私の気持ち

私の気持ち

日々の気持ちを少しずつ綴ります。

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令和元年5月18日、
母は70歳で永眠しました。

敗血症はほぼ治っており、
血液の数値もかなり改善され
これから体力を戻し、食べられるように
しようと計画していたところでした。

原因は誤飲。腹水がとてもたまっており、
胆汁を夜中少し戻してしまい、その時は
看護師さんが吸引してくれて問題なかったのに、
朝9:30頃今度は大量に戻し、その時
出しきれずに誤飲したのではないか
ということでした。
この時も吸引してくれていたのですが、
量が多くて追い付いていなかったのかも
しれません。
すぐに呼吸と心臓が止まり、父と妹に
連絡が入って、全員が病院に向かいました。
1番先に妹が着いたのですが、既に1時間も
心肺蘇生をしても戻らないということは、
脳死状態で、戻る可能性は0%ということで、
苦痛でしかないとの判断で、止めました。

そうしたらほんの少しだけ自発呼吸と脈が
振れたので、人工呼吸器を着けてくれたの
ですが、それも直ぐに止まってしまいました。
その後、兄と私が順に到着し、人工呼吸器を
外しました。

意識のある状態で皆で穏やかに看取りたいと
思っていましたが、出来ませんでした。

なくなる前の1週間は、敗血症が回復して
きていたので、意識がはっきりしており、
でも体力がなくなったため食事もとれなく
なり、トイレにも行かせてもらえませんでした。
トイレに行きたいと必死になって
訴えていたのに、血圧が急激に上下
するからと、行かせてもらえず、
母は悔しくて泣きそうな、諦めたような
とても悲しく辛い表情をしていたと
父は泣いていました。

美味しいお刺身を食べたいと言っていたのに、
食べさせることができませんでした。
考えるときりがなく、悲しさや悔しさに押し潰されそうになります。
でも、やっと苦しみから解放されたのかなと、
そう思うしかありません。

母の生命力はすごかった。頑張りがすごかった。私よりよっぽど強かったです。
母のように強くなろうと思います。

ほとんど更新のない私のブログに来てくれた方、励ましてくれた方、良いねを押してくれた方、とっても励まされました。
残念な結果にはなりましたが、今までありがとうございました。

約2年ぶりの投稿になりました。
今日から新元号「令和」になりました。
そんな祝賀ムードの中、厳しい内容のブログになります。

実母は2度の臍帯血移植をしましたが、また再発しました。一昨日から敗血症となり、厳しい状態です。

2度目の移植後白内障で両目ともほとんど見えず、時期を見て白内障の手術をしようと考えていたら1年経った辺りから芽球が1%発現してしまいました。再発ではないという先生の言葉を信じ、目よりも再発しないための治療をしましょうと言うことで、ビダーザ治療をしてごまかしていました。
ですが昨年末、とうとうビダーザが効かなくなり、血球がガクンと減り、再再発を告知されました。
3度目はハプロ移植という方法もありますが、おすすめ出来ない。輸血をするだけにするか、今後の事を考えてくださいと言われたのですが、父がどうしても諦めることが出来ず、何とかハプロ移植をしたいと言っていました。

先生は先ずお腹に溜まってしまう腹水治療をしましょうと言うことで、CAG療法を4月上旬に1度行いました。副作用もなく、さすがだねと話していましたが、一昨日急に発熱して、その後血圧が上がらなくなり、今は何とか抗菌剤と昇圧剤で保っています。

骨髄異形成症候群から始まり4年間、必死で戦って来ました。
小さな子や若い人が同じ病気になってしまう事に比べれば、母の歳まで生きられたんだから。。。と言われることも分かります。色々考えて、ブログに辛い思いを投稿する事に躊躇していました。でも、娘としては、そんなに簡単に割りきれませんし、辛いです。
これからどうなるのかわかりませんが、明日はお見舞いに行けるので、何も出来ませんが側に居ようと思います。
また久しぶりの更新になりましたびっくり

母はその後退院し、実家で普通に暮らせて
いますおねがい

もちろんダルくて寝ていたりもしますが、
家事も父に手伝ってもらいながら何とか
こなしているようですキラキラ


先週末、子ども達を連れて帰省しました照れ

とても喜んでくれて、長男には絵本の
読み聞かせまでしてくれました爆笑


ソファーで横になってることも多い
ですが、楽しそうにしてくれていて
良かったです照れ


食事も半人前位は食べられるようになり、
退院してから少しずつ増えてきました笑い泣き

ただ、骨粗鬆症と言われてしまい、
骨がスカスカだから転ばないよう
注意するように言われてしまった
そうですショボーン

食事でカルシウムをとれば戻せるのかしらショボーン


前回の移植から1年経たずに再発
したので、MDSからの白血病というのも
あり、母の白血病はたちの悪い分類
なんだと思います。

毎回診察の度に連絡をもらうまで
怖いです。
母の方が緊張すると思いますが。。。


今月は幼稚園の行事やサッカー大会など
盛りだくさんで帰省出来ませんが
毎月帰れるように調整しようと思います。
久しぶりの更新になってしまいました。
母は順調に回復していて、外出、外泊を経験し、昨日から2度目の外泊をしていますおねがい
今回は残念ながら次男が鼻水を垂らしているので良くないでしょうとのことで、会いに行けませんショボーン
せっかくの外泊なのに、なかなか難しいですショボーン
今回2泊3日の外泊で特に問題なければ来週21日(日)に退院という事になりました笑い泣き

ですが、母は地方に父と住んでいるため、私達子どもが頻繁に帰ることが出来ず、今までは母が家事をしていました。
母の病気後もそれは基本変わらず、父は手伝うことは手伝いますが、ビックリするぐらい気が利かないのと料理は一切出来ないので、そこが心配ですショボーン
その課題をどうすればいいか。今度こそ絶対完治したいので、無理してほしくないし、何かいい方法を考えなければ。。。
昨日は母のお見舞いにいけました。
病室を訪ねると、苦しそうに眉間にシワを寄せて丸まってる寝ていました。
朦朧としてるようで、寒い寒いと言うので布団を二重にしました。

病室に着いてから一時間半はその状態で、二時間だけ時間をもらってお見舞いに来れたので、あー、このまま帰ることになるのかなと考えてたとき、トイレに起きて、私に気づいてくれました。

その後急に元気になり、プリンをひとつペロリと食べて、三ツ矢サイダーも3口位飲めました。
お昼は食べられませんでしたが、とっても安心しました。

母はやはり意識障害が起きてしまったので、自分がどこにいるのか答えられませんでしたが、思い出すときもあるみたいです。
「こんなワケわからないこと言ってても看護師さんは優しく面倒見てくれて本当にありがたいねー」と自分で言っていて、笑っちゃいました。

「携帯電話も私の壊れちゃってるのか、全然使えないの。ワケわからなくていやになっちゃうのよー」と言っていて、よくよく聞いていると、「充電しなきゃいけないなんて、私の世代はわからないよー」と、ニコニコ笑いながら言ってました。昨日父に電話したかったのに出来なかったらしく、ちょうど来てくるていた先生に聞いて電話をかけてもらったようです。

口内炎が大分よくなり、本人も少しは良くなってきているように感じていると思います。
とぼけたこと言って自分で笑ってるので、私もとても明るい気持ちになれました。
まだまだ安心は出来ませんが、直接会えてホッとしました。