「別れちゃったんですよ。実は」

早めに出勤してきた『私』に、待ち構えていたかのように話すのは、同僚の示野香織だった。

「十年付き合ってた彼氏?」
「そうなんです。奈美恵さん、飲みに行きましょうよ」

香織は職場ではあまり表情を崩さない女だった。それでいて、仕事にはストイックな為に、しばし周りから誤解を受けやすく彼女を苦手とする同僚やスタッフが多かった。
そんな彼女とたまにお酒を、飲みに行くことがある。『私』は彼女が嫌いではなかったし、誰よりも仕事に対して、真面目に取り組む姿勢に頭が下がる思いだった。

「うん。いいよ」
「ホンマですか?お子さん達大丈夫?」

遠慮がちに香織は微笑んだ。

「じゃあ、いつものおでん屋さんにする?」
「いいですね~。じゃあ、十九時に待ち合わせってどうですか?」
「了解」

手短にやり取りをすませると、香織の医療用のピッチが鳴った。

「交代ギリギリで急患だって」

香織はそう言い残し、忙しなく救急室へと向かった。お疲れ様と心でエールを送り『私』は、彼女が医局から出ていくのを確認すると、仕事に取り掛かった。

(十年付き合って別れたんだ‥そっか‥)

電子カルテを追う視線が止まる。彼女のその十年は意味があったのだろうか。二十代から付き合って十年。その十年は、花が咲いたばかりの瑞々しい年齢のはずだ。その十年を結局別れてしまう男のために、使ったのならばソレは、とても勿体無い年月だったのではないかと思う。
『私』はカルテの画面に再び視線を戻すと、意味もなく画面をスクールする。

(なにを言ってんるだ。私)

自分はどうなんだ。十一年も結婚生活して、結局別れたらアラフォーも目の前だし、子どもだっているし、同じ十年でも私の方が、勿体無い年月だったのではないかと、嫌な感情が心を凍らせそうになった。

「朝から仏頂面をするな。気分が悪い」

『私』はギクリとして振り返る。医局のドアの側には、医局長の前園が入ってきたところだった。
「おはようございます」
あんたのその仏頂面の方が気分悪くなるわよ。と、いつか言えたらいいのにと思いながら、精一杯の笑顔を作ってみせた。前園は、短く息を吐くと部屋の中央にある自分のデスクに向かい腰を下ろす。

「そんなことで、医者が務まるのか」
「合同カンファが始まる前に、一度病棟に降ります」

前園のクドクドとしたお説教を聞く気は微塵もない。しかし、前園が話かけてきたおかげで、『私』の心は、嫌な感情に凍てつくことはなかった事にホッと胸を撫で下ろす自分もいた。
『私』は立ち上がると、白衣のボタンを締めて医局を出る。数メートルの廊下を進んで、足早に階段を降りた。

「ホンマ、ロクな男っていないわ」

思わず吐き出していた。この世の中ってなんで男と女しかいないのだろうと、くだらない事を自分に問いただしてみる。
(ばかみたい)
『私』は、階段を降り切ると仕事のスイッチを入れる為に頭を振った。

春とはいえ夜は寒い。こんな日はおでんがいい。女二人なのだから、小洒落た店でも良いのだが、香織も『私』も、この小さなおでん屋さんの味が大好きだったのだ。カウンターとその背中に、座敷があってテーブルが三つならんでいるだけの古びた店。十年前に、リフォームしたらしいが、残念ながらその努力はあまり残っていなかった。それでも、大将とおかみさんの人柄も勿論、味は天下一品のおでんだから、平日でも満席だった。

「ごめん、ごめん。大学出るの遅くなっちゃって」
「こっちこそ、申し訳ないないです。急に誘って」

ベージュの スプリングコートを脱ぎながら、香織の横に座る。カウンターの席を確保していてくれたのだった。

「先に呑みもの注文しちゃいましょ?」

そう言う香織はすでに、ジョッキが空になっていた。私は酎ハイとおでんの具を三種類注文した。香織もそれに、続いてお代わりと、おでんの追加をする。

「呼び出しはなさそう?」
「こないと思います。ってか休ませてって感じですよぉ」
「だよね。私はないはず。うん。明日は病院じゃないし」

『私』達は大学で、研究をしている。研究しているだけで臨床で仕事をしているわけではないので、大学と繋がりのある病院で、雇われ医者をしないと生活が出来ないのである。その雇用契約は一年で、行き先は毎年変わる。大学の偉い人がこっちの都合も聞かずに、今年はどこそこの病院に行きなさいと、通達が来るのだった。
香織は循環器外科が専門で、『私』は消化器内科が専門だ。研究している大学は同じだが、殆ど顔を合わせたことがなく、今年になって今の雇われている病院で知り合ったのだった。女の医者が重なることは、滅多になかったので、仲良くなるには時間を要さなかった。

「もうオフですよ。スイッチ切り替えましょうよ」

香織はその小さなお尻をちょっとだけ横にずらし、椅子に座り直す。

「了解。で、彼氏と別れたって?」

香織はその時丁度運ばれてきた、モスコミュールを受け取った。

「そう。神戸に来てくれって」

『私』も酎ハイを受け取る。グラスがよく冷えていた。

「プロポーズじゃないの?」
「無理ですよ。あっちは、もう三十なのに、仕事も何度も変わってるんですよ」

香織はモスコミュールを一口呑み込んで、薄いなと小さく呟いた。

「同業者じゃないんだっけ?」
「そう。自称ミュージシャン。笑えへん?」

香織は困ったようにクスクスと笑う。

「夢を追ってるって言い続けてるタイプなの?」
「どうなんでしょうね。それを辞めて実家に帰るから、着いてこうへんかって」

おでんの皿が元気なおかみさんの笑顔と共に運ばれてきた。人参も美味しいよ、とおかみさんは言う。香織はじゃあ私にそれをと、応えた。

「神戸だっけ?嫌なの?」
「結局、私が養うことになりそうで。私、今年三十ニですよ?子どもが欲しいんです。でも、あの調子じゃ、生活出来ない。私が働かないと。働くのは嫌っていってるじゃないですよ?ただ、研究がしたいんです。臨床は苦手やもん」

香織は愛媛県出身だそうだ。しかし、大学が神戸だったこともあって言葉に関西訛りが残っていた。

「今更、大学を辞めて雇われ医者したくないもん。忙しすぎてきっと死んじゃう」

結婚したいし、子どもも欲しいと香織は続ける。理想の家庭もあるという。

「ぶっちゃけ、やっぱりネームバリューですよ。旦那さんの職業って重要」

香織は少し酔ってきたようで、饒舌になってきた。私はよく味の染み込んだ大根を、口に含みながらウンウンと聞いている。

「私ですね、実家が貧乏なんです。父親が最低で。って言っても離婚してるるんですけどね。だから、なんとしてでも、医者になろうって思ったんです。勿論、奨学金使ったし、バイトもなんでもやった」

香織はふっとため息をつく。そして、視線をカウンターのメニューに移す。

「別れた彼は、バイトの居酒屋で知り合ったんです」

自分に唯一優しくしてくれた男性だったけれど、夢を追いかけすぎているということ、別れた時に別れるのは嫌だと泣かれれたこと、自分との格差を意識してしまったことを話してくれた。

「それににですね、うちに母親は別れたくせに、父親に未練があって、お金を全部父親に使うんで
す。うち、高校生の弟がいるんだけど、全部学費は私。それで、学校も行きたくないって言い出して、母親パニックって。実家に戻ってきて、医者なんだから、お金あるでしょだって」

なにもかも嫌になったと話す香織は、酔っているようにも見えたし、そうではないようにも見えた。
『私』の周りは、離婚した人や家庭に問題がある人や、男運がないような友人や知り合いが多い。類は友を呼ぶというが、本当にそんな気がした。勿論、『私』も例外ではなく同じような境遇だ。

「辛いね」

そんな一言をかけながら、『私』は結婚していた時の地獄のような生活を思い出していた。

「だから、もうこれで終わりにしたいんです」

香織はおでんの玉子を頬張る。

「しょろ‥しょろです‥ね」

口をいっぱいにしながらも、一生懸命喋る香織は可愛かった。

「食べてからでいいよ」

『私』は呆れたように笑う。香織は熱っといいながら、玉子と戦っていた。

「自分の幸せを求めてもいいでしょー」

ようやく玉子との戦いを終え、良しと小さくガッツポーズをした。そして、にっこり微笑むと、おかみさんに
こんにゃくを追加注文した。

「そうだよ。そそ。幸せにならなきゃね」

『私』は香織の肩をポンっと叩いた。

「奈美恵さんは良い人いないんですか?まだまだこれからでしょ」

『私』が離婚した理由を知っている香織は本気でそう思っていうのか、社交辞令なのかは分からない。ただ、それは他人事のように『私』の宙を舞った。

「はは。だといいけどね。バツイチで子どもいて、四十も近い女なんて重いだけ」

そんなことないのにっと香織は笑う。本当にそうだといいけど、現実には、それは難しいと感じる。年齢もあるけれど、子どもまでいては、なかなか首を縦に振らないだろう。だいたい子どもがいると聞いて、逃げるような男はこちらからご面倒だ。
それが男女逆の立場だとまた違う。女は好きになった男に子どもがいても、気にしない女の方が多いと思う。
それは、男性社会優位な社会のシステムによる経済力の差がまだあること。そして、女は感情の生き物であるからだと『私』は思っている。つまり、好きな男に子どもがいても、好きな男の子どもごと愛せる精神が、男性よりも、優れているからだと思うのだ。とはいいながら、そこには打算が含まれているとも思っている。

「ねね。奈美恵さん、街コンとかお見合いパーティー行きませんか?」
「え?」
いきなりの提案になにを言っているのか、一瞬わからなかった。

お見合いパーティー。興味はあったけれど、結婚にガツガツしてしていそうなイメージがあって、自分のプライドが邪魔をしていた。しかも提案をした香織とは『私』は年齢差がある。そんなイベントは、年齢制限だってあるだろう。同じ婚活パーティーに行くのは、少々無理があるのではないかと思うのだ。

「 これですよ。これ」
香織は、そういうとスマートフォンを鞄から取り出した。画面を何度かタップする。目的のサイトを見つけると、二本指で画面上で広げた。そこには、【大企業社長・上場企業、商社勤務・医師・歯科医師・年収六百万円以上の男性】という、タイトルが表示されている。

「これは嘘っぽいですよねー」
香織の感想に同感だ。こんな都合の良い条件なんかない。大体こんなに地位も金もある男が、お見合いパーティーになど頼ることはない。
同期の男の医師は、こんな条件の元に来る女なんて、金目的でしかないという話をしていたことを思い出した。自分ではなく『医師』という国家資格と結婚したいのだと力説していた。とはいえ、一部の馬鹿な医師は『医者だからモテる』と言っていたよな。当のあんたもそういってなかったっけ?『私』はその彼にそう告げると、彼は、「女医は頭のいいことを鼻にかけて、男を馬鹿にしてるよな。俺だってご免だし、周りの奴もそう言ってる」低能な捨て台詞を言ってその場を去っていった。
思い出すと、腹正しい男だ。医者としても使えないくせして。『私』はくだらない事を思い出して、大声で叫びそうになった。

「ちょっ、これみてくださいよ。料金のとこ」

香織は『私』の肩をバンバンと興奮気味に叩いた。画面を覗くと【男性料金三万円、女性料金二万七千円】とあった。場所は都内でも超有名な高級ホテルだ。
「こんなのみたことないですよ。大体が女性は無料か低料金ですもん。男性だって一万円は越えないし」
香織はそのパーティーの詳細を読み落とす事がないようにと、懸命に目で追っていた。酔いはとっくに覚めているようだ。そして、『私』も自分のスマートフォンを取り出し同じサイトにアクセスした。

「会社は初めて聞くようなとこですけど、私もそんな詳しくないですしね。レビューも悪くない。怪しいかもしれへんけど、行ってみる価値はありそうじゃないですか?」

「そうかもしれないけど、レビューなんて当てにならいよ」

香織の耳には私の声が届いていないようだ。なにやら楽しそうだった。
サイトの内容は、都合のいいことばかり書いてある。当たり前といえば当たり前だ。それを信じる人が世に中多いんだろうなと、素直な人が多いんだろうなとボンヤリ考える。同時に自分は、素直になれない腐り切った女なんだろうかと思った。

「申し込み完了ー」
「はっ?」

香織はニヤニヤが止まらない。

「次の次の土曜日ですよ。二人分申し込みしちゃいました」

いたずらな笑顔で登録完了画面を目の前に差し出した。その時『私』のスマートフォンにメール受信を知らせるサウンドが短く流れた。慌てて受信ボックスをあけると、登録ありがとうございました。料金確認しました。当日を楽しみに‥なんたらかんら‥最後の方の文章を読むまでもなかった。

「転送しましたよ。お金は私のカードから立て替えときました」

絶句だ。あの短時間で、そんなに早く打ち込めるのかという感心したのと、歳の差を痛感した。

「ちょっと、勤務どうするのよ?」

勝手に申し込むのは、百歩譲って良しとしよう。『私』も興味なかったわけではないし。その証拠に自分のスケジュールを思い出そうとした。
香織は花柄のシステム手帳を取り出しすと、挟んである綺麗に折りたたんだコピー用紙を広げる。この辺りも、香織のきっちりとした性格が表れていた。

「あ‥うん‥大丈夫ですよ。奈美恵さんは」
「私はって?香織ちゃんはどうなの?」

香織はウフフと一笑する。

「ガッチリ夜勤です。なので、奈美恵さんが行ってそこで彼を見つけて、その彼の友達を私に紹介する。料金は半分払いますから、私の為にも行ってきてください」

断わることが出来ないオーラが醸し出されていた。厄介な事に香織は本気も本気だ。

「勤務変わるわよ」

「ダメです。奈美恵さんは、前の日が夜勤です。私はその日は用があるので、勤務は変われません」
やけにハッキリ言う香織に、実は勤務予定を覚えていたのではないかと疑惑が浮かんだ。返す言葉を探している『私』を待ちながら、香織は人参を頬張った。

「わかった。でも、彼が出来るかは保証できないからね」

断わることが出来ない『私』が観念すると香織の目が輝いた。酒で口の中に残っていた人参を流し込むとちょっとむせながら、そうこなくっちゃと言わんばかりに、テーブルを三度叩く。

「奈美恵さんなら大丈夫。可愛いですもん」

なんだか素直に喜べない。開き直って『私』も大好きなすじ肉を口の中いっぱいに入れた。周りの目は気になりながらも、こうやって食べるのが好きなので、考えないようにする。
すじ肉にタップリと味が浸み込んで、油抜きも完璧。口の中でとろけてなくなる、まさに完璧なおでんのすじ肉だ。後に引く味をも最後まで堪能して、サッパリと冷たい酒で流し込む。あゝ美味しい。と、一呼吸おいた。

「確信犯でしょ?」
「確信犯の使い方間違ってますよ」
「それが転じて、分かってて悪い事するときにも使うの」
香織は大笑する。
「悪い事じゃないですよ。ねー大将」
カウンター越しにいた大将がガハハと笑う。
「さ、さ、奈美恵さん、乾杯!新しい恋に」
この酔っ払い女めと言い返しながら『私』はつられて笑う。胸がザワザワする。どうやら『私』も酔ってきたようだ。

三へ

まだ肌寒さが残る四月半ばの午後、天気予報を裏切って突然雨が降ってきた。平日の午後二時のスターバックスは程よく人が入っている。
『私』はカップをのせたトレイをテーブルに置いて、窓際のカウンター席にドサッと腰を下ろす。ここから、行き交う人たちを観察する事が好きだった。
あの人美人だな。優しいそー。イケメンだわ。でも結婚してるか。そのシャツにそれって、あり得ないでしょ。高校生がヴィトンを持ってっても、全然似合わない。
勝手な評価をする。その対象になった人には、はた迷惑なことだった。それでも自分にとっては、ちょっとたストレス発散になる。

(やけにカップル多くない?)

はしゃぎながら歩く二人。一本の傘で身を寄せて歩く二人。手をつないで、駆けて行く二人。カップル。カップル。カップル。この世にはカップルしかいないのかと思うくらいに、カップルばかりが目に付く。

(あれ?今時カップルって言うんだっけ?)

タンブラーに視線を戻し蓋を開けると、柔らかな泡が現れた。ふぅと息をかけると、泡は奥へと進む。それが戻る前にゆっくりとラテを啜った。我ながら、蓋を開けて飲むなんてかっこ悪いなと思う。

(そういえば、最後にしたのっていつだっけ)

熱いラテが喉元を過ぎるのと同時に再び窓の外を見た。

(世の中カップルの方が相対数多いのかしら)

勿論カップルだけでじゃない。オフィスワーカー、学生、親子、外人‥平日の午後三時でもは多くの人々が行き交っていた。

(外人‥ああ‥あいつか‥あいつが最後か)

大きな溜息が漏れた。




「実は四十四歳なんだよね。それを書いたらさ、五十代のばばぁばっかりがアクセスしてくるから」

そう言うのは、ペンパルサイトで知り合った欧米人だ。彼は流暢な日本語で話す英会話スクールの講師で小さい男だった。

「シカゴが出身なんだけど、ラスベガスって言った方が、モテるでしょ。特に日本人はさ」

背も小さいけど器もお猪口並みの男だな。母国では女子にもてなかったなんだろうな。身長百七十センチメートル以上って書いてなかった?どう見ても百六十ないでしょ。百五十ニで八センチのヒール履いた私の方が背が高いんだし。
聴覚の1番遠いところで『私』は、その小物の言葉を冷やかに聞き流す。

「オレの大きいよ?」

そう言ってその男の自宅兼スクールのマンションの狭いエレベーターの中で、二人きりな事をいいことに、おもむろに自分のモノをだした。

「大きいよね?」
「ええ‥そうね」

『私』は照れたフリをして応える。こんなところで自慢するなんて自分に自信もない下品なクソ男だ。それに自慢するソレは、特に大きくもないイチモツだった。
男のイチモツは身体の大きさに比例するとも言われてるし、その人種にもよるという。この小物は背も低いので、なるほど納得という印象しかなかった。
アラサーもアラフォーに近づく年齢になると、イチモツも見せられたくらいでは驚かない。しかも、職業柄見慣れているので感情は出てこないものだ。
エレベーターを降りて、その小物の後を歩く。
小物が部屋のドアを開けると小部屋が一つと六畳弱のダイニングキッチンとリビングという狭い部屋があった。こんな狭くてスクールやって、区内だしね。こんな部屋でも家賃は二十万はするのだろう。

『私』の脳が、肝心な部分をシャットアウトしている。
なんの感情もなく、部屋を見回していると、小物が抱きしめてきた。もうヤル気だ。
でも、それでいい。早く済ませよう。私も一年くらいご無沙汰だし。
処理だけでいい。相手になにも期待しない。男と結婚するとか、恋人とかそんな縛りは面倒だ。

案の定。キスもなく前戯もおざなりの"処理"だけのセックスだった。
汚い風呂場でシャワーを浴びて、『私』は小物が寝ているうちに部屋を出ていった。そこからは、一切連絡はしてないし無論かかってもこない。
こんな小物の所にきている生徒はたかがしれてるな。とも思う。と思いながら、こんなバカな小物と分かっていても一回とはいえ関係してしまった"私"は、たかがしれてるどころか、どうしようもなく馬鹿な女だなと、辟易してしまう。

(なにやってんだろ‥。子どもほったらかしにしてまで)

帰りの電車の窓に映る自分の顔が酷く不細工で老け込んでいた。目的地の駅に着き、家までタクシーを使おうかと思ったけれど、今夜はもう他人と会う気になれなかった。

(うん。歩こう)

慣れないヒールが痛い。それでも『私』は脱がずに歩こうと決めた。つまらない事だけど、自分への罰を与えたかった。
軽率な事をした自分への罰。

駅から家に着くのに、三十分はかかった。いつもの倍の時間だ。到着した頃には、足の痛さはピークにきていた。ドアを開けヒールを脱ぎ捨てよう思ったが、浮腫みも手伝ってなかなか足から剥がれない。痛さを噛み殺してようやく、両足がヒールから解放された。その親指と小指の外側には、罪の代償のように大きな水ぶくれができていた。

(これくらいで済んで良かった)

それよりも、子ども達の顔が早くみたかった。彼らの顔を見たら罪が許される気がしたのだ。

『私』は 声を殺して子ども達の部屋のドアを開けようと手をノブに置いた。
「え‥?」

その時、ドアノブが拒絶するようにヒヤリとして"私"はドアノブを回すのをやめた。そして、そのまま向きを変え子ども部屋の向かいにある浴室へ向かう。
自分がやってしまった事は、自分が考えるよりもずっと罪深い事だったのではないか?

『私』はもう一度身体全部を丁寧に丁寧に洗う。何度も何度も洗い流しながら、なにをやってるんだ?と呟いてた。
ようやく、浴室から出ると"私"は急いで身体を拭きワンピースのナイトウェアを強引にかぶる。歯磨きもよりいっそう丁寧にすませた。そして『私』は、すぐに子ども達の寝ている部屋のドアをあける。ドアノブはヒヤリとしなかった。ドアノブは『私』にこの部屋に入る許可をくれたようだ。

二人の子どもは、深い眠りの中にいた。当然だ。もう午前ニ時も近い。長男は十四歳とはいえ、下の長女はまだ九歳だ。こんな時間まで、起きているはずもない。
六畳の部屋に布団を並べている。長男は、いつでもドアの側で本棚に近い場所で寝ている。妹が万が一にドアや本棚にぶつかることがないように、本棚が倒れても妹が下敷きにならないようにしてくれていた。長男は、わざわざ口には出さないが、いつでも妹を護って、そして、寄り添っていた。

『私』はそっと長男の頬にキスをした。十四歳だけにやっぱりぷにぷにっとした頬っぺたに、『私』は安心する。

(拓弥にチュするの何年ぶりだろ?チュしたって知ったら怒るだろうな)

自然と"私"から笑みがこぼれた。もう一度、拓弥に触れたくて頭を軽く撫でると、拓也はううんと声を洩らし、身体の向きを変えた。

(起きないんだよね)

クスッと『私』が笑った。そして、長女の方へ移動しそっと抱きしめた。長女は一瞬目を開けて、自分の母親であることを確認すると、ニコッと笑う。そして『私』を離すまいと、ぎゅうと胸に顔をうずめてきた。

幼い長女の笑顔はいつも、母親を笑顔にしようとしてくれている。一生懸命その小さい身体でいっぱいの愛情を私に与えてくれていた。

(花梨‥ごめんね。こんなお母さんでごめんね)

涙が溢れる。辛い思いをさせてやっとこの生活を手にいれたのに、またさみしい思いをさせてしまった。

(いつからだろ。自分を安売りしてるのは。こんな優しくて立派な子ども達の母親に相応しくなりたいはずだったのに)

花梨を抱き締める。頭を撫でて髪の匂い吸い込み『私』は、目を閉じた。




雨がより一層激しく降ってきた。
同時に店内も混み合ってきたようで『私』の空いている席に、白人の男性が腰を下ろした。そして、アイフォンを取り出すと、さして楽しくもない表情で、画面をタップしていた。その男は『私』の視線を感じたのだろうか、チラリとブルーの瞳をこちらに向けた。

視線がぶつかるのを、避けるように『私』はタンブラーの蓋をもどす。ラテも飲み口から安心して、飲めるくらいの好みの温度になっていた。だけれど、『私 』は口をつけることはなく、ジッとそれを見つめていた。

子ども達は、もう十分に『私』よりしっかりと現実を捉えているようだ。過ぎ去った者や過去にしがみつくことがなく、前を見ている。

『私』は。

『私』はどうなのだろうか?子ども達と三人の新しい生活が始まって、幸せを感じていたはずだ。やっと安息の場所を手に入れたのだ。結婚や恋人関係など、懲りたはずだ。
なのに、結局「男」を探している。「男」から得られる自分への愛情を求めている。独りだと感じる淋しさを埋めてもらう。そんな「男」を。

「男」は自分にとって必要なのか、そうではないのか。私は「男」を本気で愛したことがあっただろうか?「男」だけじゃない。「他人」を愛したことはあったのだろうか?求めるばかりで、与えたことはあったのだろうか?考えることは、堂々巡りで答えなど出るはずもない。ただ、言えるのは過ちを繰り返したくないということだけだ。

私にとってその過ちは、繰り返し同じような恋愛をしていたことだった。自分を信じないことだとか、大切にしないこととか。子どもは、母親の本能で大切にするし、無条件で愛している。
ただ、他人を愛することができない自分が、他人を愛するようになったとき、私の残りの人生は意味を成すのではないかと思った。

『愛する』ということがわからない自分は、その目標を明確にする事ができない。だから‥。
だから、単純に後悔しないセックスがしたいと思った。三十九歳という年齢から言っても、セックスの回数は減っていく。
だったら、次のセックスは人生最後のセックスになるかもしれない。それならば、最後のセックスは自分が"これが最後のセックスをする人"と納得したい。

セックス事態が好きとかではなく、その行為は特別な行為であると、私の内にあった。一番相手を知る行為。快楽を得るための行為という感覚は、セックスを覚え始めた頃のことだ。今、自分の中にある“セックス”というのは、自分にとって重要なことではない。

獣が、無防備にお腹を見せるという行為は相手に心を許していることを示すという。セックスと言うのはそれと同じようなものだろ。そうでもないこともあるが、往往にしてそうではないかと思う。

だから『私』は最後のセックスを『後悔』したくない。

最後のセックスは初めてのセックスより、ずっと素晴らしいものでなくてはならないのだ。
そう。

自分が自分であるために。


二章




唐突ですが、小説始めます。

もともと、物語を買いたり、絵を描いたりする事がすきでした。
それをかたちにするには、なかなか出来なくて。

でも、一生のうちに一つでも、書いてみようと思い立ち
今回にはじめました。

駄文ですが、
少しでも、その先を気にして頂ける作品になるように、日々精
進してきたいと思います。

なにとぞよろしくお願いします。



アキ。