昨日ちょっと会社の仲間と居酒屋で飲んでたんですよ
斜め後ろからムツゴロウさんのような話し方をする人がいて、そんな特徴的な人はこの世に何人もいないんでつい振り返っちゃったんですよねえ。
そしたら中学の美術の先生!
私の絵の先生でもある福永先生でした。
私の中学じゃ当時まあ名物先生だったと思います。
あの先生は教師と言うより画家でしたね。
私はそういう意味でも幸運だったと思います。あの先生に出会えたから獲たものが本当に大きくて。
その頃のうちの中学では美術部ってやつがなかったんです。
小さい頃から絵が好きだった私は、中学に入ったら美術部に入るんだって意気込んでいたのにないことを知ってショックでした。
それで一人、先生に言ってみたんです。
「美術部ってないんですか?私、入りたいって思ってたのに」って。
先生はあっさり「そうだね。作ればいいよ」
そこから怒濤の毎日ですよ。
部活を立ち上げることがこんなに大変かってなくらい。
生徒会の規則があるわけです。それに沿ってまずは同好会。それから倶楽部。
人数を増やさないと行けない。お金は下りてこない。画材はない。
先生も私も自腹ですよ。中学生のくせにお小遣いを画材につぎ込んで、安い木炭と紙にデッサンをする毎日。
ずっと油絵が描いてみたいと水彩絵の具にサラダ油を混ぜて真似して描いてみたり。
休みは市役所の展望台から絵を描いたり、城山で絵を描いたり。
やっと部員が3人に増えたころ、貯金して電車で鹿児島までピカソ展を見に行ったり絵を描くということが楽しくて仕方がなかった。
そんな子供でした。
先生はいつも一緒になって絵を描いていました。
うちの中学はその時代らしくそれなりに悪やつもいて、ビーバップが流行ったりしてた時代だったんで先生もいろいろ苦労してたんだろうけど、私は先生を画家として尊敬していました。
たまには先生と自分との表現の違いにムキになる私を、嬉しそうに「やればいいんだよ。そうやって自分のことをぶつけるんだ」と言ってましたね。
お金が貯まって、キャンパスもどきを買えるようになって、安い油絵の道具が買えるようになったらもう嬉しくて、いつも制服の袖口に絵の具をつけていました。
部員が増えて部活だと認められて生徒会からお金がもらえるようになった頃、先生は展示会に出展させてくれました。
たった10分の休み時間すら部室へ行くような子供でした。
こっそり新聞の折り込みのバイトをしては少しの小銭で筆を買いに行ったりしてた。
あの頃の私にはそれしか見えていなかったでしょうね。
小学校の頃から合唱団に入れられて、中学のクラスにスカウトされたことがあったんですがすべてすっぽかして絵を描いていたので合唱団の先生に諦められたこともあったけど、歌うことより絵が好きでした。
3年の頃、先生が「美大に行きなさい。先生が推薦状を書いてあげるから」と言われたけどそんなお金もなく、布団をかぶって大声で泣いたこともありました。
その後高校でも美術部、でもバイトを始めたことがきっかけでバンド活動と平行するようになりました。
でも不思議とバンドも学校も上手くいってたんですよ。
むしろ就職だとかで部活が出来なくなった頃のほうがスランプでしたね。
3年最後に展示会で入選したので会場に呼ばれていったころ、当時の顧問が私に「先生、教師を休もうと思うんだ。それで外国で画家として頑張っていきたい」と言われたんです。
だから私は先生に「私の中学の恩師は福永先生というんですけど、先生が私に絵をずっと描きなさい。ピカソがどうして長生きだったか知っているか?美しいものを追い求めるからだよって教えてくれました。」というと、嬉しそうに「君は本当にいい先生に巡り会っているんだね」と言われました。
先生から「絵を描いているなら見せなさい。人に見てもらいなさい。いくつになっても僕に見せに来なさい」と電話で言われたことがあります。
あれから20年以上たっても先生は私のことを忘れずに 昨日も「元気でいなさい。君が元気でいてくれたらそれでいい」と言い残して帰って行きました。
私はいつも誰かに背中を押されてます。
いつも誰かに支えてもらえてます。
歌を歌う時も、絵を描く時も、いつも私は誰かに応援されています。
報いたいと心から思います。