もの凄いスピードで変化変容が進んでいる今

その目まぐるしさに疲弊していたり

いくばかの不安を生じている人もいるかもしれません

 

色んな角度から多方面に渡って変化していますが

その中でも 時間 というものへの

感覚や認識の変化が著しいなあーと感じます

 

単純に 時間 というものの

流れ方が早く感じるとかもあるかと思いますが

 

そもそも 時間というものは

過去から未来へ流れているものではない

という所への風穴が開けられ

それを知識として見聞きしてはいたという状態から

もう一歩も二歩も進んだ状態への変化が

促されているようです

 

ただ 知っている というものと

腹落ちしている 腑に落ちている

というものとはベツモノです

 

今はそれらが

実感として認識できるように

何らかのイベントが起きているようです





いまここ の いま という言葉も

過去や未来という時間的流れの認識の

一部としての いま という捉え方もありますが

それは三次元的な観方であり

もう少し大きな観方で例えると

過去から未来へという

直線的な時間の流れではない表し方ですが

当てはまる言葉がないので

いま というのが近しい表現となっています

 

 

その 直線的・継続的な時間の捉え方を取っ払い

「自分」という固定した起点を外すと

いま というものが別の顔で現れてくれます





今までがこうだったから

これからはこうなるだろう

 

今までこう生きてきた自分がいるから

これからの自分はこうなれるだろう

 

というような 過去があるから未来がある

という考え方は もうシマワレています

 

もちろんそういった考え方で

この三次元世界をまだ遊びたい というのは

それも楽しいストーリーですのでアリですが

 

そうではないステップアップの方向へと

舵取りをするのであれば

この 今まで という思考を手放し

そうではない観方がある というのを

受け入れて意識を向けようとすれば

おのずとヒントやメッセが訪れてくれます





もう既に そうなって います

 

いつか成るから頑張る のではなくて

もう既にそうなっています

 

見えていない のではなくて

見ようとしていない のは自分です





鍵を見つけられれば ではなくて

初めから鍵は持っていた という事に気付き


更には

鍵はそもそもついていなかった という

気づきが訪れてくれるのかもしれません

 

 

 

 

いつもお読みくださり

ありがとうございます

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 【note記事】

noteではもう少し緩めで感覚的な言葉で綴っています。

よろしければ覗いてみてください