後輩(たんちさん)の思い出 | 脳内出血と失語症

脳内出血と失語症

2009年2月、43歳の時に、突然、脳内出血(脳卒中)をお風呂で起こしました。右片麻痺・失語症(ブローカ失語)の後遺症が今も残っています。(身体障害者1級)

こんにちは。
今日は、会社を休みました。

これは、(↓↓)2014年3月に私がブログを書き始めて、
その4月に書いたものです。
この男の人が、後輩(たんちさん)でした。

私の名前がめずらしいからか、後輩は、
すぐに私の事をわかったと思います。
最初は、時々私のバンドの仲間と間違ってるなあ…
と言うのがありましたが、徐々に記憶が戻っていく感じでした。

後輩のイメージが変っていて、よくわかりませんでしたが、
若いときは、背を高くして、可愛い感じかなあ…と思いました。
ドラムを叩いてたそうです。

当時、スタジオが取れないときは、公民館でバンドの練習をしました。
アンプ、ドラムやらみんなでリヤカーに乗せて運びました。
よく、後輩たちも私たちの機材を借りに来てました。                         <イメージ写真>
イメージ 1

そして、2014年4月、後輩と私は、同じ脳内出血に
なって、家の近くの病院で偶然会いました。

高校生の時は、後輩たちは、私たちのことが怖かった
そうです。だから、後輩は、病院で会った時は、緊張してたんですとあとで教えてくれました。

リハビリして、いつか2人でバンドをやろうと言ってました。
もう、後輩はいません…。

(申し訳ありません。
当分コメント欄は閉じたままで更新します。
よろしくお願いいたします。)

高校時代のバンド 2014/4/27(日) 午後 5:46

最近、水曜日のリハビリが楽しみなんです。
というのは、ある男の人に会って、
『昔、高校時代にバンドしていた○○さんと違います?
僕は高校が違いますが、一級下でよく教えて頂きました。』
とたまたま、病院の送迎車がいっしょになった時、声がかけてくれました。
驚きました 
その男の人は、脳卒中の左の片麻痺で言語もリハビリしているんですが、
私よりも言葉ははっきり聞こえました。何という偶然何でしょう・・・。
私は、中学校時代には、フォーク・ギターを独学でマスターし、
高校時代には、エレキ・ギターをちょっとだけ齧り、
すぐにボーカルに変更して、バンドをやって来ました。
一緒の夢をみんな見て来ました。大学に入り、その夢を崩れ去りました。
私は、アメリカにその可能性を見つけだそうとしたのではないか?と私はそう思います。
脳卒中になって、フォーク・ギターをもっと弾いておくべきだったと思います。
その男の人は、水曜日のリハビリの時、顔を合わします。
少しづつ、名前と顔がうっすら浮かんでくるような気がします。



熊本県及九州地域で起こりました地震につきまして
心よりお見舞い申し上げます。


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