夜にお酒を1人で飲むと、普段は深く考えず見過ごすような考えに、
深く目を向けることがあります。
普段は何気なくスルーできるあらゆる問題がより鮮明に、より明確に
自分の正直な感情とともに押し寄せてきます。
先日、私のお母さんのガンが再発しました。
もともと直腸がんで、根治が可能な治療だったはず。
それが術後2年で肺に転移し、検査で新たに5つ以上の影が見つかりました。
もっと少なければ肺を切って、根治も可能でしたが、肺は再生不可能の臓器。
今の進行度では、抗がん剤投与を続けて、がん細胞を小さくすることでしか、治療が望めません。
あんなに手術を頑張ったお母さんが、今まで前線で働き、全力を注いだ仕事を下に任せて、治療に挑んだお母さんが、どうしてまた同じ苦しみを経験しなきゃいけないのでしょう。
私も含め家族全員、お母さんの病気はもう治ったものだと、
「早期発見できてよかった」と思い出して笑えるようなものだと思っていたのに。
自分の考えの甘さと、ガンという病気を見くびっていたことに、怒りを覚えてしょうがありません。当たり前に、お母さんは元気で、もう泣いたりせずに元気に生きていける姿を何も疑いなく信じていた自分の安直さに反吐が出そうです。
世の中にはもっと重い病気の人がいて、私はその事実に一度もしっかりと向き合ってきたことがありませんでした。
なんでこんなに自分はバカなんだろう。でも失ってしか気づけない、本当にその状況になってみないと、本当に自分が何を感じるかが分からない。それが人間の真理であり、愚かさなのかもしれません。
家族が病気を患う、という経験を味わなければ私は今のどの感情とも向き合うことができませんでした。
お母さんと過ごす何気ない時間を「もしも……」という前提を含んだ目で見ることはなかったし、こんな風にお酒を飲んで、1人文章を連ねることもなかったと思います。
自分がどう振る舞うのか、どう物事を考えてこれから生きていけるのか、
何も知らなかった頃には戻れない状況で、どうやって家族と、周りと向き合っていくのか。
まだ考えてばかりで答えはでないけど、
この状況だからこそできた選択をしながら、自分が振り返って自分を責めるようなことにならない選択を丁寧に、だけど時に思い切って取れるような道を歩いていきたいです。
そのために自分に何が必要かは、もう少し飲んで考えてみます。