arrange by M
お弁当は、結婚してから基本外回りのない仕事だった夫にずっと作っていた。
途中、3人の子どもの出産や育児に追われ
それぞれの産後数ヶ月、作らない時期もあったけど
それ以外はほとんどずっと
単身赴任になるまでは作っていた。
そして子どもが幼稚園に入ってからと
長男は高校時代、娘たちは中高生の間ずっと作り
その間、交換留学生(高校生)を5人計14ヶ月
ホームステイさせていた時は
毎朝5人分のお弁当と朝食を作り
娘たちの学校が親の出番が多かったので
私のPTA活動の時や
私も数年間外で仕事をしていた時は
は自分の分も含めて6人分を
作ることもあった。
ちょっとしたお弁当屋さんみたいな気分。
夫や子どもたちは
私が作ったお弁当は 文句も言わず
時々自分の好きなものや珍しいものが入っていると
「おいしかった」と言ってくれて
そんな時は嬉しかったけど
そんな時ばかりではなかった。
夫や子どもたちの好みはもちろんわかっているけど
留学生は国籍も性別も宗教も様々で
女の子は特に多感な時期でもあり
なかなか気を遣った。
ある日、仕事で疲れて家に帰ると
シンクの三角コーナーに
お弁当箱の形そのままのご飯が
そっくり捨てられていた。
何が悪かったんだろう…と
言葉もなくそれを呆然と見つめていると
オーストリア人の女子高生が
私の目を見て
「ワタシ、フリカケ ダイッキライ‼️」
「あ… そうなの❓ わかった…」
留学生には日本の暮らしや文化をそのまま教えるため
家族同様に接し、食事やお弁当も
家族と同じものを作るよう受け入れ母体の組織から
指導を受けていたので
ついうっかり、頂き物の魚のそぼろを
ご飯に乗せた時の
ビックリするような彼女の反応だった。
私の感覚では、
もし嫌いなものや食べられないものがあっても
少なくとも、抗議するかのように
三角コーナーに捨てることはしないな…
と、咄嗟にその場で言葉がなかった。
私もまだその頃は若くて
彼女に
「そぼろが嫌いならそこだけ除けてご飯はたべられるはず、そしてあらかじめ聞いていた食べられないもののリストに、そぼろは入っていなかった」
なんてこともその場では言えず
とにかく三角コーナーのご飯の映像が
今でも目に焼き付いている 笑
他にも北米からの留学生に、ベジタリアンやビーガンなんて甘いモンじゃない、ゴリゴリのコーシャフードを要求され、
必死にユダヤ教のことを勉強して
「掟」に沿った食事、お弁当作りを余儀なくされたこともあり
その時は自然に家族の食べるものもそれに引っ張られ(買う食材が偏るので)家族皆痩せた…
彼女に合わせなければならない理由はないけど、
2種類の食事やお弁当を作るのは
人数も多くてとても私には不可能だった。
ご参考までに👇
あの頃はいつも疲れていて
朝 5時起きが辛くて
目覚ましが鳴っても なかなか開かない目を
ようやく半分開けて着替えて
キッチンでエプロンつけてさぁお弁当作ろうと思って炊飯器を開けると
ご飯が炊けてなーい‼️
終わった…
と愕然として
ハッ とわれに返ると
キッチンでエプロン着けてたはずなのに
あれ❓
不思議…
なんで私
まだベッドの中なの???
よかった〜 今の、夢やん
え⁉️ ってことは…
今何時〜⁉️⁉️
と慌てて飛び起きる なんてことがよくあって
しかもそれを1度ならず2度3度繰り返し
起きた夢を見て夢の中でお弁当を作っていた という
なんとも自分でも笑ってしまうほど
あの頃は必死だったな〜 と
今となっては懐かしい思い出。
新生活の春に
ふと思い出した懐かしいお弁当作りでした🍱🍙
coordinate by M