3.11 | 好きなものは好きと言えるその強さ♪

好きなものは好きと言えるその強さ♪

~普段思うことをそのまま日記に。
私生活をそのままさらけ出し~


毎週月曜日、骨折して筋肉が固くなった左足のリハビリに行っているので早起きしやしたが、雨が強いので明日にしよーかと思っているオイラでやんす。

コチラ仙台では午後にかけて雨が強くなる見込みみたいでやんす。






軽い朝食を食べながらテレビを観ていたら、3.11の報道を何度も目にしておりやす。

あの震災から8年。
振り返ればあっという間の8年で、当時の事が思い出されやす。



当時は実家で両親と3人で暮らしていて、自分は夜勤明けの休みの日でやんした。

普段は午前中寝るのでやんすが、その日は寝付けずお昼過ぎまで起きてやした。

自室のロフトでお昼過ぎに寝て、すぐ小さな揺れで目が覚め寝ぼけておりやした。
すぐに横揺れが大きくなり壁に打ち付けられて完全に目が覚めやした。

ロフトの下ではテレビなどが倒れる音などがしてヤバいと感じ、とっさにアメブロで一言呟いたのを覚えていやす。

すぐに停電になり、スマホでアメブロに呟いた直後に圏外になりやした。

長く感じた揺れが治まってすぐ1階へ降りて行き、両親の無事を確認しやした。

数分後に再び揺れがきた時、怯える母親と外に避難しやした。
怯える母親の背中が子供の様に小さく見えた瞬間でやんした。


停電していたので懐中電灯を用意し、ラジオを付ける。
あっという間に日が暮れて暗くなる。

津波の情報がラジオで入ってきやして、石巻の沿岸地域で仕事している弟夫婦が無事か気になりながら一晩眠れずに過ごしやした。


翌日の朝、弟から1通のメールが辛うじて自分のスマホに届き生存していることを確認して一安心しやした。


数日後、弟が実家に戻って来られた時は泣くほど嬉しかったのを覚えてる。
会社から高台の牧山に車で避難する際、数台後ろの車がどこに行ったか分からなくなったらしい。

泥だらけの靴で帰宅してきた弟が大変な思いをしているのに、何も出来なかったオイラ。


お風呂に入れず母親と市内の銭湯を歩き回ったがやってなかった事。
2日くらいで電気が復帰してテレビで津波の映像を見た瞬間の恐怖。
ガソリンスタンド、ドンキホーテに並んだ早朝。
実家から自転車で10分ちょいの銭湯が開いて並んで入浴したときの感動。

全て2~3年前のこと様に覚えていやす。



津波被害を受けた沿岸地域ではまだ復興されてないけど、熊本など他の地域でも震災や自然災害が起きて他にも多くの方が大変な思いをされていやす。

悲しい想いを胸に刻み、これからも生きていこうと思いやした。