夫の書斎の本棚の一番上の端っこに
一冊だけ飛び出していて目障りな本があり
押し込もうとしたのに
何かに引っかかってなかなかきちんと収まらなかったので手に取ってみたらこの本だった👇








この本読んだの❓と夫に聞くと
たぶん読んだけど、内容は覚えてない
と言う。



著者の紹介を読んで
「超越瞑想」関連の本であることがわかった。


瞑想そのもののHow to本ではなく
瞑想を絡ませたストーリー仕立て



超越瞑想は以前記事に書いたこともあるが
だいぶ前に夫がハマり
子どもたちも含めて最寄りのセンターで指導を受け
家族全員で取り組んでいた(ほんの一時笑)



子どもたちが訳の分からない瞑想を
ずっと続けるわけもなく
夫も数ヶ月で「忙しくて時間が取れない」ことを
理由にやめてしまった。


当然もともと何のモチベーションも持っていなかった私も夫と相前後してやめてしまった。



それでも私は10年ほど前からヨガを始めたので
時折瞑想をすることはあったが
超越瞑想をすることはほとんどなかった。

(2年前にはヨガの聖地インド リシケシュへ
ヨガと瞑想の旅をした)

そんな中、コロナ自粛で夫が
「オンライングループ瞑想」を発見。


超越瞑想は個人で毎日行うものだが
グループで同じ時間に行うことで
世界中に良い波動が生じるという。


そこで久しぶりにまた2人で瞑想を始めていた。


正しい瞑想を行えているのか怪しいけれど
ここ2か月ほど毎日ではないが続いていた。


少なくとも私は
とてもまともとは思えない精神状態を
なんとかしたくて藁をもすがる思いで…


もともとは夫がハマっていた超越瞑想。


夫は常にいろんなものにアンテナを張って
今までさまざまな分野の本、セミナー、講演会などに
時間とお金を注ぎ込んできた。


それだけ仕事のストレスも多く
上昇志向も強かったのだと思う。


でもそのほとんどに満足できるものはなく
長続きするものはなかった。


夫は好奇心旺盛で超ポジティブ
常に新しいもの、おもしろいものを求め続け
手に入れるまで徹底的に調べ上げ
全てのものを比較して吟味に吟味を重ねて
その時の自分の最高のものを追い求める。


ターゲットを定めてから自分の手中に収めるまでの
プロセスさえも楽しみ尽くす。


むしろそのプロセスこそが最高に楽しい時間なのかもしれない。


だから…



ターゲットが自分のものになった瞬間に


もはや夫にとっては輝きを失ってしまう。



夫はきっと典型的な狩猟民族。


私はもちろんものを作るのが好きな農耕民族。

私は結婚して夫の手中に収まった瞬間に
夫の興味の対象から外れてしまったんだね…



あ、話が逸れました。



そして本棚から私に
「こんにちは」と声をかけていたかのような前述の
『Calling I am』


読んでみると
今 夫がハマって熱心に勉強している仏教と
シンクロする部分がかなりある。
(夫は自宅の書斎でオンラインやYouTubeで
勉強しているので書斎から漏れ聞こえるし
YouTubeは私にも観せようとリビングで観ている)


そしてさらに私が最近読んだり聴いたりしている
心理学系の話にも突き詰めれば
共通点が多い。


私なりの稚拙な解釈は

とどのつまり


人間なんてちっぽけなもの。


そのちっぽけなもののそのまたちっぽけな悩みなんて、宇宙から見れば塵よりもちっぽけな
取るに足りないこと。


ってことかな❓ かなり乱暴な解釈だけど笑



そしてそのあとのアプローチの仕方が
超越瞑想、仏教、心理学etc.  それぞれに違うものではあるけど、
私の現段階での理解は

周りに左右されない絶対的な自分の「心(純粋意識)」を認識し
それを尊重し、その上で心と身体の調和を図る。

って感じかな❓


日々の瞑想(仏教においては日々念仏を唱える、座禅など宗派による)により
心を揺さぶるさざ波を鎮め
精神の健康が肉体の健康にも繋がる

そんな気がしている。



「私」という枠の中の悲しみや苦しみは

「真の自己(純粋意識)」の中では

小さな泡のように消えてしまうもの




私の身体は単なる「心の入れ物」に過ぎず
個性や人格も、人間の感情や思考などを介して認識されるものであり、
「心(真の自己)」というものは
それらの一切に媒介されず
さらに時間や空間の枠もない。




なんか私




怪しくなってきた❓ 笑笑



早い話



私の悩みなんて



くっだらないぞーー!



ってことですね 笑