Minha Vida Diaria

Minha Vida Diaria

2016年に父が亡くなり、2019年にレビー小体型認知症だった母が亡くなり、その最中に介護福祉士となり、2024年には兄が癌に···。その兄が2025年3月に亡くなってしまいました。一人ぼっちになってしまい、未だ立ち直れずにいます。

2025年3月6日(木)

今朝、9:35 兄が永眠しました。

享年61歳。


妹の私から言わせれば、

やはり短い人生でした。


今朝、スマホの目覚ましのスヌーズで

起きては寝て、また起きては寝てを何度か繰り返し、朝の5時、病院からの電話に慌てて飛び起きた。


主治医のあの優しい女性の医師から。

私をビックリさせないように、

努めてゆっくりと丁寧に話をしてくれた。


昨夜の兄の様子···

夕飯はゆっくり食べていたと。

特に変わりはなく。


夜の9時頃、巡回に来た看護師さんが

兄がベッド横の床に真っ直ぐ寝ている?落ちているのを発見したと。

上の肌着もパジャマもベッド上に脱ぎ捨てた状態で。


何をしようとしたのか?


幸い主治医の女性の医師が当直でいらしたので、

看護師さんと一緒に兄の身体をくまなくチェックして、またベッドに寝かせてくれたそう。


外傷もなく、医師の呼びかけにも、なんとか答えていたと。


見守りしきれず、ベッドから転落させてしまって

申し訳なかったと謝られた。


とんでもない。

全く申し訳なくなんかない。

これはどうしようもないこと、ホントに。


その後も、頻繁に様子を見てくれて···

でもだんだん反応が薄くなってきたらしい。

これは一旦家族に連絡を···ということになったわけで。

そこで朝の5時に電話をくれたということ。


実は昨日から胸騒ぎはしてたんだよなぁ。


昨日の昼に病室を訪れると、

兄はあまり調子が良くないらしく、顔をしかめていた。

昼食もあまり食べておらず。


私が「具合悪い?」と聞くと

兄は指でバッテン印を出して、辛そうな顔。


でも「コーヒー入れてくれる?」と言うので

いつものようにコーヒーをいれてあげた。


兄はそのコーヒーを飲んで

「やっと落ち着いた。生き返ったよ」と

苦笑した。

その後、コーヒーをもう一杯おかわりして。


コーヒーを飲むと、

いつものように足の裏のマッサージと、

手のひらのマッサージと、

合谷のツボのマッサージを

「やってくれる?」とお願いしてきた兄。


これはいつものルーティン。


マッサージをしてあげると

「気持ちいい。ありがとう」と言って

兄はベッドに横になった。


それから兄は深くも浅くもない眠りについていた。


兄の傍らで、私はスマホをいじりながら時間を過ごす。

いつもはもう少し会話をするんだけど、

昨日は、兄は横になったまま。


面会時間が終わる頃、

私は兄の顔を見て「じゃ帰るね、また明後日来るからさ」と声を掛けた。


兄は目を開けて私をうっすら見ると

「気持ちいいんだ」とひと言。


その眠りが気持ち良かったんだろう。


そんなことを言う兄は初めてだったので、

何とも言えない気持ちになって病室を後にした。


その日の夜、

布団に入ってから

「深夜とか朝方に電話が掛かってくるのは嫌だなぁ」

と妙にそんなことを思ってしまった。


そしたら、朝の5時に電話って💦💦💦


胸騒ぎが当たっていた?

虫の知らせ?


5時に電話を受けた私は、

冷静に焦らずサッサと支度をして家を出た。


駅に着くと、再び医師から電話。

「さっきとまた少し様子が変わってきました。目の焦点が合わなくなって、受け答えもしてくれません。呼吸も浅いです。大部屋ではお話できないので、個室に移ってもらってます」と。


医師は落ち着いていて

私を焦らすこともなく

「もう向かってらっしゃるんですね。待ってます」と仰った。


この時間帯の下りの電車は少なくて

20分待った。

地元の駅から病院までタクシーで行くのは

得策ではないと判断して電車を待った。


仕方ない、慌てても始まらない。


いつもの最寄りの駅に着くと、タクシーが停まってた。

良かった。

もしもタクシーが停まってなかったら···焦るよね


病院に着いて個室に案内される。

6時半。


兄の目は半分開いていて焦点が合っておらず、

口も半分開いている。


その顔を見た途端、

涙が溢れてきてしまった。

泣くのは今じゃないことはわかっていても。


「兄ちゃん、兄ちゃん、来たよ、◯子だよ!」と声を掛ける。


弱い呼吸をしている。


「おはよう!今日は朝から来たよ!」 


泣いちゃダメと思いながらも、涙声になってしまう。


優しい医師と看護師さんが

私と兄を2人にしてくれた。


大事な時間を2人で過ごしてくださいって。


たくさんたくさん兄に話しかけてみる。

時折、胸の上下が止まったように見える度に

「お兄ちゃん!」と強く呼びかけ、手を握る。


そうすると、また兄が息を弱く吸って弱く吐く。

私の声に反応するように。


これを繰り返した。


テレビもつけてみた。

賑やかにしたくて。

どうでもいい話をたくさんした。

話しかけた。

腕をさすった。

目尻から少し出てくる涙を拭いてあげた。


しばらくして、医師と看護師長がいらして

改めて昨夜から今朝までの兄の様子を伝えてくれた。


頭を打っているかどうか等、病院に搬送して検査することも可能だが···どうだろう?と。

医師たちもそれは勧めていないし、

私も、きっと兄もそんなことを望んではいない。


今はただただこの時間を一緒に過ごす方がいいのでは?いう考えは

医師、看護師、私も同じ。


医師も看護師長も、兄が笑ってくれると嬉しかったと。

自分でできることは自分でやろうとしていたと。

本当によく頑張っていたと。

“自分は元気です”というアピールをよくしくれたと。


兄との関わりを楽しげに優しく話してくれた。


そしてまた医師と看護師長は部屋を出て行って

「大事な時間を邪魔しちゃってゴメンナサイね」って。


それから、また個室で兄と過ごす。

呼吸の調子も、少し流れる涙も変わらず。


9時を回った頃だったか···

兄の眉間にシワが寄り、少し顔をしかめた。


「兄ちゃん、兄ちゃん」と呼んで手をさすると、

また表情が元に戻る。


それを2〜3回繰り返し、

私もなんかおかしいかな···と思っていたら、

タイミングよく看護師さんが

夜勤と日勤の交代の挨拶で入ってきた。


兄が顔をしかめてることを伝える。


また眉間にシワが寄り、顔を歪める兄。

そして、目尻から涙が止まらなくなった。


泣いてるの?兄ちゃん?

泣いてるの?

悔しいんだよね?

泣いてるの?兄ちゃん?


拭いても拭いても目尻から涙が流れてくる。


兄は呼吸を止めた。


顔や唇がみるみる黄色く白くなっていく。

血が通わない色ってこういう色なんだね。


看護師さんが脈をとる。

脈はふれなくなったと。


医師が来て最期の時間を確認する。


私は大きな声で泣いた。

こんな大きな声で泣いたことないぐらいの大声で泣いた。


看護師さんが私を抱きかかえ、背中をさすり、

一緒に泣いてくれた。


私は咆哮するかのごとく、叫ぶように

声を出して泣いた。

個室でなかったら、こんなふうには泣けなかった。


堪えきれない。

信じたくない。

こんな悲しい悔しいことってあるか。

1年余り闘病して頑張って、

3回も手術して、何回も検査して

その度に一喜一憂して、入退院繰り返して、

最後は落胆して···。


それでも兄は頑張った。

頑張ったのに、頑張ったのに···。


兄も私も悔しいんだよ。


ただ、兄はこの病院をとてもとても気に入っていた。

もちろん、私もこの病院が大好き。


最期はここがいいなぁとも言っていた。

ご飯が美味しいと喜んでいた。

この病院はいい病院だよ、不満も文句も全くない。

きめ細かいんだよ。

医師もとっても良い先生なんだ。

この病院を選んで正解だったね。


そう言ってたもんね、兄ちゃん。



その後、兄はお風呂に入れてもらい、

ヒゲを剃ってサッパリして。

着ていた服を着せてもらって。

エンゼルケアで、顔もピカピカに。


看護師さんみんなが兄や私に寄り添ってくれた。


みんな、兄がよく頑張っていたこと、優しいことを褒めてくれたよ。

お兄ちゃん、よかったね。

素晴らしい医師と看護師さんたちに囲まれて。


予定していた葬儀社に連絡をして

迎えに来てもらう。


最後は、玄関で、看護師さんや職員の方々みんなに見送られて。


本当に本当にお世話になりました。

感謝の言葉しかありません。

この病院で本当に良かったです。

と挨拶をして、病院を出た。


私の自慢の兄。

兄よ、貴方は最期までよく闘ったね。

凄いよ。

尊敬するよ。


ありがとうございました

日野原記念ピースハウス病院の皆様

本当に感謝の言葉しかありません。


私も癌になって最期を迎える時は、

間違いなくここを選びます😌