(753回)

津和野街道廿日市の起点となる
津和野藩御船屋敷跡
現在は
廿日市中央市民センター内に
その石碑が
立てられています
 
そこから
北を見ると
小高い丘の上に
正覚院と天神さんが
石段の上に
見えます
 
この御船屋敷は
1631年に
 
当時の
当時の津和野藩主
亀井家が
 
広島藩より
当地を借り入れ
 
桜尾山東側に
港を開き
 
西側200mのところに
御船屋敷を設置した
 
ここで
疑問が出る
 
何故津和野藩は
中国山地を越え
この廿日市に
御船屋敷を選んだのでしょうか
 
津和野から
近隣の益田までは
近い
 
舟で
西に回り
下関を経由して
瀬戸内海を東に上って
いたこともあったようである
 
しかしながら
冬場の
日本海は海が荒れ
とても
航海できるものではなかった
それがゆえに
険しい山道ではあるが
参勤交代には
 
陸地津和野を発ち
津和野街道を南下し
 
六日市本陣
大原本陣
栗栖本陣
を経て
 
廿日市の御船屋敷に
止宿していました
 
また
この街道は
商業の発展にも
大きく寄与しています
 
津和野名産の
和紙の移送には
この街道が使われ
 
廿日市からは
津和野での必需品等の
移送に使われて
街道は
賑わっていたようです
 
この廿日市には
津和野の太鼓谷稲荷の
分身を祀る
稲生大明神がある
早駆け大会出発地点
来年は終着地点ともなる
正覚院の
東直ぐ傍にあるので
 
当時
津和野から来た人たちの
心の拠り所となった
 
故郷への思いが
込められている
 
津和野街道早駆け大会
実行委員長
谷口 薫
 
御家人サイト
  hikog の廿日市の歴史探訪 参照    
※佐伯商工会ホームページ 参照