この手紙を読んで靖国に参拝したい、と思う人もいるでしょう。

今ある平和は、戦火に散った人達の礎の上にあり、改めて戦後の日本、日本人のあり方を考える一日となっています。


米中冷戦懸念の下、日本は中国の暴挙とどう向き合うべきか、取るべき態度を迫られています。 

この手紙を読み、終戦当時に思いを馳せながら…黙祷。



『愛児への便り』

 素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。


 素子が大きくなつて私のことが知りたい時は、お前のお母さん、住代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。 

私の写真帳も、お前の為に家に残してあります。


 素子といふ名前は私がつけたのです。素直な心のやさしい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が考へたのです。 


私はお前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合せになつたのをみとどけたいのですが、 若しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまつても決して悲しんではなりません。 


 お前が大きくなつて、父に会いたい時は九段へいらつしやい。

そして心に深く念ずれぱ、 必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。

父はお前は幸福ものと思ひます。

 生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちやんを見ると真久さんに会つてゐる様な気がするとよく申されてゐた。 

またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がつて下さるし、お母さんも亦、 御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。 


必ず私に万一のことがあつても親なし児などと思つてはなりません。父は常に素子の身辺を護つて居ります。


 優しくて人に可愛がられる人になつて下さい。お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを讃んで貰びなさい。 
昭和十九年○月吉日父 植村素子ヘ 

追伸、
 素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。 だから素子はお父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから教へて上げます。 

<昭和三十五年八月ゝ十月靖國神社社頭掲示>