初期ベートーヴェンの傑作といっていい曲ではないだろうか。

第四楽章を中心としたシンメトリカルな構成。しかも最初と最後に同じMarcia;Allegro が置かれているため、シンメトリカルな印象はさらに強まる。
比較的短い楽章でつくられているが、二楽章と六楽章が同じく六分強の長さでこれも前後で対応する。
しかも中心の第四楽章そのものが、Adagio-Scherzo-Adagioの三部形式というシンメトリカルな構成である。
勿論いままでの作品も緊密な構成を意図していたが、このセレナーデの構成は出色の出来ではないだろうか。

親しみやすい旋律が豊富に聴ける曲ではあるが、楽章楽章の印象は似ていて、特徴のある楽章は少ない。
どちらかと言えば、この曲は、一楽章一楽章を楽しむよりは、全体の構成を聴く曲なのかもしれない。

とても不思議な感覚なのだが、この曲を聴きながら、何故か僕は、アルバン・ベルグの弦楽作品を連想してしまった。
どうしてだろう。
興味深くもあり検証の必要があろう。

この曲について書くのは難しかった。
基本的にこの一連の文章は、参考資料にあたらず、極力音楽を聴くことのみで、感ずることを文章にしようと考えていた。
なのでこの曲について何の知識も背景も知らない以上、曲そのものと向き合わなければなにも浮かんでこない。

初めてスコアを見ながら聞込んだ。金曜日の晩から何度繰り返して聴いたろう。

実は、第四番は生まれて初めて聴く曲だ。
自身の思い入れもないし、ベートーヴェンの生涯でもあまりエピソードと絡まない曲かしら。

聞き込むうちに、二楽章がとても気にかかることに気がついた。

二楽章には沈黙が多いのだ。
後半、流麗に流れる箇所があるにはあるのだが、それでもほんの短い時間である。
前半は、まるで何かにためらような、ゆえしらずため息をつくかのような感じである。
一楽章三楽章が、普通に流れる音楽なので、余計に気になる。
テンポはLargo 。十六分休符さえ長く感じるテンポだ。
ピアノソナタ第8番の有名なAdagio cantabileのようにいつまでも浸っていたい音楽ではないが、それでも聞き込む度に、何か口に出せない感情を感じる。
原因や理由がはっきりした悲しみだけでなく、人はときにゆえしらぬ悲しみにとらわれるときがある。そんな感情の詰まった音楽だ。

そして四楽章は、その二楽章で感じたものをさらに強めている。
感情の高ぶりも幾度かやってくるが、最後、曲はffからpになり、さらにデクレシェンドしてpp で終わる。しかも最後の音符は、八分休符で、これにフェルマータがついている。
この終結が不思議な物寂しい感情を掻き立てるのだ。

どちらかというとベートーヴェンのピアノソナタは、激情に走って走りきって終わる印象が強かったが(まあこれは、ピアノソナタ第八番や第二三番の印象が強いための、思い込みなのだけど)、こんなベートーヴェンの顔もあるのだなと感じる曲だ。

僕にとって、とても気になる曲がまた加わったことは間違いない。

ベートーヴェンのOp.6は、ピアノ連弾用の小品。
Allegro moltoとRondo Moderatの2楽章からなる、六分に満たない愛らしい曲。

開始早々、またもや第5交響曲のあの有名な主題が、ファンファーレのように鳴らされる。
ただ弦楽五重奏曲のメヌエットのようにその主題が主役となって展開されるようなことはなく、雰囲気も全然異なる。
二分四〇秒の短い楽章であるが、主題の展開部はいかにもベートーヴェンらしい展開部である。その展開部で、冒頭の主題は何度かあらわれる。どちらかといえば展開に手をかしているのでなく、再提示部を呼びだす役目かな。

Rondoの部分で、Rondo主題の次に奏でられるメランコリーな旋律がなかなか心にしみるが、実に束の間の出来事。

道端を歩いていて、ふっと風が吹き、ほんのわずか心地よい花の香を感じた。
足元に小さいが鮮やかな花を見つけた。
そんな後味かな。

ヘ長調とト短調の二つのソナタは、どちらも二楽章で構成されていて(CDによって第二番が三楽章で録音されているものもある。)、緩徐楽章を欠いた形になっている。
そのかわりどちらも一楽章に比較的長いAdagioの序奏が置かれている。
二楽章はロンド形式で書かれ、これも同じである。
全体で、緩急急の構成とみなされよう。

調性の違いはあるが、作品の構成がほとんど同じなのは、明らかに意図的なものであろう。

第一番は、チェロの特徴を生かしたソステヌートのAdagio序奏のあと、おもわず笑みがこぼれてしまいたくなるような朗らかな第一主題がピアノで奏される。第二主題は最初チェロで現れる。この主題の対比は、打楽器的で息の長い音のだせないピアノと、音を長く引き伸ばせる弦楽器のチェロとの長所と短所を意識した作曲だと改めて感じさせる。

第二番の序奏は長い。第一番のほぼ倍の長さで、Allegroの主部に入る前に、全休止があるので、この部分を独立した楽章と見なせなくもないが、Allegro主部の入りは、序奏で歌われる旋律が使われているので明らかに一つの楽章と見なすべきだろう。
序奏のチェロのどことなく寂しげな歌は胸を打つ。
第二番は、速度指定も同じAllegroである、一楽章と二楽章ロンドの対比が興味深い。
一楽章の陰影に支配された舞曲と喜ばしいロンドの対比が面白いと思う。

二つのソナタの最初に、長いAdagioが置かれているのは、チェロの息の長い響きを、まず特徴づけたかったからだろうか。
どちらも序奏だけでは済まされない、深い息遣いの歌が聴こえるのだ。
そしてそれはよく聴きこむなら、どの楽章のどの小節からも聴こえてくる。
その基調となっているのは、序奏で歌われる息遣いなのだ。

僕はこの二曲に、ベートーヴェンの歌を聴いた。

この弦楽五重奏曲は、Op.15のピアノ協奏曲第一番にいたるまでの初期ベートーヴェンの楽曲でもっとも編成の大きな曲である。

これまでの作品と同様、快活で明快な曲想であるが、奏者が1名増えた分、響きに厚みがある。響きの上では、直前の弦楽三重奏曲とは対象的である。
とくに第四楽章での華やかで祝祭的感じは5名の奏者あってのことだろう。

この曲で気になるのは、第三楽章のメヌエットだろう。
明らかに後年の第五交響曲の有名な動機で構成されているのだ。
音程は勿論ちがうけれど、展開も極めて似ている部分がある。
よく第九交響曲の歓喜の主題も、似た旋律がベートーヴェンの生涯にわたって出てきて、彼が生涯追い求めた旋律だとか、浪漫主義的解釈をされることもあるが、そんな詩的な理由ではないだろうと思う。
ただ、一度使った動機や旋律が、時とともに深化して、より深く意味を持つことは十分に考えられる。

直前の弦楽三重奏曲、そしてこの弦楽五重奏曲、ベートーヴェンは明らかに弦楽四重奏曲を避けている。


弦楽三重奏曲変ホ長調 Op.3は、作品番号順でいうと初めてピアノが使われない曲である。

今日は、久しぶりの快晴で、西に連なる山々の稜線と空の色とがくっきりとコントラストを描いていた。乾いた空気とあいまってすべての風景が明瞭に見える。

この曲は、いわば、今日の風景のように明瞭で、どこにもよどみがない。
楽器の数が少ない分、音も澄んで、遠くが見渡せる。

ただ唯一最終楽章だけが少しだけ雰囲気を違えてる。
それは一部にフガートが使われているからだろうか。
そこだけ晴天の景色のなか沈思する人間の姿が垣間見られる。
ほとんど気付かない一瞬。
その瞬間を経て、曲は何食わぬ顔で、もとの蒼天にとけてゆくのだが。

この曲は、インテリア用の風景画といったところだろうか。
ただしほんのわずかそれと気付くことのない陰影がある。
それは後年、たんなる風景が、畏怖と敬虔に満ちた自然となり、それと対比される人間を意識せざるを得なくなり、そして二つの相反する世界をつなぐ魂にいたる小さな小さな入り口なのだろうか?

ピアノソナタ第一番。
開始そうそうだが、僕は、ベートーヴェンフリーズをはじめてよかったと思っている。
ピアノソナタ第一番に出会ったからだ。

いや以前に聴いたことはあったはずだ。
でもかつては聞き取れなかった音を、僕は聴けるようになったのかもしれない。

Op.1が快活なベートーヴェンなら、Op.2は厳粛なベートーヴェンといったらいいのだろうか。
ピアノは、ベートーヴェンが生きるための糧であった。
その彼が、自分自身で演奏することを想定して書いた曲であったと思う。
自分で演奏し自分の芸術を表現する器としてのピアノソナタ。
この第一番は、そういうベートーヴェンの矜持を感じる曲である。
調性はヘ短調で、Op.2に含まれるソナタのなかで唯一の短調である。
なんといっても第二楽章のAdagioが美しい。
その響きにいつまでも浸っていたい。
後年の、傷ついた魂をやさしくつつんでくれる、心優しいベートーヴェンが既にいる。
ただ後年聴かれる、やさしくつつんだその魂を、はるかな高みに引き上げてくれる終楽章はまだ聴くことはできない。

ピアノソナタ第二番は、一番とは対象的に快活で明るい。Op.1のピアノ三重奏曲第一番の雰囲気のようだ。ただ前半の二つの楽章の印象が弱い。とくに二楽章は、第一番のやさしさには及ばない。
それにひきかえ三楽章のスケルッオは充実している。また終楽章は、第一番よりも、聞きごたえがある。終結部分は歌ごころ満載といってもいい。

ピアノソナタ第三番の充実度はどうだろう。第一番よりも10分も長い。そしてひとつの楽章毎の充実度が高いうえに、それぞれの繋がりが緊密で、とても構成的でスケールが大きい。
とても華やかでピアノの機能を引き出しているのではないか。
ただ第一番のAdagioのように魂を魅了する何かがまだない。
もっともそれは僕がベートーヴェンのそのあとの作品を経験しているからなのだが。
しかしながら、この三番はOp.2のなかで演奏効果がもっとも高いのではないだろうか。

使い

ベートーヴェンのOp.1は、ピアノ三重奏曲。ピアノとヴァイオリン、チェロの作品。それぞれ独立して演奏される三作品が番号をふられてOp.1として出版されている。
第一番変ホ長調は、和音が一度ならされるだけの極めて短い序奏のあと主部がはじまる。とても流麗な音楽。明るく軽快な曲だけど、短い動機が構築的に動く部分などいかにもベートーヴェンらしいと思わせる音楽だ。
第二番ト長調は、一番と対照的にAdagioの長い序奏がついている。一番よりいくぶん分厚い響きだが、やはり流麗に流れる
第三番の調性はハ短調。しかも第一楽章は、Allegro con brioの指定がある。後年の第五交響曲と同じである。ハイドンがこの三番をOp.1からはずすようにアドバイスしたというエピソードがある。ベートーヴェンは、この曲を最も気に入っていたため気分を害したという。第三番を聞いていてすこしおどろくのは、終楽章が静かに何かを言い残したかのように終わるところだ。

作曲年は1794年から1795年、ベートーヴェン24歳の作品である。
ピアノの演奏家として有名をはせた彼が、ピアノを主軸にした曲に自身のOp.1の番号を与えたのには、それなりの理由があったと思う。
それにしても第一番ののびやかで清澄な流れはどうだろうか。限りなく快活だが、モーツァルトのそれとは明らかに違う流れだ。
きらきらと輝くながれがどこかで一瞬せき止められると、そのあとを追ってさらに輝かしいながれがその上を前に前に進んでゆく。そういう光景が幾度も見られ、幾重にも幾重にも流れがかさなってゆく。この前進する流れにそのまま身を任せていたいと思う。
ハ短調を基調とした第三番も短調というだけで悲しみの影は感じられない。この曲も活発に流れてゆく。
それはそれとして、最初にも書いたけれど終楽章の終わり方は、意表をつく。前二曲がフォルテで終わっているのに、Op.1の最後を飾る曲の終局が静かに終了するというには、どうしてなのだろうか。

この三曲は、ベートーヴェンらしい響きがあるのだけれど、とてもチャーミングな曲だ。そして闘争や苦悩ではなくて、いま人生のスタートにたってはつらつと生きてゆこうという息吹が感じられる。
あらためてこの三曲を聴いてみて、僕は、不思議と、胸が華やぐのを感じる。
チャーミングなベートーヴェンも悪くない。
ただ三番の終了だけが謎めいてはいるが。