先生は全てを受け入れます。
理不尽なこと、無理筋な話しも、無礼、非礼も。
しばらくの間、先生と稽古するうちに、
『固いなぁ、動かないのやなぁ。
でもな、やってるうちに、動くから』
その言葉を信じ、先生の動きを見て、真似て
また、色々な書籍、動画を見たり…
遠まわり、まわり道しても、
『ふんふん、うんうん、』
よっぽどおかしいこと以外は飄々と、または
微笑んで見守るだけでした。
自分で創意工夫して、試行錯誤、探して、求めて、また迷う。確かめて、また試す。
もしかして、私が迷路にはまり込み、夢中でもがく姿を見て、自分の若い頃を重ねてくれていたなら嬉しくて。
私の身体が五体満足で、イケイケの頃なら…
多分、出逢わなかったし、私も今よりも
ずっと不遜で尊大な礼儀知らずのままでしょう。
日々の努力、小さな発見、喜びが私には宝物に思えました。
『不自由な身体を努力するから治して欲しい』
と、三十三観音巡りもしたし、お稲荷様にも。
もちろん、氏神様、土地神様にも。笑
結果よりも、努力を続けたい、と。
こんな日々が永遠に続きますように。
しかし、そうも行きませんでした。
先生を病魔がおそっていたのです。