学生時代の思い出(精神科の先生との対話) | キーボードのブログ

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 大学のキャンパスは元気ハツラツな学園生活を送る学生たちであふれているように見えるものですが、その陰では精神面で様々な問題を抱えている人たちも少なくありません。とくに、物事を突き詰めようとする生来の習性が作用しているのか、理工系の学生がメンタル不調をきたすことはそれほど珍しいことではない。私の先輩が研究室で突然発狂する場面に直面したときにはさすがに肝をつぶしそうになりましたが。私も精神科の先生にお世話になった一人で、当時の記憶を一つ一つ辿ってみると、相性の合わないケースが稀にあったとは言え、実に面白い先生が多かった。


 実は私が大学に通っていた頃、自分のメンタル面での問題と宗教活動の間にはなんらかの相互関係があるのではないかと察するところがあり、精神科の先生に、これまでのいきさつ、自分の生い立ちや所属する宗教組織のことも交えて神妙な面持ちで相談したことがあるんですよね。ドクターが相手と言っても、やはり自分の内面をさらけ出すということにはなんとも言えない後ろめたさ、居心地の悪さを感じたものです。


先生:「キーボードさんはどうしてその宗教を信じてるんですか?」

私:「子どもの頃からそういうふうに教えられてきたことの影響は結構大きいんじゃないか、それからゴニョゴニョ・・・」

先生:「洗脳ですね(ボソッ)」

私:「えっ?せ、洗脳ですか!?」


 いかにも学者らしいのそのそとした挙動とボソボソした語り口なのに、予想外の直球が来たため私も一瞬吹いてしまいました。その後も私の宗教活動にまつわる話をとつとつと続けたのですが、


先生:「ぼくも福音書は読んだけど、イエス・キリストはかなり偏狭な人物なんだよなぁ」

私:「ええっ???偏狭!?(何だって!?)」


 一応まじめに信心していると(自分では)思っていたものですから、信仰の対象というべき存在についてカウンセリングの場面でこう言われては一体どのようにコメントしたら良いのか苦慮するばかりで、ニヤニヤするしかありませんでした。


 一口にドクターと言ってもいろいろな先生がおられますよね。相談者に合わせて話し方や対応方法を上手にコントロールしていると思いますが、中にはショック療法的に、危険球ばりの高速スライダーを投げてくる先生もおられて、そういう時のショックウェーブは強烈でした。しかし、それらも含めて追い詰められた精神状態を打破する大きな力になったり、這い上がろういうモチベーションの形成に非常に大きな役割を果たしたことは間違いありません。


 これは相性の問題かもしれませんが、当時、精神心理への良い働きかけという点では、正直なところ集会に出席するよりも精神科の先生との対話のほうが私にとっては有益で、励みと収穫がずっと大きかったんですよね。お世話になった先生方に心から感謝だ!