山口が燃えている。
山口が燃えている。
投開票7月29日、山口県知事選挙もオオヅメを向かえ、山口が燃えている。
一部の若い奴らは自主的にビラを製作し、街頭で手配りしたり、ピースウォークを主催したりイベントうって一つのメッセージを伝えようとしている。
「選挙に行こう。」
「選挙に行けば世界が変わる。」
「山口から日本を変えよう。」




投開票7月29日、山口県知事選挙。
NPO法人所長の飯田哲也氏(53)、元県課長の三輪茂之氏(53)、元国土交通審議官の山本繁太郎氏(63)=自民、公明推薦、民主党衆院議員から転じた高邑勉氏(38)の4名が立候補者。
昨日あたりからオスプレイの岩国基地搬入が争点になり始め、結果は蓋を開けて見ないとわからないという状況。
自民党は「中国電力上関原発建設計画の問題の是非は知事選の争点にはならない」との主張。反原発派や平和派はそこはもちろん争点にしていきたい構え。
21日、先週の土曜日、山口県周南市、地元Reggaeの雄「People」で、脱原発・創造新未来を強く掲げるイベントが行われた。
候補者飯田哲也氏を応援し、核の無い世の中を創ろうという有志が集まったイベント。
集まったのは20代~40代の地元のミュージシャン・画家・料理人・Dj・農家・イベンターやオーガナイザーなど。
俺はいつものBuskingスタイルでヨーロッパ&オーストラリアからのメッセージを伝えさせてもらった。

出演者皆それぞれ熱いメッセージを放ち、共感するもの、ただ肯くもの、踊るもの。
一つの新しい未来のビジョンをみなで夢見て、それに向かっていく過程をなるべく鮮明に描き合い、あきらめないと誓いあう熱い熱い夜だった。
今、山口では頑張っている若い奴らがいます。確かにいる!彼らは自主的に印刷物を作り、配り、なんとか無関心層に伝えようとしている。
コレは新しい風。ポジティブな動き。
だけどしかし、その数は全体の中のほんの一部、完全にマイノリティ。
選挙権のある人間(未来を創れる人間)のなかの極めて極一部でしかない現状。
鹿児島県知事選は約40万票VS約20万票で決着が着いた。
現職伊藤氏は選挙に当選したあとただちに原発が必要だと言う旨の発言をした。
この時の投票率はわずか約40%。残りの約60%は投票をしていない。
その中に仮に無関心層が3割いたとして、もし彼らが選挙にいっていたらどうなっていただろう?結果は間違いなく変わっていたと思う。
だから選挙にいかない層、無関心の層、これをどうにか投票に行くようにすれば、日本は変われるんじゃないだろうか?
山口県知事選は山口県民だけの問題じゃない。
山口が変われば日本初!それに呼応する地域も増えてこよう。
もし身の周りに山口県出身者がいたら、必ず選挙に行くよう話してください。
お願いします!!!





2012年 長崎、回顧
2012年 長崎・糸島、回顧
福岡の後は佐賀の武雄温泉でLive、その後は長崎へ。
東京時代の仲間、Mick & Saxaに会いにいった。

Mickと出合ったのは7年前、当時お互いにPartyを立ち上げたばかりのオーガナイザー同士で、MickはAfrostyleというPartyを、俺達はDrumcowというPartyをなんとかイイものにしたいと熱くやっている時だった。
ほぼ毎月一回渋谷のモツ焼き屋で飲んでた。
何故かわからないけど定例になっていて、仕事が忙しくなってきた会社員時代でもMickと飲む時間は必ず作ってた。
お互い良いアーティストを紹介しあったり、いいDJがいればCheckしにいったり、とにかくお互いよく語りあいながらよく飲んだ。あの時代は今でもとても好きだ。
約1年程前に、同じ仲間のSaxaし、二人は世界一周へ飛び出した。
調度俺も音の旅第一弾で世界放浪修行中だったからどこかで会うかもとは思っていたけどタイミング合わず、海外で会うことはなかった。
今年の1月に帰国したMickとSaxaはMickの実家である長崎に戻り、自営の本多青果を手伝いながら二人で新たな生活を築きはじめているところだ。
音の旅中はあまり連絡を取らなかったけど、やっぱ仲間だし、せっかく九州にいるし、二人の顔を観にいこうと長崎行きを決めた。
久々に会ってみたらさすがだったねMick。
まだ戻って半年にも関わらず、実家の仕事をバッチリこなし、東京でやってたPartyも長崎で始め、着実に地元の仲間も増やしながら曲まで作ってリリース準備してた。
うん、それがMick。さすが。
Saxaも姑にルールを教わりながらキチンと嫁してた。
文化も言葉も習慣も違う知らない土地に嫁ぐってのは相当大変なことだけど、それでも自分なりの楽しみ見つけながら着実に土地になじんでいってた。良かった。
長崎滞在中MickはLiveイベントも用意してくれて、いろんな友達を紹介してくれ、お世話になった。
タイバンの「西川家」最高だった。
空もTetsuでのLiveをセッティングしてくれて、ありがとう!

Mick宅の最終日の夜のベランダBBQは長崎の海がみえて家の灯りが映って、よく笑ったしよく食った。
Mick&Saxa、お世話になりました。ありがとう。
また会いにくるよ。

滞在中に行った長崎原爆資料館はとても重要な場所だった。
なまなましい被爆の現物が数多く展示され、爆発後の熱線によって折れ曲がった鉄柱や一瞬にして蒸発してしまった人の影だけうつった壁なんかは改めて衝撃だった。


一番心に残ったのは、生き残った人達が書いた手記。
目の前で妹をなくした小学生から、妻と子供を次々になくしてゆく男性など、その瞬間現場にいた人々の生の言葉が公開されていて、リアルな情景がありありと動き、動けなくなった。
内部被爆の事もパネル紹介されていて、被爆後の被曝の症状なんかもわりとくわしく紹介されていた。
これと同じか、それ以上のことが福島で起こり、今も続いているということが想像できなかった。
長崎の後は福岡の糸島へ。
高円寺パチカ村のトモタ君が糸島の海の目の前の素敵な家で暮らしていると聞いて会いに行った。
噂どおり極上の一軒家。海まで30秒。

結局2泊もさせてもらい、毎晩語り、歌い、あぶり、飲み、最高にリラックスした時間を過ごした。トモタ君、ありがとう。





そして再び福岡。
FM福岡モーニングジャムに出演。パーソナリティの中ジーさん、ものすごく丁寧で優しくて面白い人だった。スタジオの現場の雰囲気もとてもよくてStaffさんが明るくてポジティブなバイブス。
やっぱり音や言葉はその空気間と雰囲気とか、バイブス自体ががノルんだな~。
勉強になりました。ありがとうございました!

福岡の後は佐賀の武雄温泉でLive、その後は長崎へ。
東京時代の仲間、Mick & Saxaに会いにいった。

Mickと出合ったのは7年前、当時お互いにPartyを立ち上げたばかりのオーガナイザー同士で、MickはAfrostyleというPartyを、俺達はDrumcowというPartyをなんとかイイものにしたいと熱くやっている時だった。
ほぼ毎月一回渋谷のモツ焼き屋で飲んでた。
何故かわからないけど定例になっていて、仕事が忙しくなってきた会社員時代でもMickと飲む時間は必ず作ってた。
お互い良いアーティストを紹介しあったり、いいDJがいればCheckしにいったり、とにかくお互いよく語りあいながらよく飲んだ。あの時代は今でもとても好きだ。
約1年程前に、同じ仲間のSaxaし、二人は世界一周へ飛び出した。
調度俺も音の旅第一弾で世界放浪修行中だったからどこかで会うかもとは思っていたけどタイミング合わず、海外で会うことはなかった。
今年の1月に帰国したMickとSaxaはMickの実家である長崎に戻り、自営の本多青果を手伝いながら二人で新たな生活を築きはじめているところだ。
音の旅中はあまり連絡を取らなかったけど、やっぱ仲間だし、せっかく九州にいるし、二人の顔を観にいこうと長崎行きを決めた。
久々に会ってみたらさすがだったねMick。
まだ戻って半年にも関わらず、実家の仕事をバッチリこなし、東京でやってたPartyも長崎で始め、着実に地元の仲間も増やしながら曲まで作ってリリース準備してた。
うん、それがMick。さすが。
Saxaも姑にルールを教わりながらキチンと嫁してた。
文化も言葉も習慣も違う知らない土地に嫁ぐってのは相当大変なことだけど、それでも自分なりの楽しみ見つけながら着実に土地になじんでいってた。良かった。
長崎滞在中MickはLiveイベントも用意してくれて、いろんな友達を紹介してくれ、お世話になった。
タイバンの「西川家」最高だった。
空もTetsuでのLiveをセッティングしてくれて、ありがとう!

Mick宅の最終日の夜のベランダBBQは長崎の海がみえて家の灯りが映って、よく笑ったしよく食った。
Mick&Saxa、お世話になりました。ありがとう。
また会いにくるよ。

滞在中に行った長崎原爆資料館はとても重要な場所だった。
なまなましい被爆の現物が数多く展示され、爆発後の熱線によって折れ曲がった鉄柱や一瞬にして蒸発してしまった人の影だけうつった壁なんかは改めて衝撃だった。


一番心に残ったのは、生き残った人達が書いた手記。
目の前で妹をなくした小学生から、妻と子供を次々になくしてゆく男性など、その瞬間現場にいた人々の生の言葉が公開されていて、リアルな情景がありありと動き、動けなくなった。
内部被爆の事もパネル紹介されていて、被爆後の被曝の症状なんかもわりとくわしく紹介されていた。
これと同じか、それ以上のことが福島で起こり、今も続いているということが想像できなかった。
長崎の後は福岡の糸島へ。
高円寺パチカ村のトモタ君が糸島の海の目の前の素敵な家で暮らしていると聞いて会いに行った。
噂どおり極上の一軒家。海まで30秒。

結局2泊もさせてもらい、毎晩語り、歌い、あぶり、飲み、最高にリラックスした時間を過ごした。トモタ君、ありがとう。





そして再び福岡。
FM福岡モーニングジャムに出演。パーソナリティの中ジーさん、ものすごく丁寧で優しくて面白い人だった。スタジオの現場の雰囲気もとてもよくてStaffさんが明るくてポジティブなバイブス。
やっぱり音や言葉はその空気間と雰囲気とか、バイブス自体ががノルんだな~。
勉強になりました。ありがとうございました!

2012年 福岡、回顧。
熊本を出た後は福岡へ。
20代前半の頃にお世話になった下津兄貴の家にお世話になった。
パートナーAsamiちゃんも相変わらず元気で、再会を喜んでくれた。

まだ20代前半でお互い東京にいた頃、兄貴は演劇集団スタンダードソングで頑張ってたり、新橋演舞場で時代劇してたり、「海月」というパフォーマンスチームで頑張ってた時、兄貴も金がないのにいつも俺を誘ってくれ、渋谷の東京ホルモンって焼肉屋でいつも980円の上ホルモン3種盛りと焼酎。
モクモクの煙のなか二人でシコタマ飲んでいつもいろんな話をしてくれた。
20代の自分にはいつも新鮮で、今とは違う夢があった俺は、兄貴の苦労した話や頑張っている話を聞くのが好きだった。
3年ぶりの兄貴は体もごつくなってて、健康そのものだった。
帰郷して親父さんの仕事を手伝い始めたときの苦労話も聞いたけど、それでも地元に帰り自然の多い地元でAsamiちゃんと協力しながら根を生やして自分の生活を創り上げていっている姿をみれて嬉しかった。Asamiちゃんもいい嫁さんしてた。相変わらずパワフルで明るくていい感じだ。
もちろんシコタマ飲んだ。ああ、飲んだ。現役社長の親父さんとも飲んだ。豪快な人だった。73歳にして週4日はGパンはいて飲みにいき、週5日で朝からゴルフ!パワフルー!!!
「若い奴が日本をなんとかせんとイカン!」とのお言葉を頂き、渇をいれられました。
う~ん、見習いたい!
そのまま兄貴の家に数日お世話になり、その後福岡キャナルシティで行われたイベントに出演。グランドハイアットのB1飲食エリアを貸しきった豪華なParty。
GパンとTシャツじゃ完全に浮くくらいの久々の都会系音楽イベント。
西麻布時代が懐かしくなったw
IT会社員時代のBossも福岡で会う機会を作ってくださった。
今回もBossには大変お世話になってしまった。
Hotelを準備してくださり、実家に泊めてくださり、食事までご馳走になり、このうえない程お世話になってしまった。
Bossには会うたびにいつも大きなモノをもらう。
自分がFSLでやっている読み物コンテンツ「傷だらけのライオンのほうが強い」も実はこのBossのお言葉。
失敗したときや悔しいことがあったとき、勝負に負けることがあったとき「一生懸命やったのであれば結果的にそれは負けじゃない」と教えてくださったのはBoss。
「負ければ負けるほど強くなる、だから負けを恐れず失敗を恐れずに正しいと思うことをやりなさい、1人でやりなさい」と教えてくれたのもBoss。
精神力がマイナスだった自分はこの頃Bossに鍛えられたお陰で今がある。
そしてそれが今、自分の支えになっている。人生の師匠だ。
こちらのBossも半端ない。久々に博多の夜を2人で飲んだとき、6時から飲み始めて夜2時まで飲み、一緒にBossの家に帰って3時まで飲み、翌朝6時にはゴルフに出かけていくという鉄人っぷり。う~ん、見習いたい!
まだまだガンガンいかなアカンわ!






久々の先輩や師匠との出会い。
またまた多くのものを頂いた福岡滞在だった。
20代前半の頃にお世話になった下津兄貴の家にお世話になった。
パートナーAsamiちゃんも相変わらず元気で、再会を喜んでくれた。

まだ20代前半でお互い東京にいた頃、兄貴は演劇集団スタンダードソングで頑張ってたり、新橋演舞場で時代劇してたり、「海月」というパフォーマンスチームで頑張ってた時、兄貴も金がないのにいつも俺を誘ってくれ、渋谷の東京ホルモンって焼肉屋でいつも980円の上ホルモン3種盛りと焼酎。
モクモクの煙のなか二人でシコタマ飲んでいつもいろんな話をしてくれた。
20代の自分にはいつも新鮮で、今とは違う夢があった俺は、兄貴の苦労した話や頑張っている話を聞くのが好きだった。
3年ぶりの兄貴は体もごつくなってて、健康そのものだった。
帰郷して親父さんの仕事を手伝い始めたときの苦労話も聞いたけど、それでも地元に帰り自然の多い地元でAsamiちゃんと協力しながら根を生やして自分の生活を創り上げていっている姿をみれて嬉しかった。Asamiちゃんもいい嫁さんしてた。相変わらずパワフルで明るくていい感じだ。
もちろんシコタマ飲んだ。ああ、飲んだ。現役社長の親父さんとも飲んだ。豪快な人だった。73歳にして週4日はGパンはいて飲みにいき、週5日で朝からゴルフ!パワフルー!!!
「若い奴が日本をなんとかせんとイカン!」とのお言葉を頂き、渇をいれられました。
う~ん、見習いたい!
そのまま兄貴の家に数日お世話になり、その後福岡キャナルシティで行われたイベントに出演。グランドハイアットのB1飲食エリアを貸しきった豪華なParty。
GパンとTシャツじゃ完全に浮くくらいの久々の都会系音楽イベント。
西麻布時代が懐かしくなったw
IT会社員時代のBossも福岡で会う機会を作ってくださった。
今回もBossには大変お世話になってしまった。
Hotelを準備してくださり、実家に泊めてくださり、食事までご馳走になり、このうえない程お世話になってしまった。
Bossには会うたびにいつも大きなモノをもらう。
自分がFSLでやっている読み物コンテンツ「傷だらけのライオンのほうが強い」も実はこのBossのお言葉。
失敗したときや悔しいことがあったとき、勝負に負けることがあったとき「一生懸命やったのであれば結果的にそれは負けじゃない」と教えてくださったのはBoss。
「負ければ負けるほど強くなる、だから負けを恐れず失敗を恐れずに正しいと思うことをやりなさい、1人でやりなさい」と教えてくれたのもBoss。
精神力がマイナスだった自分はこの頃Bossに鍛えられたお陰で今がある。
そしてそれが今、自分の支えになっている。人生の師匠だ。
こちらのBossも半端ない。久々に博多の夜を2人で飲んだとき、6時から飲み始めて夜2時まで飲み、一緒にBossの家に帰って3時まで飲み、翌朝6時にはゴルフに出かけていくという鉄人っぷり。う~ん、見習いたい!
まだまだガンガンいかなアカンわ!






久々の先輩や師匠との出会い。
またまた多くのものを頂いた福岡滞在だった。