ゑいもせす(酔いもせず)は
迷いから抜け出し
何にも囚われることなく
悟りの境地に覚醒しているの意。
http://homepage3.nifty.com/tak-shonai/intelvt/intelvt_045.htm
魅力的なことだけじゃなく、苦しいこともこの世には満ちあふれている。
そうした色とりどりの諸行無常の世界を体験し、
今日越えて
何にも囚われない、足すことも引く事もない
完全無二の悟りを開いた
と、いろは歌は続きます。
うゐ(有為) は仏教用語で、
因縁によって起きる一切の現象のことです。
因とは、結果を生じさせる内的な直接原因。
縁とは、外から因を助ける間接的原因。
必ず、原因があって結果があります。
昔チベットの修行僧が
人里離れた山奥で修行を続けていました。
あまりの荒行に、僧侶の姉が心配して
イラクサのスープを作って様子を見に行ったところ
弟僧は大喜びで食べてくれました。
ところが、その日から
イラクサのスープのあまりの美味しさに心を奪われ
修行に集中できなくなってしまった僧侶は
せっかく陣中見舞いに来てくれた姉を
追い返した
という物語を聞いたことがあります。
現世を離れどんなに厳しい修行をしても
これでは悟りの境地にほど遠いように思います。
かといって、現世の真っただ中で
飽食の極みを尽し、何を食べても感動しなくなったのを
悟りとは言えません。
素晴らしいことも、辛いことも
そのただなかにあって真価を知り
一瞬心囚われることがあってもすぐに離れ
執着しないことができたなら
悟りを開けたと言えるのかもしれません。
Wiki より抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E7%B8%81
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AF%E6%AD%8C
以呂波耳本へ止
千利奴流乎和加
餘多連曽津祢那
良牟有為能於久
耶万計不己衣天
阿佐伎喩女美之
恵比毛勢須
『金光明最勝王経音義』より
折句としてのいろは歌※折句( おりく )とはひとつの文章や詩の中に
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす
いろは歌の場合は7文字ずつ並べて最後に来る文字を繋げると
「とかなくてしす ( 咎無くて死す )」という文章が隠されています。
「咎無くて死す」は柿本人麻呂の事だというのが一般的です。
『仮名手本忠臣蔵』という江戸時代の書物がありますが
仮名手本とは、いろは歌の事です。
当時は赤穂浪士の刑死を不当だと思っても
あからさまに書くことが憚られたので
「仮名手本」とタイトルにつけることで
咎無くて死すを思い起こさせるようにしたのです。
この事から、いろは歌の暗号は
江戸時代には一般的に知られていた事が分かります。
これから暫くの間、いろは歌について思うことを
のんびり綴っていこうと思います。
宜しければお付き合いくださいませ。
参照 http://www.geocities.jp/the_longest_letter1920/iroha_uta.html
参照 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AF%E6%AD%8C