espace de kika

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日々の記憶

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生きている次元が違う。最近、自分の居場所が分からなくなる。

もちろん この時代のこの場所のこの時間に存在しているのは承知しているが

いや、これは願望なのかもしれない。

俗世界についていけないときがある。

のりがどうとか、空気が合わないとか そんな次元の話ではない。

自分が特別だとも特殊だとも思わない。

ただ単に全くどうでもいいのだ。そのどうでもよさのレベルが度を越えている。

自分のエゴに従えばそうなる。

ふと自らの孤独に気付く。

私が求めたものだったのか 憧れを超えた世界への到達だったのか

心地良くもあるし いてもたってもいられない寂しさを覚える。

私が覚えた最近の孤独。


その時。わが身を置く状況に不安と恐怖を抱いてひどく狼狽した。

その瞬間にその声を欲した。なんでもいいから一言でもなんでもいいから絶対的に必要だったのだ。

なければ世界が反転してしまうと本気で想像した。

唯一助けを求めたその人間に私の声は届かず 相手には受け取る気がないと悟った。 

俗社会でのワンシーンになる。

私はその時に精神の大部分を欠いてしまったと記憶している。

精神に異常をきたしたわけではない。 と思う。

相手を恨むこともない。考えもしない。 むしろ どうでもよい。

ただ 今までずっとそこにあったものの大部分が忽然と消えてしまったのだ。

そして、そこに何があったのかすら もう二度と思い出すことはない。

思い出すという行為すら意味を持たなくなる。


私の興味をひく事柄にはこの先なりえない。

その種の感覚に用はない。

すでに 普通の幸せな生活への願望を放棄している。何が普通なのか どの物差しでそれをそうと決めるのか

あまりに不明瞭だが 例えば人の言う恋愛、結婚、子育て、人との交友 社会といったものから 

完璧にドロップアウトしてはいないはずだが すでにそこに達する欲がない。

物欲はない。

否が応でも我自身はこの世にいるのだから順応せざるをえないわけで 生きていかねばなるまい。

とりわけテレビゲームやインターネット世界に入り込んでバーチャルと現実の境目を見失った人間というわけではない。

はたまた人間関係に疲れきって単に社会と隔離したいというわけでもない。

私はいたって 私の思考範囲内の普通と呼べるはずの普通の人間だ。

私の欲してやまないもの

今 私に必要なのは 真理である。

物質でも既存のものでもない 真の真理と呼べるものを探してやまない。

つい最近 近づいている気がする。

気がするだけなのかもしれない。

全てはイエスでノーで 是で非で 肯定しては打ち消して 延々と自問自答は尽きない。


最近読んでいる神秘宇宙論に感化されすぎている。

人間とは単純である。我輩も然り・・

とある家族の話。美しい家族の中に隠された過去とその現在を必死に生きる者どもの姿。


愛ではない愛を演じる男。

愛と思い込んで幸せな絶頂にいた妊婦。

グロテスクな絵を描き自傷する娘。

自分だけが知らなかったと悲観する別の男との息子。

その息子と妻と家族との間で葛藤し頭を悩ます父。

奔放に我が道をいく母。


そして最後はやはりそれなりにおさまってしまった。

箱はひっくり返らず。


人と共に生きるとはどういうことか。

10年 20年と共に過ごすと愛は薄れて無くなってしまうものなのか。

自分の父と母は、今ほのぼのと生きている。ように見える。

若かりし頃はそれなりにお互い色んな情事があったであろうに。


愛とは


変化するのか

成長するのか

成熟するのか

弱体するのか

消失するのか


永遠ではないのか


夢物語なのか


少なくとも私はどれにも属さずただその存在だけを期待する。

得た時がどのような状態でどのような環境であったとしてもそのままを持続させたい。

それが一番 難しいのかもしれない

与えたいのか 得たいのか

与えられたら素晴らしい

得るのみでは後に自己を崩壊に導く


早速 試みたりする。

そう簡単に事は運ばない。

枯渇した人間から生まれるものなど所詮知れているのだ。

しかし心の溜め池は枯らせてはいかぬのだ。


今宵は家族愛についてしみじみ浸り 

あした

家族に電話しようと思った。


自らがいかに愚かだということは知っている。いや、知っているつもりだ。

どれだけの存在を無価値にしてきたかを知っている。つもりだ。

そして 気付いた時には手遅れであったりする事が多々ある。


私はどこへ行くのか。


あまりに抽象的すぎる自問自答にうんざりだ。

新しい自己を発見したと思った。 もっと広い世界へ漕ぎ出したのだと錯覚した。

事実、私の意識は広範囲へと 数多の真理へと興味が向かっている。

しかし 自らが成長を遂げたわけではない。 

私を取り巻いていたその空気が その場が 

ただ、その風が変わったのだ。


人にいつでも語るように 私はある時期から180度の転換を果たしたことになっている。

自分のやっていることは変わらないのだが、過去にせっせと形成された自我や自己は失われつつある。

良くも悪くもあるのだろう。

これほどまでに影響されるものかと 我ながら驚いてしまう。

このような人間ではなかった。と 思っていた。そう思っているつもりだったのかもしれない。


健全に生きている と主張したかっただけなのかもしれない。 


たかだか数十年生きただけの小童の歴史など この宇宙の存在からすれば

ちっぽけなものだが どこかの必然性の中に私も含まれているはずなのだ。 と思いたい。


この世界の中で

やはり私は孤独であるという意識は変えられない。

現実的に 友人 親兄弟を亡くしたわけでもなく 縁を無くしたわけでもなく 天涯孤独になったわけでもなく 

また周りにはそれらの人々や温かい人間はいてくれるのだが 

わたしが 独りである事に違いはない。 と思う。


この感覚は幼少の頃からなんら変わらない。

 

自らがいかに愚かで浅はかで冷徹な人間だということを知っている。

だからこそ私は求めてやまないのだ。 

この世の真理と智慧  存在意義について。


許しを得たいだけなのかも知れない。

分かったつもりになって自己満足したいだけなのかもしれない。


いつか感じた

言葉のないことば と、その 大いなる魂により近づきたいだけなのだ。