”ペット”だった私が、”母”になるまで

”ペット”だった私が、”母”になるまで

「求められること」でしか生きられなかったあの頃の私へ

この連載は、恋愛依存や自己否定を繰り返してきた私の、“回復”の物語です。

 

 

***

《前回までのあらすじ》

両親の離婚で見知らぬ土地へ転校した私は、新しい環境に馴染めず、次第に孤独を深めていった。

 

仲良くしてくれる友人もいたけれど、女子グループからの陰口や無視で居場所はどこにもなかった。

 

「私が悪いのかもしれない」と自分を責める癖がつき、心はどんどん閉じていく。
***

 

 

私が初めて付き合った人とは、いわゆる“恋愛依存”とは無縁の関係でした。


高校1年のときに出会い、付き合い始め、なんだかんだで6年。
途中からは同棲もして、「このまま結婚するのかな」と思っていた時期もありました。

 

 

彼には、家庭の事情がありました。
両親ではなく、祖父母に育てられていたんです。
今振り返ると、きっと彼は人との距離感や、愛情の伝え方が少し不器用だったのかもしれません。

 

 

でも当時の私は、そんなことに気づけず、
「もっとちゃんと向き合ってくれたらいいのに」
どこかで寂しさを感じていました。

 

年月を重ねるごとに、すれ違いも増えていきました。
気づけば、目を合わせて笑うことも、減っていたんです。

 

向き合えなかったふたりの終わり

 

別れを切り出したのは、私の方でした。


でも、いざその瞬間が訪れたとき、想像していたよりもずっと怖かった。

 

長く一緒にいた分、情もありました。


でもそれ以上に、「自分の選択が相手を傷つける」という罪悪感が、心を重くしたのを覚えています。

 

執着という名の“愛”に縛られて

 

別れたあと、彼の態度は一変しました。

 


それまで以上に頻繁に連絡が来るようになり、
ときには、家の前で待ち伏せされることもありました。

 

 

彼の中では、「別れたくない」という気持ちが“執着”に変わっていったのだと思います。


でも、当時の私はまだ、
「誰かに必要とされること」=「愛されていること」だと信じていた。

 

不安や恐怖を感じながらも、
“追いかけられる私”をどこかで肯定していた自分もいたのかもしれません。

 

恋愛依存への第一歩

 

あのとき、私は気づいていませんでした。


「必要とされること」に価値を見出してしまう、その思考自体が、恋愛依存の入り口だったということに。

 

 

けれど、本当の意味での“依存”は、
次に出会った人との関係から始まります。

 

 


その人は、既婚者でした。

 

 

 

最初は「まさか自分が」と思っていました。


でも気づけば、会えない日が苦しくてたまらなくなっていた。

 

 

好きになればなるほど、不安になって、
相手の都合に合わせすぎて、
自分自身がどんどん壊れていくのがわかりました。

 

 

それが、“恋愛依存”の始まりだったんです。

 

 

 

つづく── 第6話:「“飼われる”という選択肢」
愛されたい一心で、私は“ペット”になる道を選んだ。

すこの連載は、恋愛依存や自己否定を繰り返してきた私の、“回復”の物語です。

 

 

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《前回までのあらすじ》

両親の離婚をきっかけに、家庭は崩壊。

父は給料をギャンブルに使い果たし、酔えば暴言。母は常にイライラしていて、家に安らぎはなかった。

「どうせ話しても無駄」——そうして私は、自分の気持ちを口にすることをあきらめ、心を閉ざすようになっていった。

***



夜逃げ同然で転校



両親が離婚したとき、私たちは、ほぼ夜逃げのようにして家を出ました。


家に残った父とは一言も言葉を交わせないまま。

母と姉と、必要最低限の荷物だけで、

母方の親戚の家に身を寄せることに。



見慣れた景色を一気に失って…



気づけば、知らない土地での生活が始まっていました。



中学2年生。

心も身体も揺れやすい、思春期のまっただなか。



転校先のクラスでは、なんとか馴染もうとしたけれど、やっぱりうまくいかなかった。



優しくしてくれる子もいた。

放課後、一緒に帰ってくれる友だちも、いた。



でも、ほんの数人。



それ以外の空気は、どこかピリッとしていて。

いつも誰かの“ターゲット”を探しているように感じた。



女子グループからの無視・陰口



やがて私は、女子グループのリーダー格の子に目をつけられた。





キッカケなんて、あってないようなもの。

ただ「気に食わない」とか、そんなものだったと思う。


あからさまに無視されたり、陰でヒソヒソ話されたり。

私のいないところで笑い声がすると、

それが全部自分のことのように思えて、苦しかった。



本当は、誰かに助けてほしかった。

でも、言えなかった。



先生にも、母にも。

「お前が悪いんじゃないか」って、言われるのが怖くて。



それに——

私自身も思ってた。



「私に魅力がないから、嫌われるんだ」

「みんなに合わせられない私が悪いんだ」



いつしか私は、自分を責める癖ばかりが身についていった。



うまく笑えない日も、

話しかけられない日も、

全部「私がダメだから」と思っていた。



そんなふうにして、私はどんどん、自分を嫌いになっていった。



自信なんてまったくなくて、

家にも学校にも居場所はなくて、

“自分がここにいていい理由”がわからなかった。




つづく── 第5話:「恋愛依存のはじまり」

好きな人に合わせすぎて、自分が空っぽになっていった日々のことを綴ります。

この連載は、恋愛依存や自己否定を繰り返してきた私の、“回復”の物語です。

 

 

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《前回までのあらすじ》


私が「恋愛依存」に陥った背景は、幼少期に遡る。共働きの両親のもと、鍵っ子として育ち、心の拠り所は4歳上の姉だった。


けれど、姉が登校拒否になり、私も学校から離れていく。母はいつも忙しくイライラしていて、私の話を聞いてくれることはなかった。


——そうして私は、自分の気持ちを飲み込む癖を、いつの間にか身につけていった。

***


冷めきった両親、喧嘩ばかりの毎日


中学生になった頃。

家の空気は、目に見えないのに、確実に変わっていきました。



母はいつもどこかピリピリしていて。



父は、無言でテレビの前に座っているか、ふらりと夜に出かけるか。



夫婦喧嘩は日常茶飯事で、ドアを閉めても怒鳴り声が聞こえてくるのが当たり前でした。



子どものお金にまで手をつける父



そんな父は、お金にとてもルーズな人でした。



給料日になると、なぜか機嫌が良くなり、

ふらっとパチンコや競馬に行って、

気づけばお金を全部使って帰ってくる。



生活費どころか、私たち子どものお小遣いにまで手を出すこともあって。



貯金箱の中の500円玉が消えていることも、何度もありました。





それなのに、酔っぱらうと偉そうにこう言うんです。



「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」

「文句があるなら出ていけ」



——あれは、暴力じゃないけど、

確実に心に突き刺さる“言葉の暴力”だったと思います。



私は、何も言えませんでした。

怖かったし、何を言っても無駄だと、わかっていたから。



ついに母が決断


そしてある日。



母の口から、ぽつりと告げられました。



「お父さんとは、もう一緒に暮らせないからね」



驚きも怒りもなかった。

ただ、胸の奥がすーっと冷えていくのを感じました。



「あぁ、やっぱり」

それが、最初に出てきた気持ち。



家族って、永遠じゃないんだ。

信じていても、壊れるときは壊れるんだ。



そう思った瞬間から、私は大人を信じるのをやめました。



本当は、聞いてほしかった。

話したかった。

怖かったことも、悲しかったことも。



でも、「どうせ無駄」って、心のドアを閉めてしまった。



それから私は、感情を出すのがどんどん下手になっていきました。



“何を感じているか”すら、自分で分からなくなっていったんです。



つづく── 第4話:「思春期の痛みと、自分の否定」

女子グループの中で、自分の存在を否定するようになっていった日々を綴ります。

この連載は、恋愛依存や自己否定を繰り返してきた私の、“回復”の物語です。

 

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《前回までのあらすじ》
20代の頃の私は、恋愛に依存し、
「誰かに愛されなければ生きていけない」と信じていた。

相手の一言や態度ひとつで一喜一憂し、
どんなに心がすり減っても、そばにいられることを選び続けた。

そんなある日——
「ペット」として使役していたはずの男性から、
突然、冷たい言葉とともにすてられた。

唯一の“居場所”を失い、崩れ落ちたあの日。
それは、自分という存在の意味を問い直す旅の始まりでもあった。

まるで、何かに導かれるように——。

***


 

 

子どもの頃の記憶は、いつも姉と一緒

 

 

放課後の家は、いつも静かでした。
ガチャリと玄関の鍵を開ける音だけが、やけに大きく響きます。

両親は共働き。
家に帰っても「おかえり」と言ってくれる大人はいませんでした。
だから、私はいつも4歳年上の姉と二人きり。

 

 



私は姉のことが大好きでした。
持ち物も、話し方も、歩き方も、なんでも真似した。
私にとって、姉は憧れであり、安心できる存在だったんです。



私が小学校低学年のころ。
 

 

姉が突然、学校へ行かなくなりました。


「今日は休むの?」と聞いても、
ただ布団にくるまって、返事はなかった。



最初は、どうしていいかわからなかった。
でも、次第に私も学校へ行かなくなりました。

 

 

もともと、私自身も「集団行動」が得意なタイプではありませんでした。

女子グループの中では、いつも誰かの陰口が飛び交っていて、
ある日からは、私もそのターゲットになった。


グループのリーダー格の女子に目をつけられ、
無視されたり、意地悪をされたりする日もあったんです。

そんな教室に戻るくらいなら——
家で姉と過ごすほうが、ずっと心が楽だった。

気づけば、「行かない」が当たり前になっていました。

 

 

 

 

いつもイライラする母、金遣いの荒い父

 

家の中の空気も、当時から決して良いとは言えませんでした。


仕事で疲れていつもイライラしている母。
家事、育児に無関心でお金にだらしない父。

 

子どもの頃から、父と母が「仲良く会話している」ところを見た記憶がありません。

 

 

私が「学校に行きたくない」というと、

仮病を使って「ずる休み」しようとしていると思った母から、ビンタが飛んできました。

 

 

「顔も見たくない」と吐き捨てられたこともあります。



その頃からです。
私は、自分の気持ちを口にしなくなりました。

「どうせ母ちゃん、聞いてくれんしな」


——そうやって、心の奥にしまい込むのが癖になった。

でも本当は、聞いてほしかった。
ただ「そうなんだね」って、受け止めてほしかっただけなんです。

 



この頃の私は、自分でも気づかないうちに、
“自分を押し殺す”という生き方を覚えてしまっていました。

 


それが、後に恋愛でも人間関係でも、
私を苦しめる大きな原因になっていくのです。



つづく── 第3話は、「中学の終わりに、家庭も終わった」
両親の離婚が、私の世界をどう変えていったのかを綴ります。

この連載は、恋愛依存や自己否定を繰り返してきた私の、“回復”の物語です。

 

 

「もういいよ、終わりにしよう」
「勝手にすれば」



パソコンの画面に冷たく表示されるチャットの文字を
呆然と見つめていたわたし。


その瞬間、世界が静まり返ったような気がした。



「……え?」



理解が追いつかないまま、
胸の奥からじわじわと込み上げてくる“なにか”に、呼吸がうまくできなかった。

 

 

 



——彼からすてられた。
「ペット」として、使役していたはずの男性から。

 



何も持っていなかった私が、
唯一手にしていた“居場所”を、失った。

 



そう思った瞬間、崩れ落ちるように泣いた。

 

 

 

20代の頃、わたしの存在意義は「必要とされること」でした

 

わたしは20代の頃「愛されること」だけに価値を見出していました。
誰かに必要とされなければ、生きている意味なんてない。
そう、本気で思っていたんです。



恋愛に依存し、感情を他人に預け、
相手の気分ひとつで笑ったり、泣いたり。
まるで操り人形のように。

 

 

相手にとって自分が

「ただの性欲のはけ口」であったとしても。



それでもよかった。
誰かの“何か”でいられるのなら。
「好きだよ」の一言で、私はようやく“生きている”と感じられた。



だけど現実は——
どれだけ尽くしても、どれだけ我慢しても、
その関係は一瞬で終わる。



わたしはその日、ようやく気づいたんです。
“誰かに飼われる”ような愛では、わたしは救われないってことに。



それから長い時間をかけて、
わたしは「私とは何か?」という問いに向き合っていくことになります。

 

 

 

今、愛されたくて苦しんでいるあなたへ

 

この連載は、
“誰かに愛されなきゃ不安だった私”が、
“愛することを知って、生きられるようになるまで”の物語。



もし、いま
・自分のことがわからない
・愛されたいのにうまくいかない
・心がずっと苦しい



そんなふうに感じていたら——
あなたは一人じゃないよ。



どうか、読んでみてください。



次回:「鍵っ子と姉の背中」
——わたしが、ただただ“愛されたかった”頃の記憶から、話をはじめます。