「父の日」の由来とプレゼント | タッキのブログ

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6月の第3日曜日は「父の日」ですが、そもそもどんな由来があるの? 

 

本来のプレゼントは? シンボルカラーは黄色なの? 父の日を迎える前に、素朴な疑問を解決しましょう。

 

6月の第3日曜日「父の日」としてもうすっかりお馴染みですが、そもそもどんな由来があるのでしょう? 本来のプレゼントは何? シンボルカラーは? 

父の日を迎える前に、素朴な疑問を解決しておきましょう。
 

父の日の由来

父の日は、アメリカのワシントン州に住むソノラ・スマート・ドッド(Sonora Smart Dodd/当時は夫の姓名に夫人をつけて呼んでいたため、ジョン・ブルース・ドッド夫人 Mrs. John Bruce Dodd とも言う)によって提唱されたのが始まりだと言われています。

 

ドットの父、ウイリアム・ジャクソン・スマート氏は、北軍の軍人として南北戦争(1861年~1865年)に召集され、

父不在の家庭を支えて6人の子供(男5人、女1人)を育ててくれた母は、父の復員後、過労によってこの世を去ってしまいました。

 

父は残された子どもたちのために懸命に働き、戦後の大変な時代にもかかわらず、男手ひとつで6人の子を立派に育てあげてくれました。

そんな父の姿を見て育った末っ子ドットが、父を称えて「父の日」を提唱し、父の誕生月にあたる6月に「父の日」ができました。

 

「父の日」と「母の日」の関係

母だけじゃなく「父の日」も…!

今でこそ当然のように「父の日」と「母の日」がありますが、当時はそうではありません。

「父の日」成立の背景には、「母の日」の影響があったようです。

■1908年
アンナ・ジャービスが「母の日」を提唱する。
「母の日」の由来
■1909年
「母の日」を知ったソノラ・スマート・ドッドが、「父の日」も作って欲しいと牧師協会へ嘆願する。
■1910年
ウェストバージニア州が「母の日」を認定する。
■1914年
5月の第2日曜日を「母の日」として制定し、国民の祝日となる。
■1916年
「父の日」が認知されはじめる。
■1923年
第30代大統領のジョン・カルビン・クーリッジが、「父の日」の意義を提唱する。
■1926年
「ナショナル ファーザーズ・デイ コミッティ」がニューヨークで組織される。
■1972年
6月の第3日曜日を「父の日」として制定し、国民の休日となる。

こうしてアメリカで始まった「父の日」が、“父親を尊敬し、称え祝う日”として世界的に広がっていきました。

 

父の日のプレゼント

「父の日」にはバラ。白と赤のいきさつは「母の日」のカーネーションに似ています。
 

今ではさまざまな贈り物をしますが、本来は何を贈ったのでしょう?

「母の日」がカーネーションだったように、「父の日」にはバラを贈りました。

 

これは、ドット夫人が父親の好きだったバラを選び、白いバラを父のお墓に供えたことに由来します。

また、父親が健在なら赤いバラ、他界された後は白いバラを贈るという説もあり、このへんも「母の日」のカーネーションに似ています。

 

日本の「父の日」

日本では黄色が広がりました。
 

日本では、「母の日」が公式に5月の第2日曜日になったのが1947年ですから、「父の日」が広がったのはそれ以降。

 

70年代で、それほど認知されてはいませんでした。

やがて、1981年に社団法人日本メンズファッション協会を母体とした『FDC 日本ファーザーズ・デイ委員会』が設立され、父の日が国民的イベントになっていきました。

 

同委員会では黄色を提唱し、「父の日黄色いリボンキャンペーン」や「ベスト・ファーザー発表・授賞式」などの活動を行っています。

黄色や黄色いリボンの由来は…


『イギリスでは古来、「黄色」は身を守るための色とされていました。


「黄色」がアメリカに渡って「黄色いリボン」となり、「愛する人の無事を願うもの」となりました。』(『FDC 日本ファーザーズ・デイ委員会』の「黄色いリボンの由来」より抜粋)

こうした活動が実を結び、日本では黄色を父の日カラーにするところが多いのです。

 

花に関していえば、黄色いバラやヒマワリのほか、白いバラ、白いユリなども支持されているようです。

 

 

暮らしの歳時記ガイド 三浦 康子

All Aboutより転載

 

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