人生とは他人を満足させるゲームではなく自分を満足させるゲームだと気付けると世界が変わる。
先日、ある方のブログに、誰かの言葉として引用されていたもの。
一方、こちら
国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。 |
ジョン・F・ケネディの言葉
これは以前、夫が職場の部下の結婚式の祝辞として
「これは家庭においても言えること」として
よく引用していたもの。
私も夫から何度か聞かされていて
「妻は夫に尽くすものだ」
とストレートに言われるとウンザリするけど
「ケネディがそう言ってる」
と言われると、妙に説得力があり
(権力に弱いのか❓)
夫に何かをしてもらおうと期待するのではなく
私が夫のためにできることをしなきゃってことよね❓
と強く脳裏に刻み込まれてしまった。
冒頭の言葉とは真逆のことを
私は結婚してからずっと心に置いて
生きてきたわけだ…
どちらの言葉が正しいか
それは議論する意味はない。
どちらも人それぞれ、その時々のシチュエーションによって良くも悪くも作用してしまう。
冒頭の言葉は、捉え方によっては
「自己中心的に生きろ」とも受け取れるし
ケネディの言葉は
「自分を犠牲にしても相手に尽くせ」
とも受け取れる。
2つの言葉はどちらも真ではあるけど程度問題、
「自分自身をしっかり持った上で」
という前提で成り立ち
「その上で他人のためにできることをしよう」
ということなのだろう。
やはり自己犠牲の上での献身は
相当な偉人か神様くらいしか
長くは続かないし
普通の人にとってそんな人生は辛すぎるだろう。
冒頭の言葉は
「人生なんて所詮ゲーム」
みたいにも受け取れて肩の力が抜けるし
自分が満足して楽しければ
自然と周りも楽しくなって満足する
ということなのかもしれない。
一方、ケネディの言葉も
お互いのためにできることはするけど
決して自分を犠牲にし続けない範囲内でね
というスタンスなら
いい関係を築けるのかも。
私は気付くのが遅すぎた。
結婚生活、常に相手のために何ができるか
考え続けたのに
相手は「もっと もっと互いのために」と言い
私はある日とうとう がんばり過ぎて
バッタリ倒れてしまった…
そしてそこでそれ以上、夫のために走り続けることができなくなり
夫との二人三脚ができなくなってしまった。
そこで夫は
私を助け起こすこともなく
2人でゆっくり助け合いながら走り続けようともせず
すぐに二人三脚の別の相手を見つけて
私とは別の方向にさっさと走り始めてしまった…
これからは
人生は自分を満足させるゲーム
って感じで
軽く生きてこっと。