またまた久し振りにブログに入りました(^-^)
不定期の気まぐれ的なつぶやきしかしていませんが、毎日、毎月、キーワードでこのブログに辿りついてる方がいるようで、正直驚いているのと、少しでも何かの参考になっていたら良いなと思う次第です。

さて、本日はこの3年間を振り返り、ふと思ったことを書いてみたいと思います。

3年前のこの季節、突然元旦那が家出(2回目)をしましたショック!
タクシーの中で些細なことで喧嘩になって、元旦那は勤務先で降車するのですが、

「俺、もう今日から家に帰らないから。離婚だ」

って言って、本当に着の身着のまま帰ってこなくなりましたショック!。(その後、案の定女性の家に居候していたことがわかるのですが)

私はこの騒動を機に本格別居してその半年後に離婚したわけですが

この年末の、忘年会クラッカーだ、クリスマスだ、仕事納めだ、お正月だ、と街がイルミネーションで彩られていく季節
職場の仲間、新旧友達との飲み会で毎日が飲み会で埋まるカレンダー。
銀杏の紅葉が見事で、冷たい澄んだ空気と夜空の美しい季節

今ではこんなキラキラキラキラ、一年で最高に気分が盛り上がって、今年もなんとか無事過ごせたと感謝する時間が、あの3年前は、本当に絶望的な気持ちでいっぱいだった年越しあせる

いま、冷静に思うと、あの元旦那の態度は一体何だったんだ?
いくら機嫌が悪くても、離婚しようと心に決めていたとしても
あまりにも衝動的すぎる家出は今でも私には理解できない。
仮に私に恋人がいて家出するとしても、きちんと前のことは清算してから出て行くよね。

それって、ある意味、いつでも戻ってこれる場所を確保しての本気じゃない家出だったとゆーか、都合の良い自分本位な行動

つまり、私は完全になめられていたんだろうシラー

元旦那さんの批判はさておき、

私はそんな、何かキープしながら、あれこれ手を出すのなんて御免だなー

そもそも相手に失礼だし
そんな中途半端なもの、いらないし、自分はしたくないな
例えできたとしても、継続やリピートできないっすにひひ

でも世の中、不安だったり寂しかったり、常に誰かの愛情もどきを確かめていないと駄目だったりする人もいる

自分の価値観だけを押し付けてはいけないのが世の中です

3年経って、今は独身ライフを満喫音譜しています

時に孤独を感じること、カップルや家族を見ると純粋に良いなーニコニコって思うこともあるけど

ひとりだけど、相手の気持ちを踏みにじるようなことはしていないのは自分で良いなって思うこと

ただでさえ、意図してなくても誰かを傷つけてしまうことが多いのに、
そんなあからさまに人を傷つけることなんて、私はしたくないぞ!それでいいのだニコニコ

私は1人でも大丈夫ですが、元旦那さんは1人では大丈夫じゃなかったんだろうね

ま、そう思うと理解できますねニコニコ

もう今は本当にこの冬の一番街が煌めく時間を心置きなく楽しめるのが幸せです




離婚から丸2年が過ぎました
過去の自分のブログを読むと、もう気恥ずかしい位感情的だった自分がいます
最近思いますが、恋愛にしても結婚にしても、家族との交流にしても
関係が近くなればなるほどやり取りに感情が入ってしまいます
真剣だからこそ、感情的になってしまう
特に男性よりも女性は感情的な生き物と言われますが、
特に私は
感情的になりやすいんだな、と感じて
この自分とどう向き合ったら心地よいのかなと考える機会が最近ありました

そこで、当たり前のことですが

感情的になるのは、やっぱり自分が中心のものの見方をまだまだしてるからなんだと思いました

傷つくのが怖かったり、正当化だったり、
その時のやりとりの状況もあるけど

必要なのは、一歩下がって冷静に自分を見る力
相手の気持ちを考えて発言する理性

まだまだ、私には足りない

考え方の癖を治すのは難しいけど

沸騰した時に、相手の事を考える練習をしていかないと、同じことを繰り返してしまう

今年の後半の目標は

感情的になりやすい自分を冷静に見る力を養う!

その言葉、相手に言われたら、どう思う?
ってことを意識的に考える必要がある

とりあえず、どんな風にできるか頑張ってみよう







久しぶりにブログでつぶやきます(^-^)

4月になって桜も満開。

仕事は忙しいけど、友達とご飯を食べたり、ひとりでのんびり公園で日向ぼっこしたり

マイペースな40代がスタートしました。

しばらくずっと、恋や結婚しないことは人生で面白みのないことだと思っていたのですが

ひとりでいるのも悪くないぞ!っと最近思ってます

お友達に割と恵まれているのだと思うけど
子育てしてる子も、夫婦二人の生活してる子も、そして私と同じく独身生活してる男女のお友達も、リタイア近い人から、まだこれから結婚する子から、海外のお友達から

それぞれの価値観で生きていくことが良いかなって思います

40を過ぎて思いますが、未来に限りない夢をを描ける時間って、実は人生の中では3分の1もないのかも。
40歳になったら迷わないと言ってますが、これは迷わないのではなくて、現実を受け入れられるようになった、ということなのかも。

果てしない理想を求めるのてばなくて、現実を受け入れて、身近な幸せに目を向けられるようになるってことかな。

特別すごい事もないけれど

お花が綺麗、天気が良い、体重が増えたとかっていう些細な悩み

それだけの生活に幸せを感じますね




久しぶりにブログを更新します。

最近やっと少し時間ができてきました。

平凡ながら、仕事終わりで深夜にソチオリンピックを見るのが楽しみ。

バンクーバーオリンピックから「4年」というのが本当に信じられない
あっという間の4年、

そして独り暮らしを始めて、あっという間の2年です

この1年は特にお仕事を頑張っていたせいか
恋愛とか、そーゆーことからはかなり遠ざかっているのですが
良い意味で自分の結婚観や人生観も大分変わりました

離婚した直後は 再婚して、家族や家庭を築きたいと焦っていたと思うけど

今は結婚という制度に囚われることなく

残りの人生で尊敬/感謝/信頼/助け合いのできる人と出会えたら嬉しく
もし、自分は一人の人生になったとしても

友人、知人、ご縁があって出会う人に対して
自分にできることをしていけたら良いな、って思います。

40を過ぎて、女性としての一つの壁を超えたからかもしれませんが
まだこの先長い人生を、客観的に見る余裕ができてきた感じです
とにかく20代後半から30代までいろんなことに焦っていたように思うけど
焦ってなにも良いことはない!というのが学習事項

大変な結婚生活でしたけど
でも結婚という体験をできて、一応親孝行もできたことは
元旦那さんあってのことなので 彼にも一応感謝ですね

先日、久しぶりに元旦那さんの夢を見ました
バレンタインだったからなのか、、はさておき、

普段殆ど考えることもないのですが突然夢で遭遇。

夢の中では最初楽しくお話ししてたのですが、
途中から「ごめんなさい、は?」とか言われ。。
「なんか、これ、前にもあったような。。。」って思っていたところで目が覚めた

潜在意識の下に刷り込まれた 「謝罪要求する夫の図」は
完全になくなりはしないのかな。と。

嫌な気持ちもなにもないけど
意識してなくても確立されたイメージは正直な印象なのでしょう

とにかく今は
家で当たり前のようにリラックスできて
好きなものを食べたり、着たり、飾ったり
ごく平凡な当たり前の当たり前な暮らしができてることに感謝

色んな環境で、折り合いをつけている人も沢山いますが
自分らしさを大切に保っていけたらよいですね

その昔

カウンセラーの先生にも何度も言われたけど

「していい我慢」と、「しなくていい我慢」は違うから

しなくていい我慢から自分を解放していきましょう
久しぶりにブログを書きます。

このブログ、もうモラハラ経験談もそんなにアップしていないのですが

キーワードで辿りつく方がいるようで、アクセスが細々とですがあります。

もうすぐモラハラ脱出劇から2年を迎え、モラハラ記憶や結婚生活も薄れつつありますが

私の短い結婚生活でのモラハラ体験も、何かのお役に立てば。。と思ってそのままにしております。

このスペースは私のモラハラ独り言スペースとして、頭と心の整理場所なのかもしれません。

振り返ることはないけど、たまに当時のブログを読むと、本当に自分自身の感情の起伏もものすごいし、結婚生活の未熟さとか、自分でも恥ずかしくなったりします

今だからこんなに冷静になれるけど、当時は本当に大変だったこと

普通の生活をしてる人たちからしたら想像できない生活だったと思います

さて、本日のブログ

今はまったくモラハラとは無縁の生活をしてますが、

最近とある美術展に行って、すごい気になる展示があったのでブログに書いてみることにしました

エドワード・バーン・ジョーンズ という19世紀のイギリスの画家の作品で、イギリスにあるジーザス・カレッジ・チャペルの北翼廊窓に「忍耐・服従・従順」というタイトルのステンドグラス作品があります

この作品はキリスト教での女性の美徳として奨励された「忍耐、服従、従順」を3人の女性をモチーフに描かれているのですが

それぞれの女性の姿の下にはにはラテン語で「Patientia, Obedientia, Docilitas」と意味がつけられていて、

さらに、寓意的なのか、3人の女性の足元には別の女性がそれぞれ描かれています

モラハラのことなんぞ、まったく忘れて絵画鑑賞をしていたのですが

忍耐、服従・・・なんていうタイトルに

「ん?どこかで聞いた様な・・・

ステンドグラスの美しい女性像をよーく見ると足元にはなんだか苦しそうな別の女性の姿が描かれています

さらに、よーく観察してみると、美しい女性の背景に描かれてる植物が変化していたり、頭の後ろの光背の光が変化しています

左から、右に移動するにあたり、生気がなくなっていってるような・・・

「やだー、なんだかこれって・・・モラハラ5年後、10年後、20年後みたいじゃない

と不謹慎ながら女性の姿を食い入るようにみてしまいました

特に、一番右の「Docilitas=従順」の女性像

とても純朴そうな女性が描かれいる一方で、足元には血の気のない白髪の女性、植物も朽ちてる?ように見え、光背の赤い光(=感情や血色を示す赤?)もありません

今の世の中とは全く違う時代

日本でも一昔前までは主従関係があたりまえの時代

キリスト教の教義はよくわからないので冒涜にならなければよいのですが

とにかく女性のあるべき姿が、どうしてこんな風に描かれたのかなと疑問に思いました

ある意味、モラハラ(主従関係の名残)を経験をしてしまったから、違う視点で見ることができるのかもしれません

ざっくばらんに言うと、単純に、白髪の血の気のない女性像のインパクトが強烈で

あのまま、暮らしていたら、足元の”従順な女性”になっていたのかも と思うと

やっぱり、離れて良かったのだ、私には割り切ってやり過ごすことは無理だった、と感じたのでした

忍耐は時には成長のために課せられるものであり

服従や従順も、時には信頼関係と絆を強めるものかと思う

だけれど、それは、あくまでも 愛や思いやり、前向きな発展がある場合じゃないかな

心の持ち方次第で、どちらの女性になるか。。ということを意味したかったのかわからないのですが

結局は前向きに生きていく力が必要なのかと思います