男の子2人の子育てをしてきましたが、同じような環境で同じように育てても
兄弟それぞれ、好きな食べ物、好きな音楽、好きな服、考え方、行動、、、、
違います。
赤ちゃんの時、寝入りに泣き、起きては泣きの長男。すっと眠りすっと起きる
おとなしい次男。そんな始めのところから違っていました。
どうしてこうなの?どうして?と思う子どもの性格や行動は、もって生まれた
もの もあるのかなと思います。
保育をしていても、自分より小さい子にとてもやさしい子もいれば、容赦無く
対等に接する大きい子もいます。おもちゃを取られそうになっても絶対放さず
戦う子もいれば、すぐ取られて泣く子、取られても気にしない子、それぞれ反応が
違います。
おうちで兄弟がいるとか、末っ子とか一番上とか多少関係もありそうですが、同 じ条件でも違う反応をしている子もいるのでやはりその子の性格のようなものを感じます。もって生まれた性格、、とでもいうのかな?そういうものがあって、必ずしも
真っさらで生まれてくるのではないと思えます。
ここ近年まで私は、子どもとは極端に言えば 正直で嘘をつかない 意地悪な考え
をしない とどこかで信じていました。でも、最近はそうではなく 子どもも大人と
同じ、大きく言えば人間というか、1人の人としていろんなことを考えていると思っています。それは、経験から頭で考えているのとは違い、魂のレベルで反応しているようなそんな感じがします。
なので子どもと接するときは、心の奥の方で対話するようなそんな不思議な感覚でキャッボールをしています。なんだか訳がわからないたとえですが、動物的感覚のようなそんな感じに似てるかもしれません。
そんなことを意識しなくても長年保育をしている同僚たちも、同じように接しているので日常でみんなしていることかもしれません。
動物的勘のようなものが、その日の体調や自分のコンディションにより鈍る日もあります。また、その子とだけキャチボールがうまくいかない日もあります。しかたないことでもあります。
いつも心はニュートラル とキャッチコピーのようですがそんなことが、保育では大切かもしれないと思います。
そしてうまくキャッチボールができるためには、変化球やストレートなどの球種、ボールの種類など自分の中で対応できるよう柔軟さが大切な気がします。それプラス毎日の体調管理も大切ですが。。。
余談ですが、うちの息子は2人ともずっと野球をしていました。それでこの例え?
と言われそうですが、、実際にキャッチボールをビニールボールでもなんでもよいので子どもとしてみてください。月齢にもよりますが0歳でも転がせば、ちゃんとこちらに転がして返してくれます。
キャツチボールしているうちに、自然と心でもコミュニケーションができる感じがすると思います。そしてその様子だけでも、もって生まれたもの がなんとなく少しでも感じ取れると思います。もって生まれたもの に良い悪いをつけないで、こういうものだと固定しないで、その時ただ感じることが大切かなと思います。