入札の市場規模って約20兆円といわれていて、その半分が500万円以下の落札金額です。
公共事業というと何百億の世界と思いますが、意外に中小企業でもなんとかなる案件が多いんです。もちろん、参加資格などクリアしなければいけないこともありますが、基本的には誰でも参加できる。特に一般競争入札は安く入札したところの勝ちという単純明快な構造。だから営業の必要もなく結果と展開がスピーディーなんですね~。
入札の市場規模って約20兆円といわれていて、その半分が500万円以下の落札金額です。
公共事業というと何百億の世界と思いますが、意外に中小企業でもなんとかなる案件が多いんです。もちろん、参加資格などクリアしなければいけないこともありますが、基本的には誰でも参加できる。特に一般競争入札は安く入札したところの勝ちという単純明快な構造。だから営業の必要もなく結果と展開がスピーディーなんですね~。
「銀座のクラブを経営しております」
まあ聞こえはいいかもしれない。別段銀座でなくても「一国一城の主」という立場は、世間的には羨ましがられることが多く、僕自身も「社長」と呼ばれて悪い気はしなかった。しかしだ、成功者と称される経営者はほんの一握り。厳しい経営状況ともなれば、支払先から従業員まで、あちこちに頭を下げ、ぼろっかすに言われ、精神的にも追い込まれ、そんな精神状況で踏ん張って死力を尽くして会社を守ったところで、「それはやって当たり前、経営者として当然の責務」であり、誰も評価しないし、よしんば倒産ということになれば、財産も失い、借金取りに追われ、生活基盤は崩壊し、もちろん精神的にも追い詰められた上でそのような事態となるわけだから、そこで自殺という選択肢を選ぶ経営者がいたっておかしいとは思わない。そのような巨大なリスクや精神的プレッシャーを背負う「一国一城の主」や「社長」という立場は、僕からすると、ちっとも羨ましくもないし、現在の成功者とされる経営者でも、未来においてはどうなるかわかったものではないので、好んでそのポジションに就きたいとは思わない。
もちろん、そういうことはやってみないとわからないことでもあるのだけど、実家が商売をしており、両親の苦労を見て育ったから、自分は経営者に憧れてその道を歩んだわけではなく、ある種の人格破綻者だったがために既存の組織に適応できなくて、経営者の道を進むことになった。
銀座でクラブを始めたのも、そういった具合で、「お店を持ちたい」という願望があったからではなく、実際社長は嫌だったので、当初は経営者でもなかった。しかし一年もたたないうちに社長が仕事を放りだしたため、好むと好まざるにかかわらず、自分がお店の舵取りをすることになり、そして…。まずまず上手くいった時期もあった。メディアにも取り上げられるような有名店になった時期もあった。しかし、自分の努力不足と運にも見放され、困難な経営状況に突入していく。
さて、水商売の支出の半分以上は「人件費」であり、売上が落ちると、ここを削るしかない、しかし人件費の削減は、モチベーションの低下や人材の流失を招き、更なる売り上げ低下を招きかねない、実際この現象が自分のお店でも起きて、どうしようもない状況に陥って、最後の手段としてお店を移転し、家賃を半分に圧縮して生き残りをかけた。しかし、状況判断が一歩遅く、無理に移転したその移転費用が足枷となり、人件費の圧縮も限界を越え、僕自身が派遣社員でアルバイトをして、生計を立てるという状況まで推移し、そこまでくると、ほとんど「意地」でやっているようなものなのだけど、一緒に働いていた人々は「社長は社長、自分は自分」というスタンスで、新しい努力もなく、まあ、そんなんじゃやる気も失せますわな。で、ついに閉店を決断したのだが、なんというべきか、幸運なことに、生計を立てるためにやむなく手を出した派遣社員を通じて、新しいチャンスと出会い、次の展開が開けることになる。
■案件No.2NISA
沖縄のこの案件。実施は立ち会えず金沢に~。
2013年は自分にとって本厄でもあり、全くもってカタストロフィーな一年であったが、十年間仕事をした、いや、学生の頃からすると二十年間お世話になった銀座という街を離れ、新しい人生に踏み出した感慨深い一年であった。
銀座を離れた原因は自分が経営をしていたクラブが破綻したのが主な理由だが、飲食店でも経営をされたことがある方ならおわかりだろうが、七年近くお店をやっていれば、それなりに顧客もあるわけで、日銭商売でもあり、自転車操業しながら、なんとなく食っていくことは可能。ましてや水商売、ありとあらゆるダークな手段を使って、店舗の存続を図り、厳しい時節を乗り切るという選択肢もあったし、他店で雇われ店長でもやって銀座で生き残るというシナリオもなくはなかった。実際のところ、並の神経ではできない手法で危機を乗り越えて成功を収めたクラブオーナーも知っているし、僕自身が雇った店長やママの中には、お店は潰したけど「お客さんを持っている」という経緯の方もいた。
だから、これは負け惜しみかもしれないが、原因としては経済的ものもあるにせよ、最終的には「お店の看板を守る」という自分の心が折れた、ということであり、折れた瞬間に銀座から自分の心が離れてしまったということになると思う。
さて、そうとはいっても、食っていかなければならず、借金も綺麗にしていかなければいけないわけだし、銀座後の人生もあるわけで、成行きの部分もあるが、自分なりに熟慮して、新たな仕事を見出し、それが「入札」=「霞が関」というものにたどり着いた。もちろんたどり着いたといっても、自分にとっては、始まったばかりのビジネスであるのだが、昨今の入札改革で経験がない方にも広く門戸が開かれているし、他にはない様々な利点もある。
前置きは長くなるが、自分の「銀座」での人生を振り返りながら、「霞が関」で出会った、この新しいチャンスについて触れ、まだまだ道半ばのもではあるが、苦境に陥っていた自分自身が再生していくということを通じて、同じような立場の同志の方へ、アイデアや勇気というものを喚起できたらという「試み」をしてみたいと考えている。
■案件No.1 あんぜんシンポジウム
厚生労働省のこれが、入札初ゲット案件。ホントに勉強になった案件でした~。この案件でのよもやま話はまた別の機会に~。
30代は銀座のクラブ経営で生計を立ていて、ホステスさんやお客様といろいろなドラマがありましたが、40になり、それまでお世話になった銀座を離れ、霞が関の公官庁を相手にした仕事に転職。
もともと書くことが好きで、銀座の頃は、時間的余裕もあり、またお店のPRもかねてブログやらフェイスブックやらを熱心にやっていたのですが、最近はぜ~んぜん時間もなく、そこらへんは放置状態でした。
良くも悪くも、ちょっと落ち着いたんで、銀座のことや、自分の人生を振り返りながら、自分が今取り組んでいる「入札」という興味深いビジネスについて、のんびり書いていこうと思っておりますので、よろしくお願いいたします。