ホテルで新聞を読んでたら…広島みなと夢花火大会の写真があったよ


『はっしょう』という所でおこのみやきを食べたよ
行列にならんで待ったよ

キャベツたくさん入ってておいしかったよ♪
半分でおなかパンパンになったよ

だけど、のこさず一人で食べたよ


その後、平和公園へ歩いて行ったよ。勉強のために来ました。
原ばくドームで火を持った親子
が歩いて通り過ぎたよ

きーちゃんに伝えたら『火
を持った人なんか、いなかったよ…』『それ、ゆうれいじゃない
』って

ほんとかなぁぁぁぁ


たしか通った気がするんだけどーーー


原ばくドームは、はだしのゲンで出て来たのでしっていました。
かべがこわれていて原ばくのすごさがわかりました。

ここは、『原ばくの子の像』だよ。2歳でひばくして小6の時に原ばく病でなくなってしまった
ササ木サダコさんの像です。
せんそう中に広島は原ばくを落とされて
多くの人がなくなったそうだけれど
私と同じくらいの子どもも大ぜいなくなったと
聞いてすごくびっくりしました。
ここの像は原ばくでなくなった多くの子ども達のために
子ども達が大人の人にお願いしてたてられたそうです。
おりがみのツルの意味をこの日はじめてしりました。
これからは、平和を願ってツルをおりたいです。

ここは『元安橋』です。元安川には『あついあつい水がほしい』と
多くの人が飛びこんでなくなっていたそうです。
川の中にも火がきたそうです。
骨が今も川の中にうまっていたりするのかな?
原ばくがこわいです


いれいひから原ばくドームが見えます。ここには『安らかにおねむり下さい
あやまちは二度とくりかえしません』
と、書かれていました。
2度もあってはいけないと思いました。

この像は『あらしの中の母子像』です。お母さんが2人の子どもをおんぶしています。
ふつうのおんぶじゃない気がしました。
うしろに見える資料館も見学しました。
原子ばくだんを落とされて多くの人がなくなり
街がぐちゃぐちゃになったということがわかりました。
こわくてすごくかなしい気持ちになりました。
ガラスがつきささったかべもありました。
ボロボロにやぶれた服もありました。
時計は1945年8月6日の8時15分でした。
8時14分には生きてふつうにくらしていたんだと思いました。
やけどでヒフがただれてビローンてなってました。
やけどしたままお母さんの待つ家までがんばって
歩いて帰ってなくなった人もいたそうです。
家族に会えなくてなくなった人もいると思いました。
資料館はこわいのでは、なくて、かなしくなりました。
原子ばくだんは、ぜっ対に良くないと思います。
作ったらだめだと思いました。

雨がやんでいました。
対話ノートという、ノートが置いてありました。私も書いてきました。
せんそうしないでほしいです。

ここは、『へいわおおはし』です。本当にせんそうがなくなって早く
平和な世の中になればいいのにと思いました。
広島に来て花火も見れて平和公園も行けて良かったです。
