状態で私立に行っても、周りとのギャップで苦しくなるだけだろうと思った私は、結局地元の公立中学に通うことにした。


入学のタイミングでリハビリが本格化したお父さんは1度実家に帰ることになった。

お母さんは3人で暮らしたかったみたいだけれど、最終的にはお父さんの説得に応じて、それからはお母さんと私のふたり暮らし。


その時、私には運がないのだと、改めて突きつけられたような気持ちになって、それ以降は、挑戦も期待もせず、自分の身の丈に合うものだけを選んだ。

奇跡を望んだら、それと同じだけの不幸が起きる。

そう思って生活をしていれば、大きな不運に見舞われることもなく平穏であれたから。


高校もあまり高望みはせず、自分の実力に見合ったところに進学した。

だからか合格発表の時の感動は少し薄かったけど、今思ったら正解だったのかもしれない。

だって、あの子に出会えた。


理佐の存在を知ったのは入学式の日。

期待と不安で浮き足立つ新入生達の間を颯爽と歩く彼女に目を奪われた。他人の目なんてまるで気にしていないようで、その在り方に憧れた。

理佐は入学後、すぐに話題になった。

容姿が優れているというのもそうだが、成績優秀で運動神経抜群、気難しい性格ではあったが、それもまた彼女の魅力を引き立たせていたようだ。

それは、私が目指す理想系だった。

周囲の環境に左右されることなく、自分の正しいことを貫く。そして、それが出来る実力を持っている。

本当に、どうして同じ高校にいるのか分からないくらい、彼女は完璧だった。


あの日声をかけてもらえたのは、私にとっては奇跡のような出来事で、だからこそ怖くなった。彼女との出会いは偶然で、ある意味不可抗力。これがどんな形の不幸として現れるのか分からないから、本来だったら関わるべきじゃなかったと思う。

それなのに彼女との関係を絶てなかったのは、どこか期待していたから。この人となら、体質なんて関係なく幸せになれるのかもしれない、なんて思っていた。

実際、出会ってから事故に遭うまでは、不幸なことがぱったりと無くなっていた。


中学生の時に心に刻んだことなんて記憶の片隅に追いやられて、有り体に言ってしまえば、調子に乗った。

だからバチがあったんだと思う。

彼女の友達になって、舞い上がって。悪態をつきつつ、なんだかんだ優しい彼女に甘えすぎてしまった。

どうしてあの時、あんな面倒くさい態度をとったんだろう。理佐が真っ直ぐに気持ちを伝えてこないなんて、分かっていたはずだ。言葉の代わりに行動で示してくれていることも知っている。

今ならわかる。あの時私は思い上がっていた。

理佐なら私が少しわがままを言えば許してくれるだろう、なんて調子のいいことを思っていたから、思ったよりも淡白だった彼女の対応に驚いたし、悲しくなった。まるで幼児の癇癪だ。

彼女が最も嫌う人種になりかけてたんだ。今更気づいても遅いけど。

理佐がいなければ、自分の気持ちなんて押し込めたままだったろうに。

彼女から貰った勇気を、愚かにも彼女を傷つけることに使った。

そう自覚すればするほど後悔と罪悪感が湧いてきて、心臓をギリギリと締め上げる。


これからどうすればいい?わからない。

みんな心配してるのかな。それとも、気を遣う相手がいなくなって楽になった?多分そうだ。

休む直前までの自分をあまり覚えていないけど、さぞ酷い有様だっただろう。

事故の直後はまだ明るく振る舞えていた。

音楽を続けられないと悟ったあとも、希望はまだあった。

けど、だんだん心が追いつかなくなって、ある日布団の上から動けなくなった。

その時からかな、異常に左手首が痒い。


感覚なんてほとんど残ってないはずなのに、ジクジクと熱を持って、痒くなる。
掻いたり噛んだり叩いたり、1度ハサミを使おうとした時はお母さんに見つかって止められたけど。
その時に痒み止めを出されたけど、効いてる気配はない。


あぁ、また。

思い切り爪を立てても微かに痛みを感じる程度なのに、痒みだけがはっきりと残る。何度やっても変わらないとわかっているけど、辞められない。

指先がぬるっとした感触に包まれた時、急に視界が明るくなって、右手首を誰かに掴まれた。


「なんで…。」


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お読みいただきありがとうございました。