図解手稲鉱山選鉱場である。
戦時中に産金報国=金を産出し国に報いるため、東洋一の選鉱場を三菱鉱山が建造した。
その当時は韓国併合により日本国民とされた半島人=朝鮮人を徴用工として1939年より徴用。鉱山従業員の3割(500名ほど)の徴用工がいたとされる。
強制労働があったかは記録が廃棄され不明だが、特攻月報では戦前に争議記録があり、戦中には争議があったかは不明である。記録がすべて廃棄されている。
賠償問題は三菱側が早期に合意に持ち込んだため、当時の実情はまったくわからない。
坑道に突き落とされた朝鮮人を見たという証言もあるが定かではない。
昭和18年ころの学徒勤労動員された学生の手記には選鉱場でさえ、3交代24時間労働だったとの証言がある。坑内の労働は更に過酷であっただろうと想像できる。
戦中に亡くなった朝鮮人の記録もあるが、実態が記録されているものだけなのかそれ以外にも存在したのかも不明である。何人入って何人出たのか、明確に証明できるものが無い。
●図解手稲鉱山選鉱場
出典:国土地理院ウェブサイト
昭和18年には金を国際的に取引できなくなったため、国が金山整備令を出し生産縮小する。実際に軍備に使われる銅に生産をシフトした。一部の徴用工は千歳鉱山などに移動させられたと思われる。東洋一の選鉱場の栄華はここで終焉を迎える。
巨大選鉱場における黄金期は昭和15年から17年までのわずか3年の栄華であった。
戦後は生産縮小し昭和25年には休眠状態。昭和29年には三菱が荒川鉱業に経営権を売却。その後千歳鉱業に売却、1971年(昭和46年)に完全に閉山。
鉱山は掘るのは簡単だ。実際のところ鉱物資源はまだまだ国内に存在する。しかし、廃坑後の重金属を含む有害な廃水や汚染土の処理が永遠と続く。未来永劫に継続するのである。廃水との戦いが永続するので安易に掘れないだけである。
いまだに手稲山に乙女の滝側から登ると、登山道にエコマネジメント株式会社が重金属を含む坑廃水を処理する巨大なシックナー施設がある。
ここで処理した水を稲穂川に送水している。
稲穂側流域にすむ住民はもうこのことを知らない人たちも多い。
昭和42年ころまで金銀銅を採掘閉山。
星置通洞の異常出水
1986年12月28日。標高450メートルのコンクリート密閉された星置通洞脇から毎分130トンの濁流が出水。金山稲穂地区で数十戸の家が床下浸水。現在の金山パーキングエリア直下にあたる場所が水没。
国道5号では最大40センチの水没で通行止め。星置駅ではレールが20センチも水没し列車も一時運休。
1987年1月6日にも出水。北海道新聞でも大々的に掲載報道された。
新川河口でフナなど1万匹が死に、1987年1月6日には金山川下流はヒ素濃度が2倍となった。
現在ここから1.3キロの場所に新幹線のトンネル工事のための斜坑が掘削されている。
斜坑のすぐ近くに滝の沢川と星置川と宮町浄水場がある。
すばらしい産業遺産だが、暗い影があり観光資源として活用されることはないのかもしれない。




