まだ正式にスタートしたわけではないが、わたくしは現在、湯沢国際教会という教会の設立準備活動をしています(総員5名たらずの弱小教会です)。わたくしは元会計学者(政府会計学者)で、正式にキリスト教の神学校を修了したわけではありません。教会での肩書は「信徒伝道師」になると思います。しかし、少し前に日本基督教団系の神学校でギリシャ語(新約聖書の原語)を学んだり、夜間講座をzoomで受講したり、社会科学者として「現代社会におけるキリスト教を考える」というテーマでハーバート大学神学大学院で研究したことがあります。現在、時々日曜日に地元の信者の方と聖書の学びをしております。
今日はルカによる福音書10章の「善きサマリア人のたとえ話」を読みました。
律法学者がイエス様に「永遠の命を得るには何をすべきか」尋ねました。イエス様は律法学者に「神を愛し、隣人を自分のように愛せよ」と答えると、律法学者に「では、私の隣人とは誰か」と問われました。そこで、善きサマリア人のたとえ話になります。「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗が彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去りました。するとひとりの祭司がその道を下ってきましたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。
同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。ところが、あるサマリヤ人が旅を通りかかると彼を見て気の毒に思い、近づきその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいを巻いてやり、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。イエス様は「この3人の中で誰が隣人か」と言われました。もちろん、サマリア人が答えになります。キリストの教えで何が一番大切かを考えさせる場面です。自分の中で社会科学を考える基礎理論ともなっています。
