お彼岸も近づき、お墓参りの事を考えていたら、亡くなった母(73才で亡くなり、15年経ちました。私もその年齢に近づいてきましたが)の事を色々と思いだしました。
母は、良くも悪くもお節介?でお人好しで、色々な趣味(日舞・詩吟・大正琴・カラオケ・社交ダンス等)もあり、地区の婦人会の行事にも積極的に参加する行動的な人でした。老人会の催し物には、友人達と自前の衣装で吉四六さんや渡世人?等に扮装して、踊りや寸劇を披露し毎年地区の人達が楽しみにしていてくれていました。
まだ若かった私は、仕事の合間に準備する母に、「なぜそこまでしないと悪いの?他の人にも手伝ってもらったら良いのに。そんなに良い人に見られたいん?」と冷たい言葉を言った覚えがあります。母は「自分も楽しいし、皆も楽しみにしてるし喜んでくれる。それに、花も果実も種を撒かないと咲かないし、実も成らないよ」と、訳の分からない事を言って笑っていました。
その後、実家近くに家を建てたのですが、迷惑をかけるからとご近所に挨拶に廻った時、「○ちゃん(母)には何時もお世話になってるし、○ちゃん(私)も子供の時から知ってるんやから、困った事があったら言ってな。何かあったら手伝うよ」と皆さんから優しい言葉をかけてもらいました。
そして、母が亡くなった今も、私がお世話しなければならない立場なのに、ご近所の方や母の知り合いの方から良くしてもらっています。
今思えば、母はその時に良い顔をしたかったのではなく、撒いた種の花や果実が何時か子供達に戻ってくれば良いと思っていたのだとこの年になって気付き、親の愛情の深さに感謝しています。
でも、残念な事に私は母の遺伝子をどうも継いでいないようで、子供達に遺せるような種蒔きはしてこなかったなと、深く反省😨している今日この頃です。