晩節雑考種々雑考~明るく素直にあたたかく~

晩節雑考種々雑考~明るく素直にあたたかく~

とかくこの世は生きずらい、みだりに悲観も楽観もせず、執念深く生き通していく精神を養いたい・・・・

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 なかなか更新できなくて、ごめんなさい。すっかり書き方を忘れてしまいましたが、なんとか生き抜いております。「きゅーばじんさん」お元気かなあ?いつか本格的に更新したいと思っています。どうかよろしく!

 前回書ききれなかったのだが・・・・

 86年冬フィリピン軍が担ぐ神輿をマルコスからアキノに替えて以後、政治犯の数が増えた。アキノ大統領誕生で民主化への道のりが始まったはずだから意外に思えるかもしれないが、フィリピン軍が担ぐ神輿をマルコスからアキノに替えたに過ぎないと考えてきた愚生狩場兵庫にとってはやはりそうかだった。

 日本国内で『ピープルパワーによる革命』を信じて疑っていなかった人々にはとても悔しかったであろう。当時、フィリピンで民主化運動の活動家の方々をこの国に招いての集いがあり、愚生も断る理由がなく(デモにも来ない奴め!労働者の闘いにも参加しない奴め!とののしられていたのが響いた)仕方がなく参加した。長い時間をかけて軍の中に民主化活動家を潜入させて軍の民主化を育てていくしかないのではないかと思っていたが軍部憎しの熱気でそれを口にできる雰囲気ではなかった。まだ元気あふれていた参議院議員の田英夫さんがロビーにおられてニコニコしておられたのがいい意味で印象深かった。集いの途中、当時社会党委員長だった土井たか子さんが現れてそれなりのことをしゃべってさっさと帰って行った。翌日の朝日新聞の各党党首の前日の活動状況欄にはこの集いへの参加のことは書かれていなかった。主催した方々は朝日新聞にコネがあるらしかったので意外だった。

 フィリピンに限ったことではないが、人々は強い指導者を求めるものだ。

 アキノさんが今一つぱっとしなかったその後、映画スターが大統領になったが、映画の中ではヒーローだったが、現実には私利私欲の限りを尽くして大統領の座を追われ、二代目女性大統領は一族の私利私欲に利用されただけに終わった。

 確か近年映画『ミッションインポッシブルシリーズ』でマニラが登場しその経済発展ぶりに驚愕。人々は経済さえ良ければほかのことはどうでもよくなってしまうのだろうか。

 軍が担ぐ神輿をマルコスからアキノに変えたに過ぎない86年前後の『ピープルパワー』による打倒マルコス軍事独裁の熱気は否定しないが、あの熱気はその後どうなってしまったのだろうか・・・・

 あの頃世界各地で民主化運動が盛んでそれが全くぱっとしない国の代表がこの国だと自覚していたが、あれら民主化運動の多くは『新自由主義』に利用され利益至上主義の資本主義経済が世界を乗っ盗っていくさまは映画「ショックドクトリン」に詳しい。この映画また観たい!

 その原点ともいうべき1973年9月11日。この日を結末とする映画『チリの闘い』がおすすめ!

 

 フィリピンで国民的大絶賛の『暴言王』が、この国にやって来るらしいが、『暴言』ばかりが注目されているがもっと冷静で多角的な分析考察にお目にかかりたいものだ。

 フィリピンといえば思い出すことが二つあり、一つは83年夏のニノイ・アキノ氏暗殺のその瞬間は映っていないがそれなりのスクープ映像と86年冬の独裁者マルコス逃亡によるニノイ未亡人コラソン大統領就任の『ピープルパワー幻想』。

 当時、この国の中でも『ピープパワー』で独裁者を追い出した!とはしゃいでいる人々が少なからずいたが、愚生は『軍が担ぐ神輿を替えたに過ぎない』と冷静にみていてピープルパワーにはしゃぐ人びとの嘲笑を浴びたが、愚生の見解が正しかったことはその後コラソン大統領はたびたび軍のクーデター騒ぎに振り回されたことからも明らかであった。

 フィリピン軍の実態について知りたかったのだが、今もって果たせないでいる。何方かご存知の方おられれば、ご教示願いたい。特に暴言王との関係について知りたい。

 

 『山手線沿線私立大学図書館コンソーシアム』で検索していただくと8大学の名前が出てきます。

 そのなかのある大学に愚生狩場兵庫、1980年代中期、学費は自分で働いて稼ぎ学費と同じいやそれ以上の額の金を親に支払って頑張った挙句80年代末期バブル絶頂期に結局人生を棒に振った。

 あの頃のことは悪夢のトラウマと化していたが、近年「科目等履修生」として出戻り、それがきっかけで図書館利用許可を取得、トラウマとはそれなりに付き合っていけるようになった。

 在学当時、働きながら大学に通う他校の人たちとの交流会に参加。それらの大学がちょうど『山手線沿線私立大学図書館コンソーシアム』傘下大学にすっぽりとはまる。交流会で各校の校歌を学び、忘れたかと思っていましたがインターネットで調べたら、それらが聴けるんですね!さらになぜか意外と覚えているものですね。

 そこで『山手線沿線私立大学図書館コンソーシアム傘下大学校歌ベスト3』を勝手に決めてしまいました。

 一応順不同なんですが、順番に3位・2位そして1位と解釈していただいても構いません。

 まずはこれだ!

https://www.youtube.com/watch?v=yILu2LkgHTY&list=PL3801DDE4F9AAD943

 どうでしょうか?いかにも大学の校歌らしいとは思われませんか。

 明治(大日本帝国)憲法体制下で創られた歌なのに(少なからぬ国民の皆さん方のおかげで)近く廃止になること間違いなしの現代憲法にも通じる歌詞が随所にみられる一方で、いかにも大日本帝国といった歌詞もみられますね。以前明治大学の方に伺ったところでは一部歌われない番もあるそうです。ドイツ国歌みたいですね。

 つぎはこれだ!!

https://www.youtube.com/watch?v=H8SUsJdACEc

 在学当時(この大学かどうかは楽しくご想像ください)、この校歌が一番乗りがいい!と思ったものですが今こうして聴くと意外とそうでもないですね。なんか60年代青春歌謡みたいな気がしますね。その当時を知らないくせに生意気ですが・・・・

最後はこれだ!!!

https://www.youtube.com/watch?v=0o-k6axXAng

 「ああ行けたたかへ雄雄しかれ 眼さめよ起てよるるなかれ」

 島崎藤村作詞なんですが、キューバあたりの革命ソングみたいで、ゲバラやカストロさんたちが歌いながら歩いてくるような気がします。

 同じ校歌でもこちらで聴くと…・

https://www.youtube.com/watch?v=CX0OzLK5sUo

 ええっ~こんなに乗りのいい歌だったのか!と、がらりと雰囲気が変わるのではないでしょうか。『よそ者』としては、うらやましいかぎりの激しい嫉妬心をおぼえますね。やはりこれがベストワンかな?歌っているのはこの大学の中退生グループで近年「名誉卒業生」の称号を得たとか。その映像も観れます。愚生狩場兵庫の歴史劇映画脚本が世に出て英語で世界配給作品として製作され世界中でヒットしたら、『あの大学』から「名誉卒業生」の称号でもえられるだろうか?これは妄想だな・・・・・

 それはそれとして大学図書館とは生涯付き合っていくぞ!

 9月19日()敬老の日、午後3時30分、国会議事堂正門前!

 『強行採決から1年、戦争法廃止!9.19国会正門前行動』

 主催:総がかり行動実行委員会

 http://sogakari.com/


 9月22日()秋分の日、正午前後、代々木公園B地区

 『さよなら原発さよなら戦争9.22大集会』

 http://sayonara-nukes.org/


 『赤旗振るヒマ無き貧乏人』愚生狩場兵庫が言うのもなんだが、一人でも多くの人々に駆けつけてほしい!どうせ反対したって無駄さ、誰か行くだろう、そういう考えでも構わないが、とりあえずでも何でもいいから駆けつけるだけでも駆けつけてほしい、必ず何かが得られるはずだ。それを地元の国会議員や予定候補者、各政党などにぶつけてほしい。これが本当の民意だ!と。


 そして今日9月11日は、1973年、南米チリで国民が選んだ社会主義政権が資本主義絶対主義者らに操られた軍事クーデターによって滅亡に追い込まれた日であり、2001年やはり資本主義絶対主義者らによる21世紀戦争社会体制のためのやらせテロが起きた日でもある。

 今も想い出す。2001年のその朝、鎌倉に上陸した台風が首都東京を直撃、午後9時台までのニュースはそれ一色、しかし10時前後から一変する。あの映像を観てすぐにすべてを察した、21世紀戦争社会体制確立のためのヤラセだ!と。即刻そこまで気が付いた人は珍しいとか。愚生狩場に言わせれば、なんで?なのだが。

 この感覚を歴史劇映画脚本を書くことに活かしていきたい。カネと時間と労力はいくらあっても足りない。

 上記活動には参加できないが心は参加者たちと共に!

 歴史は必ずわれらを勝利に導く!


 

 

 名作『名もなく貧しく美しく』ほかの映画監督であり尊敬する脚本家でもある松山善三さんが91歳の大往生を遂げられた。

 松竹入社当時、月に一度の贅沢は『五目そば』というのはよく知られた逸話であろう。

 愚生狩場兵庫の月に一度の贅沢は何だろうか?全く思い当たらない。愚生の場合は『名もなく貧しく『醜く』が妥当であろうか。

 主演松田優作が『自分はミスキャストだ』と謙虚に反省したという松山さん脚本の映画『人間の証明』、この脚本は意外にも依頼されたものではなく『公募に応募』当時十年ほど自身の企画が成立していなくて『車検にでも出すつもり』で応募されたとか。

 新聞の死亡記事に疑問を抱いた。

 映画『名もなく貧しく美しく』について、『ろうあの夫婦の手話に字幕を付けた演出が好評を博した』とあるが、この作品を観た愚生の記憶では『字幕の無い演出』が字幕が無いのになぜか会話の内容がそれとなく伝わりとても印象的だった。

 もう二十年も前のことなので記憶違いかもしれない。どなたかご存知の方おられたらお知らせください。

 9月2日は、1945年、大日本帝国政府が連合国軍への無条件(天皇の身の安全を何らかの形で保証する戦犯にしないという裏取引が間違いなくあったはずだが)降伏文書に調印し第二次世界大戦が終結した記念日。

 8月15日は、天皇裕仁が臣民に対して大日本帝国政府がポツダム宣言を受諾し降伏(神聖不可侵である天皇は降伏していない)することを公表した日にすぎない。

 1986年夏の衆参同日選自民党圧勝以来確信していたことがついに現実となった。国民的大絶賛のもと憲法が改悪される。経済さえ良ければほかのことなんかどうでもいいと言わんばかりの少なからぬ人々のおかげで、国民の皆さんはこの先自民党王朝の『臣民』になります。後悔する人は決して多くないと思う。多くの人々は経済のため積極的に自民党王朝専制体制に隷従していくことでしょう。第二次世界大戦敗北後の押し付け日米安保体制に多くの人々が盲従したように。押しつけは憲法でなく日米安保体制である。結局戦後71年この国の人々は何ら変わることが無かった。

 シールズの解散は、それが今後就職活動等への不利益を恐れたものでない限り善意に解釈したい。シールズの人々を左派系各派が自分たちの足軽雑兵(あしがるざっぺい)候補として誘惑の魔の手を伸ばしたと思う。それらに対する一つの答えが解散だと思う。

 27万票獲得しながら落選したミュージシャンの敗因は、野党各党から推薦所をもらい野党共闘候補となる努力を怠り山本太郎の二番煎じをねらっってしくじったにすぎない。東京都選挙区は当選枠6議席、2議席以上の複数当選区は野党共闘候補を育てるべきである。

 絶望的な今年の第二次世界大戦終結記念日を善意に解釈するとすれば、戦後71年にしてようやくこの国史上初のレジスタンス運動の歴史が始まった、と言いたい。

 先週月曜の台風には散々な目に遭い、トラウマ化しているが、次の台風は、福島原発を直撃するのではないか?!

 そうなると台風に乗って危険な放射能が拡散されるのではないか?!それは、『脱原発テント』をぶっ潰しやがった、この国の少なからぬ人々が『経済さえよければほかのことなんかどうでもいいんだよ!』とばかりに御支持あそばされているナチスジャパンファシスト連合への大自然の報復となるであろう!

 間違ってもざまあ見ろ!などとは思わない。さらに大自然の報復など奴らは『屁』とも思わないであろう。

 映画『スター・ウォーズ エピソードⅥ ジェダイの帰還(初公開当時の邦題はジェダイの復讐)』での銀河皇帝の『わしを憎め、憎め、そうして暗黒面に引きずり込んでやる』という高笑いとも重なる。

 『経済さえ良ければほかのことなんかどうでもいいんだよ!』こういう連中はすでに心の暗黒面にどっぷりつかり込んでいる。こういう人たちはこうも考えているはずだ『障害者なんて殺されたって仕方がねえ。どうせ生きてたって何の価値もねえんだ。だってそうだろ。あいつらが景気経済に何の貢献ができる。ふざけんじゃあねえ、あいつらに税金掛けるんなら、大企業に税金つぎ込んで儲けさせた方がよほど景気経済のためだ。」

 こういうクソどもを暗黒面から引きずり戻すには、残念ながら特効薬も何もない。願わくば、この人たちの身近に障害者がいることを冷静真剣に想定して自分のこととして想いを馳せてほしい。そしてもし自分が何らかの形で何らかの障害者になったらとも想いを馳せてほしい。そうしていけば、やがて世の中、景気経済がすべてではないと、せめてその程度のことは気が付いてほしい。

 愚生狩場兵庫のなかにも『心の暗黒面』はある。そしてそれと闘っている。

 経済産業省北東の一角を民主的に『占拠』していた『脱原発テント』(以前画像つきでご紹介)が、予想の範囲内とは言え先日呆気無く『無血開城』となった。

 以前何度もこの場所を『死守』することについて威勢のいい叫びを耳にしていたので『数百人規模の数日間にわたる血の攻防戦』も想定していただけに何と言っていいのかわからない。

 赤旗とて振る暇無き、今やデモに参加する暇無き貧乏人が言うのもなんだが、これがこの国の民主主義の現実だな。

 決して否定批判でなく・・・・

 今更ながらだが、以前からこの場所にこだわる理由がわからなかった。『国』と交渉して『使用許可』をとる交渉をして時間を稼ぐこともできたのではなかろうか・・・・・

 多方面からのご意見に耳を傾ける時間があるといいのだが・・・・・

 『日の丸君が代反対』はなぜ敗けるのか・・・・

 簡単な事だよ。

 単なる反対、それもバカの一つ覚えに近い反対だけで、『新国旗国歌制定運動』ではないからだ。新国旗新国歌制定運動を通して日の丸君が代に反対していくべきである。

 天皇主権、国民は天皇の臣民にすぎない『大日本帝国憲法』に変わり臣民でなく国民が主権者であり、天皇は単なる象徴にすぎない『日本国憲法』に変わったのだからそれにふさわしい『新国旗新国歌が必要である、それを創ろう!』という運動がなぜ起きないのか?不思議で不思議でならない。それすらできないから敗けるんだよ。

 その話をある『日の丸君が代反対運動団体』の方々にしたら、『いいからいいから』とばかりに『これまいて来て』と『日の丸君が代反対』のビラの束を手渡されそうになり、拒否したら『お前は日の丸君が代に賛成なのか!』と激怒されたが、拒否を貫いた。

 もし断りきれなくてそのビラを手にしたある人に愚生狩場兵庫同様『日の丸君が代反対でなく新国旗国歌制定運動でなければダメだ』と言われ自分もそう思うんですけれど、となれば、『ここはきみの戦場かい?違うだろ!』と言われるのは目に見えていたからあくまでもそのようなビラを手渡されそうになっても拒否を貫いた。当然のことである。

 歴史劇映画脚本の作家として作品中にさりげなく実在しない旗を忍び込ませそれを図案化すると『新国旗案』になる。さらに印象的な台詞を抜粋して並べるとそれが『新国歌案』になる。それをやる人によっていくつもの案が可能である。それらをデモの時などに使って欲しい。そうやって天皇主権・国民は天皇の臣民にすぎない時代の『日の丸君が代』に変わる『新国旗国歌案』を育てていくべきではなかろうか。戦後71年、それすらほとんど全くできていない空虚な国民主権。これじゃあ敗けるのは当たり前だ!